僕が「スクールカースト」から解放された日。

高校の頃、学校に行くのが嫌でしかたがなかった時期があった。

 

傍目には、決してそうは見えなかったと思う。硬式野球部に所属し、平日も土日もなく朝から晩まで野球漬けだった僕は、「バラ色の高校生活」とは言えないまでも、「そこそこアツい青春」を送っていたと言えるだろう。

 

しかし、グラウンドの上でいくら汗を流そうとも、クラスの中での自分がおもしろいことを言えるようになるわけではない。誰もが自分の意見を尊重し、自分を取り巻いてくれるような人気者になれるわけではない。

 

特に、僕の生まれ育った大阪では、「オモロイ人間」こそが神だった。毎晩テレビを見て新しい芸人のネタを仕入れ、翌日のホームルームで披露して笑いを取れる人間が、クラスの中心だったのだ。

 

今日は、僕が高校の頃死ぬほど苦しんだ、「スクールカースト」について書こうと思う。

 

 

 

スクールカーストとは、『桐島、部活やめるってよ』などの作品でも描かれている、学校のクラス内の見えない上下関係のことである。

 

男の場合、一般的には、運動部に所属し、ルックスがよく、笑いが取れて、女の子にモテるヤツが、スクールカースト上位に属していることが多いようだ。要は「キャッチーなヤツ、パッと人を楽しませることのできるヤツ」こそが、「一軍」と呼ばれる連中になりうるのだ。

 

中学時代もそれなりにスクールカーストは僕のまわりに存在していたのだろうが、公立の中学校にいて、学年で一番勉強ができた僕は、おそらく特異なポジションにいたのだろう。スクールカーストというものを意識したことがなかった。

 

ところが、高校というのは自分と似たような学力の連中が集まってくる場所だ。勉強が断トツにできればそれだけで一目置かれる中学時代とは異なり、勉強以外のキャッチーな「何か」を持ち合わせていなければ、自分という人間が尊重されることはなくなる。

 

僕は、「一軍」の連中と話すのが苦手だった。普通の会話をしていても、何かおもしろいこと、キャッチーなことを求められているような気がして、その焦りがいつもの自分なら到底言わないようなことを口にさせ、場が白ける。そんな場面を、何十回と経験したかしれない。

 

僕が今も人の内面を深くまで知りたいと欲求するのは、この頃味わった苦痛の裏返しなのだと思う。イケメンでなくても、おもしろいことが言えなくても、一見キャッチーでない人間の内面にこそ、その人の真実が現れている。僕はそんな風に人間を捉え、世の中に訴えたいのだ。そして、自分を慰めたいのだ。お前は決して、価値のない人間ではないのだ、と。

 

結局、僕の高校時代は、「一軍」に憧れと軽蔑のないまぜになった感情を抱きながら、あっという間に過ぎていった。僕はスクールカーストから逃げるように受験勉強に励んだ。立花隆の『東大生はバカになったか』に衝撃を受け、それこそ「内面を充実させないヤツはバカだ」という教養主義的な、アンチスクールカースト的なメッセージを信じて、僕は京都大学に滑り込んだ。

 

大学では、僕は「リア充的なもの」にひたすら背を向けて過ごした。吉田寮の隣にあるオンボロのサークル棟でクラシックギターを弾いて講義をサボり、嵐山の渡月橋南禅寺のトロッコ跡をぼんやりと歩いては思い出に浸り、理学部や文学部の友人と麻雀を打ちながら「熱力学第二法則の哲学的な意味について」語りあったりした。しまいには、インドに行って1年間スラムに住むという荒行に出た。

 

僕の人生にはもう「スクールカースト的なもの」は出現しないと、僕はそう楽観視していた。もうリア充たちと付き合わなくていいんだ、あいつらのテンポだけの中身のない会話や、あいつらの下らない趣味に合わせた会話は、金輪際しなくていいんだ。そう、思っていた。

 

 

 

しかし、何の因果か僕は広告代理店の仕事に興味を持ってしまった。

 

広告業界は、リア充の巣窟だ。

 

クリエイティブはそうではないかもしれない。クリエイティブというのは、ネクラであること、悶々と考え続けることこそが、発想の原点になる仕事だからだ。

 

しかし、営業や媒体担当というのは、人に好かれてナンボな商売である。よく使われるキモチ悪い言葉を使えば、「人間力」こそすべてなのである。それこそ、スクールカースト上位でずっと青春時代を謳歌してきて、求心力のある人間にしか、務まらない仕事なのだ。

 

コミュニケーションプランニングをしたいと思って広告代理店に入った僕が、よりによってバイヤー、それも一番パーティーピープルの多い「テレビ局担」に配属されてしまったのだ。

 

配属1週目は、本当に死にそうだった。ノリは合わない、仕事はキツい…。しかも1週目から泊まりがけの媒体社旅行に参加しなければならず、じんましんが出たほどだった。

 

僕が苦い苦い高校時代を送っていた頃、テレビ番組というのは「一軍」の象徴だった。あいのりやめちゃイケ、アメトーク、リンカーンなど、テレビのバラエティを観ていなければ非国民扱いされたものだった。まさか10年後に、そういったリア充コンテンツを作っていたテレビ局相手に仕事をするなんて、考えてもみなかった。本当に運命とは皮肉なものだ。

 

配属直後は、毎日朝起きるたびに「今日も「一軍」のヤツらと話さなきゃいけないのか…。本当に嫌だなぁ」とため息をついていたものだった。自分が人生で一番の苦手意識を持っている人たちと相対せねばならないというストレスは、相当のものだった。

 

 

 

だが、局担になって1ヶ月、2カ月…と経つうちに、初めの頃に感じていた閉塞感は、次第に薄れていった。仕事上でリア充たちのグループに入って話をしていても、今すぐここから消え去りたいという衝動は感じなくなった。

 

ショック療法とも言える局担への異動によって、僕はスクールカーストから解放されたのだ。

 

それは、昔「一軍」に憧れ、嫌悪していた頃の自分が、自意識過剰だっただけなんだと気付いたからだ。

 

「自分は人から好かれるはずだ、一目置かれるはずだ」というプライドが邪魔をして、自分の醜い部分、他者より劣った部分をさらけ出すことができないと、人はスクールカースト的な人間関係に苦しむことになる。「なぜ俺は人気者になれないのか」と、周囲を恨んで過ごすことになる。

 

オモロイ話ができないのなら、「いや~俺はホンマにオモロイことが言えへんのよ!」と開き直ればいい。本当に、それだけでいい。

 

イケメンから程遠く童貞くさい雰囲気を醸し出しているのなら、「永遠の童貞なんです」とでも言ってヘラヘラしていればいい。自分の雰囲気を大切にすればいい。

 

人は、開き直って肚を見せている人間に、好意を持つ。自分の弱点を認め、その一方できちんと自分に自信を持っている人間に、人は集まる。

 

広告代理店の最終面接で、昔はさぞ遊んでいらっしゃったんだろうなと思わせるナイスミドルのおっさんに、僕はこう聞かれた。

 

「君は、女の子にモテますか?」と。

 

僕は力強く「いえ、モテません」と答えた。「モテませんが、好きな女の子にアプローチするのは得意です。二人で飲みに行ってもらえれば、好きになってもらえると思います」と付け加えることを忘れずに。

 

もしもあそこで、高校時代と同じく、自分のプライドを守って「それなりにモテますね」などと答えていたら、今僕はこの会社で働いていなかっただろう。

 

 

 

「一軍」とか「リア充」とかいった言葉で誰かを括っても、それは自分と同じくらい遠巻きにその誰かを眺めている人にしか刺さらない。

 

何よりもまず、どこか一歩身を引いて相手と付き合っていこうとしている自分を捨てて、至近距離でそいつと相対しないと、その人のほんとのところはわからない。

 

プライドを捨てて、バカになって接しよう。そうすれば、この世の中にはもっといろんな人間がいるんだなって、おもしろく思えてくるはずだ。