広告代理店からAIベンチャーに転職します。

本日、2022年12月31日をもって、新卒から8年9か月勤めた広告代理店を退職する。

 

自分にたくさんの負荷をかけ、自分探しに明け暮れたファーストキャリアだった。

 

学生時代に「自分はやりたいことが無い」と結論付けて、飛び込んだ広告業界。初っ端から、テレビ局担当という試練を与えられ、ここでもまた「自分とは何者なのか」と自問することになった。

 

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社会人をやり始めて2-3年ほどして、もう、自分のなかにありもしない答えを見出そうとするのは止めよう、と思った。それよりも、人にGiveをして、その結果返ってきたものを大事にすることにした。

 

そのあり方を、僕は「良い子」と表現した。

 

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その後、優等生、八方美人、善人など、表現はいくつか変わってきているが、コンセプトは同じだ。

 

人が求めるものを提供し、そのフィードバックによって、自分の行き先を決めるという他人本位な生き方。

 

だが、善人はいつかその善性によって肉体が死ぬか、あるいは善人というアイデンティティを殺さざるを得ない。その予感があったから、僕は自分のブログを「善人を看取るまで」と名付けたのだ。

 

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この後、僕は純粋に善人でありたいお人よしではなく、そうあることによって他者から褒められることを求めている、極めて利己的な人間なのだ、と思い当たった。

 

良い子、善人、その他表現は何でもいいが、褒められたいという欲望を最短距離で満たせるのは、他人の望みを叶えることだ。だから僕はGiveをしたいと思ったのだ。

 

問題は、僕が、誰に、どのように、どのくらい褒められることを求めているのか。これがわかれば、自分が幸せに生きることができる。

 

 

 

転職には二つのステップがある。

 

一つ目は、今いる場所からなぜ離れる必要があるのか、を考えること。

 

二つ目は、次にどの場所に着地するのがいいのか、を考えること。

 

一つ目については、これまでに知り合ったいろんな人たちから「あなたはもっと広い世界で価値を出せる」と言われたこと。僕の言葉に直せば「あなたはもっと褒められうる」ということだ。

 

元々、僕は転職を積極的に検討するタイプではない。なぜなら、僕が褒められたい相手は、所属するコミュニティの構成員であるからだ。これは、会社に限らず、家族でも、学校のクラスでも、部活動でも、サークルでもそうだった。

 

ころころ所属先を変わっていては、褒められるはずもない。インフルエンサーフリーランスなど、そもそも所属を決めずに多くの人から喝采される方法もあるけど、僕にはそれは向いていないと感じていた。

 

だから、僕が転職を考えるとしたら、自分がもっと褒められうる、もっと広い世界のことを、誰かから教えてもらうしかない。今回の場合、その示唆をもたらしてくれたのは、現職の元同僚が多かった。

 

現職では、もうサチュレーションに到達しきっている「褒められ」を、さらに引き上げることができるのは、魅力的な提案に感じた。「良い子」だから、人がそう言ってくれるなら、それを信じてみようとも思った。こうして転職することを考えはじめた。

 

二つ目については、広告・マーケティングというある程度汎用性の高い(=褒められることに繋がりやすい)スキルに加えて、さらに褒められそうな(人々の役に立ちそうな)スキルは何だろうか?と考えたときに、AI・人工知能領域がありそうだと感じた。

 

僕自身が昔から数学が苦手だと感じていることもあって、「苦手を克服しなきゃ!」という優等生根性が働いたのもある。

 

僕は所属するコミュニティの価値基準を非常に重視する。カメレオンのようなものだ。テクノロジーを活用して未来を創ろうとしているコミュニティに所属すれば、必ず自分はそれを学ぼうとする。なぜならそれが褒められることに繋がるからだ。そういった仮説のもと、自分を強制的に学習させられる環境に身を投じるのが良いだろう、とも思った。

 

上記のツーステップを整理して、現職で二つ目的な働き方はできないのだろうか、と改めて上司にも相談したが、結論としては転職することになった。

 

(AI・人工知能領域の会社は数あれど、なぜ転職先の企業にしたのか、などの話はたくさんあるが、また機会があれば書いてみたい。)

 

 

 

僕はこれまで、あれがやりたいかも、これがやりたいかも、と言って、その半分も実現させてこなかった。

 

それは、自分が心で感じていることよりも、これがやりたいと言ったら一貫性があるな、これと言ったらかっこいいな、という、外部からの見え方をかなり重視していたためである。僕はアイデアはあっても実行力に欠けるため、心に火が点いていない状態では、やりきることができない。

 

ただ、転職を決めたいま、かなりの確信を持って感じていることがある。

 

それは、自分は人を助けたいのだ、ということ。

 

なぜなら、それは褒められることに直結するから。僕はモノや機械を相手にするのではなく、人間から褒められたい(ここでAIに褒められたらどうだ、という疑問が思い浮かんだので、Twitterにあげておく)。

 

 

そして、僕はやはり少人数が好きだから、近いうちにフリーでやりたいと思うのではないかと予想する。そのときは、コンサルティングコーチング、ティーチングなどの対人技術をフルに活かして、人に貢献できるような仕事を志すと思う。

 

その一方で、チームをつくることも好きだから、メンバー一人ひとりが自由に楽しくやれるチームづくりにも邁進するだろう。なぜなら、そういったチームでは、自分が虐げられることが無いからだ。

 

僕には「褒められたい」というポジティブな欲求と、「傷つけられたくない」というネガティブな欲求がある。前者だけでなく、後者を満たそうとして、僕は所属するコミュニティにおける評判を高めようと努力してきたんだな……と今ならわかる。だからチームづくりも好きなのだ。まあこの話も、今度詳しく書こう。

 

 

 

自分という謎を追いかけて、もう33年も生きてしまったが、今ではかなり謎の解明に近づいている感覚がある。

 

たぶん次のキャリアでも、自分を物語の主人公に仕立てて、人生を味わってゆくだろう。その物語をこうやって文章に起こす過程で、僕は必然的に私小説をものすことになるだろう。

 

皆様、またお会いしましょう。よいお年を。