きみが人気者タイプじゃなくて、それでも誰かと仲良くなりたいなら、「二人で話したい人」になれ。

僕は昔から、人から好かれたいという欲求が強くて、どうしたらいろんな人と仲良くなれるのかを、ずっと考えていた。

 

高校生の頃は、わかりやすくみんなから好かれている「クラスの人気者」タイプになろうと思ってあれこれ努力したんだけど、それは上手くいかなかった。その顛末については、以前こちらの記事で書いたことがある。

 

2blost.hatenablog.jp

 

そうした陰鬱な過去を引きずりながら、僕は大学時代に「さし飲み」を始めた。最初は、とにかくたくさんの人と二人で話せるようになることで、高校時代のコンプレックスを払拭しようとしていた。

 

当時のさし飲みの様子については、相手の許可を取って録音・文字起こししたものがいくつか残っていて、今それを読み返すと、僕がいかに自分の見え方を気にして相手とコミュニケーションを取っていたかが痛いほどわかる。

 

とはいえ、この頃に「二人だけのコミュニケーション」を体当たり方式で繰り返したことは、今の僕の大きな財産になっている。すなわち、人と仲良くなる方法を自分なりに編み出すことができたのだ。

 

今日の記事では、いわゆる「人気者」タイプの人じゃなくても、誰かにとって「二人で話したい人」になることで、その人と仲良くなることができる、ということを書いてみたい。

 

 

 

みんなの輪の中心にいる「人気者」タイプになるためには、いくつかの資質が必要だ。

 

僕がこれまで何人かの「人気者」タイプの人と話してみたところ、彼らは下記に挙げるような特徴を持ち合わせていることが多いようだ。

 

・自分が世界で一番面白いエンターテイナーでありたいと思っている

 

・一人の人に深く楽しんでもらうよりも、なるべく多くの人に楽しんでもらいたいと思っている(とある人は「人数が多ければ多いほど誰かにウケる可能性が高まるのだから、一対一のさし飲みは最も恐ろしい」と言っていた)

 

・自分や他者の「くすぐると面白いチャームポイント」が瞬間的に把握できる

 

・自分のことが理解されずに傷つく、という事態が想像できない

 

「人気者」タイプは目立つし、周りから好かれているのが目に見えやすいので、人から好かれたいという欲求が強い人は、まずは「人気者」タイプに憧れるのではないだろうか。

 

しかし、上に挙げたような資質を持ち合わせていないと、なかなか「人気者」になることは難しい。事実、僕も昔トライしてみて、上手くいかなかった経験がある。

 

そこで登場するのが、「二人で話したい人」という在り方である。

 

「人気者」タイプに向いていない人は、むしろ「二人で話したい人」タイプに向いている。みんなの輪の中心にいる「人気者」は、魅力的なコミュニケーターとしての在り方の唯一解ではないのだ。

 

では、どうすれば相手にとっての「二人で話したい人」になれるのだろうか?それは、「みんなといる時」とのコミュニケーションの差別化を図ることだ。

 

差別化の図り方には二つの方向性がある。すなわち、「相手の居心地を変えること」と、「自分の見え方を変えること」である。

 

 

 

順番に説明しよう。

 

「相手の居心地を変える」というのは、仲良くなりたい相手に「この人といると余計なことを考えずにコミュニケーションができる」と思ってもらうことである。

 

大勢といる時、人は他者の視線を感じながら、他者に受け入れられる最大公約数的な自分を演出している。その公約数を取っ払うこと、自分には素のあなたを見せてくれて構わないよとコミュニケーションを通して伝えることが、重要である。

 

具体的には、下記のような点にフォーカスする。

 

①社会を主語にしない

 

一般論やお世辞といったものは、二人だけのコミュニケーションには必要ない。社会的に見てどうかということよりも、個人としてのその人に興味を持ち、その人固有の感じ方・考え方に興味を持つことだ。使う言葉、食の好み、趣味、ファッション、メイクなど、さまざまな分野にコミュニケーションのヒントが隠されている。自分の興味のある分野から、「ちょっとこの人はこの点が変わっているな」「世間一般の感覚から外れているな」と感じるトピックを掘り下げてゆくと、個人にピントの合ったコミュニケーションがどんどん深まってゆく。その意味では、公約数的なトピックに狙いを絞って、誰でも参加できるような会話を展開する合コンなどとは、真逆のコミュニケーションになる。

 

僕の場合、使う言葉に対して興味を持つことが多いので、面白い言葉の使い方や、相手が何度も繰り返して使っている言葉について、掘り下げていくことが多い気がする。このあたりについては、下記の記事も参照されたい。

 

2blost.hatenablog.jp

 

②善悪を問わない、否定しない

 

①にも繋がるのだが、善悪というものを考えると、社会通念に照らしあわせて相手の考えがどうなのか、という話になってしまうため、どうしても個人にフォーカスしづらくなる。相手が犯罪でも犯しているなら別だが、そうではないなら、「それは良くない」「それはいけない」という言葉は絶対に使ってはならない。

 

もし、相手の話に引っかかる部分があるなら、あくまで個人的な感想として、「僕自身はあなたが言ったことに賛同しない。それは自分の○○といった性質に基づくものだと思う」といったコメントを行うとよい。これによって、善悪論ではなく、個人と個人の価値観の相違を浮き立たせる対話となり、個人にフォーカスしたコミュニケーションをさらに深めていくことができる。

 

対話が深まると、相手との価値観の対立が鮮明になることもある。そうした時に重要なのが、これまで自分についてどれだけ考え抜いてきているかという哲学的な思考である。相手が何を言おうが、自分はこれ以外の自分になりようがない、それはそれとして、相手の価値観は尊重すべきものだ。そうしたフラットな感覚が確かなものになってさえいれば、どれだけ相手と価値観が対立していても、対話を深めていくことができるのだ。

 

「自分の○○といった性質に基づくと賛成だ・反対だ」というのが対話のなかで思いつかなければ、「なんとなく反対なんだけど、どうしてだろう」とその場で一緒に考えてみてもいい。「あなたは○○な人だから、あんまり良いと思わないのではないか」というコメントが相手から出てくると、自分に対する理解も深まる。つまるところ、二人でのまっとうなコミュニケーションを成立させるためには、自分をよく理解している必要があるのだ。

 

③秘密を守る

 

「二人で話したい人」というのは、言うなればコミュニケーションの止まり木、大勢の視線に晒されて疲れ果てた人が、ふと羽根を休めてなんでも話すことのできる相手である。だとすると、当然ではあるが、相手が「ここは安全地帯だ」と思って話してくれたことは、他人にぺらぺら話してはいけない。特に、個人が特定できるような形で話の内容を話すのは最悪だ。

 

「二人で話したい人」になると、周囲から「なんだかよくわからないけどいろんな人と仲が良い人」という扱いを受ける。そうなると、Aさんと楽しく話した後に、Bさんから「Aさんと何を話したの?」と聞かれることも増える。そういう時に、「Aさんが自分だからこそ話してくれたこと」は、決して共有してはいけない。それは、どれだけBさんが信用のおける人であったとしても、守るべきルールだ。

 

コミュニケーションは普段の生活と地続きであって、たとえば二人で飲みに行くという行為があったとしても、その飲み単体で完結するものではない。事前・事後における自分に対する印象が、コミュニケーションの本番で相手が話してくれる内容に直結する。自分が「二人で話したい人」であり続けたいなら、秘密は守ることだ。

 

 

 

次に、「自分の見え方を変えること」について説明しよう。

 

よく聞く言葉で言うと「ギャップ」なのかもしれないが、戦略的にギャップを演じる必要はない。重要なのは、素の自分を見せること。この記事を読んでいるような人なら、大人数でいる時は大人数用の自分を演じているところが、大なり小なりあるはずだ。その「大人数用の自分」を取っ払うことができれば、ギャップなんてものは勝手に生じる。そのために必要なのは、自分が自分で「相手に素の自分を見せても大丈夫だ」と思えることだ。

 

言い換えれば、相手と相対した際に、「素を見せてもこの人は自分を傷つけることはない」という絶対的な自己肯定が必要なのだ。この肯定感を抱くためには、いくつかの条件が存在する。

 

・他人が自分をどう見ようが、自分は自分だ、これ以外の自分にはなりようがない、という確信を抱いていること(上述した「哲学的な思考」の部分)

 

・生来的に、自分が他人を嫌いにくい人間であること、他人の良い面を見ようとする人間であること

 

・相手が自分を認めてくれているという感情を持てること、具体的には、能力や性格など、何らかの点で自分が相手を魅了しているという自信があること

 

コミュニケーションはボクシングのようなもので、ガードばかり固めていても、パンチの応酬は始まらない。相手にパンチを出してもらうためには、自分からパンチを出していかなくてはならない。いわゆる自己開示というものだ。先にこちらがリスクを取って素を見せてしまうことが重要である。

 

自己開示については、手前みそだが、以前僕が書いた下記の記事も参照されたい。

 

careersupli.jp

 

具体的に「素を見せて話す」には、下記のようなことに留意するとよい。

 

①自分の感情にフォーカスした話をする

 

人は情報ではなく感情に惹かれる。自分の感情をなるべく覚えておいて、コミュニケーションの場でそれを語ることだ。そして、なるべくその感情だけでなく、どうしてそう感じたのかについても、理由を見出しておけるとよい。これも上述の「自己分析」と同様だ。

 

ちなみに、いわゆる「ぶっちゃけトーク」にあたる、誰かの悪口や愚痴といったもので素の自分が出ているかというと、僕はあまりそうは思わない。ネガティブな感情は決して悪ではないのだが、他者と一緒にいる時には、ポジティブな感情よりも慎重に取り扱う必要があると思う。なるべく毒気を抜いて、その感情を客観視して語ることだ。そのために重要なのは、(繰り返しになるが)どうしてそんなにムカついたのかを考えることだ。自分の価値観に何らかの点で抵触しているのを感じた時、人は他人を許せなかったり、何かを憎んだりする。その価値観がわかれば、自分も救われるし、相手もホッとして話が聴ける。他罰的にではなく内省的に考えることだ。

 

またまた手前みそだが、感情で話すという点については下記の記事に詳しいので読んでみてほしい。

 

careersupli.jp

 

②ポジティブな感情は積極的に相手にぶつける

 

嬉しい、楽しい、快い、安心だ、夢中になれるなどのポジティブな感情は、どんどん相手にぶつけていこう。相手と良好な関係にあるのなら、自慢に思うこと、褒めてほしいことなども話すといい。「無邪気な人だな」「素直な人だな」と思ってもらうことで、相手も自分に対して話しやすくなる。

 

なお、ここが注意であるが、「無邪気そうに思ってもらいたい」「素直そうに思ってもらいたい」と思って上記の行動をすると、どうもその下心が相手に伝わってしまい、うまくいかなくなる。とにかく、コミュニケーションは無心でやることが重要だ。僕も言語化はしているけれど、結局これらは習い性みたいなもので、もはや身体に染みついているからできているように思う。何度もやって、体得することだ。

 

 

 

以上、誰かにとっての「二人で話したい人」になるための方法を書いてみた。感覚的に言えば「この人と話すのは、みんなといる時とは違って居心地が良いなあ」と思ってもらうことだ。

 

人と仲良くなる時に、ぜひ参考にしてみてほしい。