社会がきみの役割を決めてしまう前に。

2018年は、記憶に残らない一年だった。

 

平日は遅くまで仕事をして、土日もともすれば仕事をして、仕事をせずとも仕事の疲れを癒すために夕方まで眠って、そんな日々の繰り返しだった。 

 

 

 

今の会社に新卒で入って、局担、業推、そしてメディアプランナーと、広告代理店のメディアビジネスのことは一通り経験させてもらった。

 

特に、局担の部署で自身の価値に葛藤しながら書いた二本の記事は友人・知人を超えて広く読まれ、いまなお初対面の人と会う際に「こういう記事を書いた人」として紹介してもらうことも少なくない。

 

一方で、平均して一年に一度の異動という、非常に流動性の高かったキャリアパスは、今のメディアプランニングの部署で落ち着きつつある。

 

おそらく、思考すること、人とコミュニケーションをとることといった、自社におけるメディアプランナーに対して求められている資質に、自分がマッチしているためだと思われる。

 

 

 

社会に出て数年経つと、誰でも特定の領域に対してそれなりの経験と知識を有するようになり、資本主義社会から「お前はこれをやれ」と役割をあてはめられるようになってくる。

 

それは、僕が 「いい人どまり」なんて言わせない、とびきりのいい人になれ。 で書いた「イエスマンとなるフェーズ」の次に来る段階だと考えられる。なんでも受けてやろうという姿勢のもと、あらゆる機会が自分のなかを通り抜けていった結果、社会の側で自動的に「こいつにはこれをやらせておけばいい」という判断が下されて、自分に落ちてくる機会のカテゴリーが次第に絞られてゆく。

 

意志が弱いという、現代社会では欠点とみなされがちな特徴を大いに活用し、社会や組織といった巨大な篩に機会を供させることで、自分のアイデンティティを見出すという逆転の発想だ。

 

一方、個人の側においても、スペシャリストとして取り扱われた方がそれなりの待遇を期待できるため、社会と個人は共犯関係のもと、歯車を形成してゆく。そうした歯車が社会のいたるところで回っていることに気付くのが、二十代後半の社会人なのだと思う。

 

 

 

僕は、そうやって自分の役割を決められるのが嫌なのだと、最近ようやくわかりかけてきた。

 

大学生の頃、クラスメートのほとんどが学者を目指す理学部という学部のなかにあって、学者にはなりたくないともがいていたように、僕は僕という人間を、職業的なアイデンティティで規定されたくないのだ。

 

大学時代には、ブラック居酒屋の売り子リーダーになり、スキューバダイビングのインストラクター業に顔を突っ込み、さらには新大阪のオフィス街で石の鉢を売ったり、学祭に足湯を出して大赤字に陥ったり、インドで不動産の営業に明け暮れたりしていた。それは全部、僕が何者かに「なりたくないから」やっていたことだったのだと、今になって思う。

 

社会人になって、ファーストキャリアとして情熱と哀愁に彩られた局担という世界を垣間見ることができたのは素晴らしかったし、メディアプランニングの提案で脳みそが働かなくなるまで知恵を絞っている今の日々も、自分の考えを相手に売るという、ビジネスの根源的な価値を身体で学べる最高の機会だと思う。

 

そうして、次にはどんな峰に登ってやろうかと思案している自分もいる。

 

つまるところ、この有限の人生を目いっぱい使って、あらゆる世界に飛び込み体感したいというのが、僕という人間の根源的な欲求なのだと思う。

 

「自分の知らない世界があってはならない」という、極めて優等生的な性質が、ここでも発揮されているのがおわかりいただけるだろう。

 

 

 

随分と昔に、 「私はこういう人間です」と語れるようになれたら、その大学生活には、意味があったと思う。 という記事を書いたことがある。以下、引用する。

 

自分を知る、ということは、未知の物質の正体を明らかにしていくことに似ている。

 

光をあてたり熱を加えたりしても崩壊しないか、毒性や放射能を有するか、無機物なのか有機物なのかなどを、いろいろな環境に投じたり、試薬を与えたりして、反応を見ていくのである。

 

そういった「いろいろな環境」や「試薬」にあたるのが、「大学時代にやっておくべきこと」として語られるさまざまな経験である。そして、明らかにすべき未知の物質が、言うまでもなく、自分自身なのである。

 

(『Rail or Fly』から引用)

 

僕が思うに、この未知の物質の同定のやり方としては、なるべく現在地から大きくジャンプできるルートを選んだ方が良いのだ。

 

同じ角度から光を当て続けても見える像は一定だが、さまざまな角度から光を当ててみると、物事の違った一面が見えてくる。

 

僕は今、そうした「ジャンプ」を求めているのだと思う。

 

そしてそれは、冒頭で述べた資本主義社会において、極めて厄介な行為になりうる。「この人は、こういうスキルを持っているプロフェッショナルです」という値札を、その人間に貼ることができないからである。これまでの経験の延長線上にその人を規定するのが、効率の良い社会の運営のやり方であって、最適化されたと思った歯車がいきなり自分自身を取り外してどこかに行ってしまうなんてことは、社会の効率の面から考えればあり得ないことなのだ。

 

だが、自分にわかりやすい値札を付けて、それ以外のあらゆる要素を取り除いて、効率よく生きていくなんて、半ば死んでいるようなものではないだろうか。

 

僕はそんな人生は、嫌なのだ。

 

 

 

2019年に、自分がどんなジャンプを選択するのか、それは今はわからないけれど、どんな選択をしたとしても、僕はそれを甘んじて受ける自信だけはある。

 

そうした再帰的な生き方、自覚的に自分に機会を与え、そのなかで精いっぱいやっていくようなやり方こそが僕の生き方なのだと自覚できたのが、20代の大きな収穫だったと思う。