浜金谷の風と音の中で。(とぴちゃん)

2017年8月13日。

 

千葉県南房総を吹いてゆく熱風には、少しだけ、夏の終わりの匂いが混じり始めていた。

 

浜金谷という、聞き慣れない駅で降りた僕は、駅前の小さな交差点を抜けて、とぴちゃんが待つ「とびきり美味い回転寿司屋」を目指した。

 

 

 

とぴちゃんと出会ったのは、今から5年ほど前。僕が書いていたちっぽけなブログがきっかけだった。

 

当時の僕は、学者になりたいと思って大学に入ったものの、「自分のやりたいことがわからない」という絶望に打ちひしがれ、ニシヘヒガシヘ奔走していた。ベンチャー企業インターンで売れそうもない石の鉢を売るために新大阪のオフィス街で飛び込み営業をしたり、大学の学祭でドクターフィッシュ足湯を企画して大赤字を出したり、インドのムンバイで1年間高級アパートを売りさばく営業マンとして奮闘したりしていた。

 

僕は、そうした果てしない自分探しの旅を文章にしたため、小さな子どもが瓶に手紙を入れて海に浮かべるように、せっせとインターネットという大海原に流していた。

 

とぴちゃんは、そんな僕の宛名の無い手紙を読んでくれた一人だった。

 

就職活動をしていたとぴちゃんは、僕と同じように、「自分が何者なのか、やりたいことが何なのか、わからない」という悩みを抱えていた。歌手としてメジャーでも仕事をしたことのあった彼女は、就活の選考で「音楽こそがあなたのアイデンティティなのだ」と押しつけられることに戸惑い、途方に暮れていた。

 

インターネットで人と出会い、自らの弱さやどうしようもない部分を語り合うことなど、普通の人からしたら「気持ちが悪い」と思うかもしれない。だけど、僕たちのような「少し外れてしまった人たち」にとっては、インターネットは救いの装置だった。

 

季節は巡り、僕はサラリーマン街道を突っ走っていた。一度は歌うことをやめた彼女は、再び歌い始めた。そうして、南房総で野外ライブをするという彼女に誘われ、僕はへなちょこギターをみんなの前で晒すハメになるのを覚悟して、この浜金谷の地にやってきたのだ。

 

 

 

午後5時。既に日は傾きつつある。

 

こぢんまりとしたお弁当屋さんの横のスペースが、ライブ会場だった。

 

僕はギターの調弦をしながら、少しずつ人が増えていくのを、興味深く眺めていた。とぴちゃんはいつものハイテンションで、「あっ○○さん!今日はありがとうございます!」などと声を掛けている。

 

音楽で、人を呼べる。それは、ものすごいことだと思う。音楽が文章に比べて圧倒的に素晴らしいのは、目の前でお客さんのリアクションを見ることができるところだ。ミュージシャンではない僕は、その意味で、とぴちゃんのことをとても羨ましく思う。

 

だけど、共通点もある。それは、「人を信じること、人から好かれること」が、「作品だけで突き抜けられないアーティスト」にとって、最強の武器になるという点だ。

 

ものをつくる人間にとって、作品だけで評価されることは、おそらく至上の喜びだろう。僕の好きなTravisというイギリスのロックバンドは、”The Invisible Band”というアルバムで「作品さえ素晴らしければ、アーティストは不要だ」というメッセージを世に遺した。

 

だが、そうした形で作品を評価してもらえる人たちはごくわずかだ。

 

「あいつ、なんか憎めないんだよな」「本当に良い奴なんだよ」そうした言葉とともに、自分の作品を見てもらったっていいじゃないか―。最近、会社の人に文章を読んでもらえる機会の増えた僕は、そんなことを思っている。

 

かっこいいだけが、クリエイティビティじゃない。大真面目に泥臭くて、でもどこかに温かさがあって、そんな自分の人間性をそのままぶつけてやれば、受け手は必ず何かを返してくれる。

 

これだけ人から受け入れられて、愛されているのは、きっととぴちゃんが自分のことを音楽に精一杯ぶつけているからなんだろう。遊びでいくつか彼女と曲を合わせながら、僕はそんなことを考えていた。

 

 

 

ライブは、『空も飛べるはず』から始まった。

 

スピッツは、草野マサムネの異様な声質と高音さえなければ、コード自体はとても弾きやすい音楽である。もちろん、キーを変えてとぴちゃんが歌えば万事解決である。

 

そして『桜坂』。これも弾きやすく、また歌いやすい曲だ。

 

ピアノ曲である『楓』を歌ったところで、僕はギターをとおるさんに渡し、観客席に降りた。とぴちゃんがお客さんを煽る。

 

「あれ、誰か歌いたい人いませんか?えっと、滝田さん!」

 

そう呼ばれた男性は、立ち上がりながら「え?俺?」と周りを見渡すも、とぴちゃんが無理やりマイクを持たせてしまった。ジャジャッ、ジャジャッ、ジャジャッジャーンと、懐かしいイントロが流れると、滝田さんはしかたないなぁと笑みを浮かべた。

 

「『セプテンバーさん』!」

 


RADWIMPS セプテンバーさん(歌詞付き)

 

とぴちゃんのピアノととおるさんのギターをバックに、滝田さんは優しく歌った。ボーカルが野田洋二郎だったか滝田洋二郎だったか、いや滝田洋二郎は『おくりびと』を撮った映画監督だったか…、などと、2杯目のビールを飲み干した僕には少しわからなくなってしまっていた。

 

浜金谷の夕方が少しずつ夜に変わっていく。今を限りと盛る夏も、もうじき9月、セプテンバーだ。

 

 

 

次の曲は、ミスチル好きな僕にとっては「ここでこの曲が聴けるなんて!」とつい興奮してしまった曲だった。思わず、同じくミスチル好きらしい滝田さんと顔を見合わせる。

 

『1999年、夏、沖縄』。まるじさんが、抜群のリズム感覚でしっかりと保ったテンポに、太く腹の底まで響くアルペジオを一つずつ乗せてゆく。

 

 時の流れは速く もう三十なのだけれど

 

 あぁ僕に何が残せると言うのだろう

 

 変わっていったモノと 今だ変わらぬモノが

 

 あぁ良くも悪くもいっぱいあるけれど

 

 そして今想うことは たった一つ想うことは

 

 あぁいつかまたこの街で歌いたい

 

僕は今、28歳だ。Mr.Childrenが瀕死の状態から立ち上がり、『終わりなき旅』という渾身のメッセージソングを世に放ったのは、桜井和寿をはじめとしたメンバーたちが28歳になったかならないかの頃だった。

 

20代後半というのは、子どもと青年の境目だと思う。それまでの人生で構築してきた自分自身を見つめ、さて自分はどう生きようかと自問する。もう変えられない自分の性格や傾向を冷静に捉えて、どんな状態にあれば自分は幸せなのか、それを考えるのが、20代後半という時代なのだ。

 

夜風の吹き始めた海岸沿いの小さなライブステージで、バラードは鳴り続けた。これまでいろんな街で歌ってきたであろう、とぴちゃんにぴったりの曲だった。

 


Mr.children 1999年 夏 沖縄

 

 

 

秦基博の『Rain』や一青窈の『ハナミズキ』、レミオロメンの『粉雪』、いきものがかりの『帰りたくなったよ』など、しんみりしたバラードが続いて、ライブは少しずつ終わりに近づいていた。

 

今日が日曜日でなければ泊まりたいところではあったけど、あいにくとこちらはサラリーマンの身分である。

 

僕は、もう一度とぴちゃんからギターを貸してもらい、同じくギターを手にしていたしょうたさんと並んで座った。

 

猫の恩返しの曲をやろうと思います!『風になる』!」

 

ギターからピアノにシフトしていたとおるさんの弾く、軽やかなイントロが響く。「素敵ですね」と言うと「ギターよりもピアノの方が得意なんだ」と、照れ臭そうに笑ってくれた。

 

僕はしょうたさんと一緒にギターを弾いた。とぴちゃんも歌う。シンプルなコードに乗る、簡単なメロディだけど、とっても切なくて良い歌だ。

 

 陽のあたる坂道を 自転車で駆けのぼる

 

 君と誓った約束乗せて行くよ

 

 ララララ口ずさむ くちびるを染めて行く

 

 君と出会えたしあわせ祈るように

 


風になる - つじあやの(フル)

 

 

 

すっかり暗くなってしまった浜金谷の町を、僕は駅に向かって歩いていた。

 

―楽しかったなぁ。

 

知らない人たちの前で、ショボいギターを披露するなんて、最初は顰蹙を買わないか心配だったのだけど、とぴちゃんのライブに集まった人たちはみんな優しくて、僕の不安などすぐに吹き飛んでしまった。

 

ギターがちょっとばかし弾けてよかったな、と思う。

 

最近は、ギターに限らず、自分が中途半端に手を出してきたこと、そのすべてに感謝することが多くなった。

 

昔は、何ひとつモノにできず、すぐに冷めてしまう自分が嫌だった。「自分にはこれがある!」と言い切れる何かを手にしたくて、僕は自分探しに邁進していたように思う。

 

だけど今は思う。人と仲良くなって、一緒の時間を楽しもうと思った時、いろんなものに頭を突っ込んだ経験が丸ごと活きてくるんだって。

 

究極の自分探し人間、中途半端ものだった自分が、いろんな人との繋がりをつくって、少しずつ自分のやりたいことに近づいていく。

 

「僕にはこれしかない」なんて、今でも到底言い切れないけど、人を信じて、好いて好かれて、いつでも一所懸命に目の前のことを楽しんでやれ。

 

それが僕たちの、生き方だ。

 

 

 

ドアが閉まり、駅から電車が少しずつ離れてゆく。

 

僕は、浜金谷から乗り合わせた迷子の蛾が、がら空きの座席にとまって休むのを見ながら、この半日ばかりの小旅行のことを思い出していた。

 

―また、来ることになりそうだな。

 

電車は、いつもと変わらぬ月曜日に向かって、東京へとひた走った。

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

とぴちゃんのTwitterとブログはこちらです。

 

Twitter:@Topi__

 

ブログ:http://tobiuotopi.com/

東京よばなし 第1話

はじまり

 

7月の最終土曜日が都民にとって大切な日であることを、僕は東京に住むようになってから知った。そう、隅田川花火大会である。

 

―関西で言えば、さしずめPLの花火大会か。宇治川の花火大会は行ったことあるけど、PLは観に行ったことなかったなぁ。

 

夕立にきらきらと光る古書店街を歩きながら、僕はぼんやりとそんなことを思い出していた。

 

2017年7月29日、隅田川から中途半端に遠い神保町に、花火とは無縁の男たちが、集結しつつあった。

 

「東京よばなし」の記念すべき第1回目の幕が、驟雨をついて、上がろうとしていた。

 

 

 

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第1話

 

 

 

神保町の名物喫茶店の一つ『壹眞珈琲店』の角を曲がって少し行くと、そのお店はあった。

 

『ビストロ アリゴ』の一階部分は八百屋や酒屋のように道路に面して広く開かれていて、そこから厨房が丸ごと見えるつくりになっており、店員さんが元気よく「いらっしゃいませ!」と通行人に声をかけている。

 

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―これは、素敵なお店間違いなし。

 

僕は自分のお店探しの嗅覚にほくそ笑むと、その大きな入口に足を踏み入れた。

 

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二階に通されてしばらくすると、今日のメンバーが続々と階段を上がってきた。

 

しょうちゃんは、九州出身の金融関係の営業マンだ。大学は四国、就職してからは名古屋、そして東京と、だんだん東に進出しているのがおもしろい。

 

そーしくんは、北信越からわざわざ高速バスに乗ってやって来てくれた。普段は市役所で働く、柔らかい雰囲気の青年である。

 

ほなみんは、大学院の修士2年。出身は名古屋だが、大学は京都で数学を、大学院からは東京で経済学を学んでいる。来春からは、広告会社で働く予定だ。

 

おっと、自己紹介が遅れた。僕の名前は…はじめ、としておこう。とある広告会社で働いて4年目になる。この「東京よばなし」の発案者だ。

 

生ビールが運ばれ、ここの名物料理「アリゴ」が供されて、いよいよ『よばなし』が始まった。

 

 

 

 

 

誰かと誰かの狭間で

 

「しょうちゃん、コワモテやんなぁ」

 

口火を切ったのは、僕だった。今日は4人の中で唯一僕だけがみんなのことを直接知っている。先陣を切るのは自分の役目だ。

 

しょうちゃんは、土曜日にもかかわらず仕事帰りのようで、この夏のど真ん中にスーツをびしっと着込んでいる。ガタイもよく、髪はオールバックにしており、非常にイカツイ雰囲気を醸し出している。

 

「よく言われますけど、僕はカワイイキャラですよ」

 

「どこがですか!」

 

そーしくんからすかさずツッコミが入る。しょうちゃんがカワイイキャラ…出会って1分も経っていないが、それでも誰も賛同しないだろう。

 

「まあ、営業なんで、そう見せている部分もあるんですけどね。怖いとか、年上っぽく見せるとか」

 

「そうなん?年上に見られるとか、そういうのは嫌じゃない?」

 

「お客さんに夢を見させてあげるのが営業の仕事かなって思うんですよね。だから、嘘にならない範囲で、ストーリーをつくる。親くらいの年齢の方が相手だったら、例えば自分の親が『最近頭痛がする』と電話してきたことを元ネタにして、『そういえば私の母親も最近身体の調子が悪くて。息子としても親の心配をしてしまうから、何かしら資産形成みたいなものがあると安心なんですよ』みたいなことは、言ってあげたらいい」

 

「そこに罪悪感とかは感じない?」

 

「うーん、仕事ですから。割り切ってますよ」

 

僕は、自分が広告会社でテレビの仕事をしていた時のことを思い出していた。広告会社というのは、クライアントとメディアの板挟みになる仕事である。クライアントはテレビの広告枠を安く買いたいと言い、メディアは高く売りたいと言う。その狭間を、グレーな色を白と言ったり黒と言ったり、さまざまな方便を使って切り抜けていたなぁと。

 

僕は元々、嘘のつけない人間だ。嘘をつこうとしても、絶対に顔に出てしまう。だから、なるべく嘘をつく必要がないように、仕事をしようと思っていた。必ず誰かと誰かの狭間にいることになる広告会社は、自分には向いていないのかもしれない。そう思ったことも、二度や三度ではなかった。

 

 

 

自分のキャラクターってなんだ

 

「はじめさんは、自分が広告会社に合っていると思いますか?」

 

ほなみんにそう質問されて、僕は少し考え込んだ。

 

「コミュニケーションという意味で言えば、どんぴしゃではないと思うよ。広告代理店っていうのは『最大公約数にウケるもの』を開発することで大きくなってきた会社だと思うし。例えばこの前、会社の飲み会で『最近ハマってるものとかある?』って聞かれて『そうですね、源氏物語光源氏の感じ方にすごく共感してます』って言ったら、『光源氏ってアイドルじゃねーのかよ』って言われて、なんだろう、寂しい気持ちになったんだよね」

 

「コミュニケーションが大味になってしまうというか。みんなが同じ味付けを楽しめるようなコミュニケーションになりがちなんですね」

 

「そうだね。でも、広告会社に入ってよかったなと思うのは、そういう『みんなが楽しめるコミュニケーション』も、それはそれで楽しいって思えるようになったことだね」

 

特に、いつでも宴席を盛り上げることに血道をあげている、テレビ担当の仕事をやったことは、僕にとって大きな転機だった。飲み屋やカラオケで繰り広げられる、いつ果てるともしれない宴の時間を、彼らは死ぬ気で楽しんでいる。何もかもを忘れて空っぽになる時間も、悪くないものだ。

 

「それで言うと、そーしくんは元々そういうパーティーっぽい感じも好きだよね」

 

そーしくんは、頷きながら答えてくれた。ふわりとした前髪の奥で、優しそうな目がしばたいている。

 

「そうですね、僕は『本当の自分』について考えるというのをやめていて。どこかの本で『分人』というコンセプトを読んで、その通りだなと思って。ある場所での自分の楽しみ方と、別の場所での楽しみ方は違っていて、それでいいんじゃないかと思うんですよ。だから、アホになって楽しめる場もあれば、深い話ができる場もあっていい」

 

分人。作家の平野啓一郎氏が提唱している、「統一された、一貫した一つのアイデンティティ」という意味合いでの「個人」に対して、「その場その場で調整されたバラバラの顔を持つ存在」という意味の、新しい人間像である。

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 

「実は、僕は高校くらいまでずっとふざけてる組でした。それで言うとはじめさんとは真逆ですね。転機は大学に入った頃だったと思います。寮に入って、他の大学生たちと暮らすようになって…。そうすると、真剣に話し合わないと解決しないことがたくさん出てくるんですよ。それから、1対1で人と話すようになったんですね」

 

そーしくんの訥々とした語りに、みんなが聴き入る。

 

「1対1で話すと、自分をすごく意識するじゃないですか。高校までは、そうやって自分を意識するのがすごく怖くて。自分が全然おもしろい人間じゃないって相手にバレちゃうんじゃないかって。そんなことせずに、周りから見られているキャラのまま過ごしていれば、平穏に暮らせる。でも、その大学の寮で、いろんな人と1対1で話さざるをえなくなって、そのおもしろさがわかってきた感じですね」

 

「その『見られてるキャラで振る舞う』っていうところ、すごくよくわかります。こういう飲み会の場とかでも、最初に顔を合わせた瞬間に、『あ、今日はこういうキャラでいこう』って思ったりするじゃないですか」

 

冒頭で「カワイイキャラ」を前面に押し出してきたしょうちゃんが言う。

 

「今日は思わなくていいけどね」

 

僕は思わず口を挟んでしまう。友達が言っていた。このイベントは、世の中から遠く離れた場所、「世離し」でもあるのだと。人に気を遣ったり、取り繕ったコミュニケーションをしたり、そういうことは考えなくていい場所なのだ。もちろん、しょうちゃんは最初みんなを和ませるために「カワイイキャラ」というツッコミどころを作ってくれたのだろうけど。

 

「当たり前ですけど、今日は違いますよ。だけど、普段はそういうことは往々にしてある。そういう時に、1対1だと、ちゃんと自分を見せられたりするんですよね。ほら、はじめさんがブログで書いてたじゃないですか。『好きな子と2人で飲みに行けば良さがわかってもらえる』って」

 

しょうちゃんの言葉に、他の2人も「あー書いてた書いてた」と反応する。そういえば、そんな記事を昔書いたような気がする。自分が忘れていた文章を、周りの人はみんな読んでいて、それを覚えている。それは、幼い頃の自分の写真を見せられた時のような、少し恥ずかしくて、だけどなんだか懐かしいような、嬉しいような、ふわふわした気持ちだった。

 

「みんなが求めているキャラクターどおりに振る舞うと、すごく楽なんだよね。会社でも、周りの人に対して『表面的じゃない、その人自身の部分』に興味を持っている人はごくわずかだなぁと思う。でも、自分のテーマとして、そういうのを全部解体したいっていうのがあるんだよね」

 

僕は、ごく個人的な趣味として、会社で所属している野球部の試合の様子や、会社の人と行った登山や旅行の様子を、文章にして参加者に共有するということをやっている。それは、もちろん自分が文章を書くのが好きだということや、一緒に何かを楽しんでくれた人への恩返しということもあるけれど、一番大きいのは、「この人は実は会社の外でこんなことをやっているんだ」「実はこんなことが好きで、こういう話をする人なんだ」ということを、少しでもいろんな人に知ってもらいたいからだ。

 

この『よばなし』の少し前、2017年7月期の『ウチの夫は仕事ができない』というドラマの第1回を観て、僕は号泣していた。会社という場所では、「仕事ができるかどうか」が、ともすればその人の人間性のすべてになってしまう。ものすごく甘い考えだろうけど、僕はそんなふうに人を見たくない。サラリーマンである前に、人間なのだ。いくつになっても、僕は人をまっすぐそのまま見ていたい。

 

自分の書く文章で、身近な人たちがちゃんと生きているんだっていうことを書き残して、その人たちどうしが少しでも「ああ、この人はこういう人なんだ」って思ってくれたら、僕は本望だ。

 

 

 

金融の会社に行かなかった理由

 

良い感じによばなしが繰り広げられる中、運ばれてきた美味しそうなステーキに喝采があがる。

 

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僕は肉を切り分けながら、ほなみんに話を振った。

 

「ほなみんは何を勉強してるの?」

 

彼は、ステーキを受け取りながら、いつものように目をキラキラさせて答えてくれた。

 

「経済学ですね。学部の時は数学を勉強してたんですけど、大学院では計量経済学を専攻してます。金融系でクォンツの内定ももらってたんですけど、辞退して広告会社に入ることにしました」

 

クォンツというのは、株式などを数学的な考え方に基づいて分析し、利益をあげていく専門家のことだ。ほなみんはなんでもないことのように語っているが、実際になれる人間の数は非常に限られている。おそらく、日本でクォンツとして1年間に採用される人の人数は、同じ1年間に東大の医学部に受かる人間の数よりも少ないのではないだろうか。

 

「その金融の会社を辞退する時に『お前、今から他の会社を受けるリスクとか考えてるのか?』と言われたんですけど、まったく考えてなかったなぁと。散々研究でリスク分散とかやってきたはずなのに、これまで何を学んできたんだって感じですよね」

 

ほなみんは、人懐っこそうに笑う。

 

「クォンツなんて、誰でもなれるわけじゃないのに、なぜ辞退したんですか?」

 

同じ金融系とあって、しょうちゃんは興味津々だ。

 

「内定者懇親会に出た時に、やっぱりお金に興味持ってる人が多くて。『俺は年収1億円を目指す』『俺は5000万くらいで良いかなぁ』みたいな話をしてて。そういう価値観の場所なんだと思って、自分はここじゃないのかなって思ったんですよね。そうやって一度ゼロベースで考えてみて、やっぱり自分はコミュニケーションが好きだし、何かをつくるのが好きだし、数字のことも一応わかるし、じゃあ、文系的なことも理系的なことも仕事でできる広告会社かなって思って」

 

大学3年生の頃、絶賛自分探し中かつ人生史上最高に意識高めだった僕は、外資系の金融やコンサルを片っ端から受けて当たり前のように撃沈し、自らの及ばない世界のことを痛感していた。その時の僕が見たら、ほなみんはとてつもなく羨ましい存在だっただろう。しかし、今思うのは、結局どれほどの選択肢が用意されていようと、水が低いところに流れるように、人は自分に合った場所に落ち着いてくるということだ。

 

 

 

数式は言葉と同じ

 

「ほなみんは、何を原動力に勉強してたの?」

 

「んー、シンプルに言えば恩師の言葉ですかね。小学校の時、ちょっと他よりはできる子だった。それで友達が塾に行きだして、連立方程式とか、四字熟語とか、自分の知らないことを言ってくるんですね。で、知らないのが悔しいから、勉強していた。そうしたら、ある日先生から『お前、東大か京大目指せ』って言われて。卒業式の時も『お前は東大か京大しか許さん』ってその先生から言われて。大学受験をする時、なんだかんだ言ってその言葉が頭にちらついて。結局京大の理学部に行くことになるわけですけど、自分が目指す場所を早いうちに示されたことは、今となってはよかったのかなと思います」

 

ほなみんと僕は、学年こそ違えど大学・学部がまったく同じだ。今思い返すと、京大の理学部には、相当濃厚な人間が集まっていたように思う。入学手続きの日、列になって順番を待っていると、僕の前に並んでいた寡黙そうな男が、10秒に1回くらいの頻度でルービックキューブを高速回転させては絵柄を揃えるという芸当を、誰に見せつけるわけでもなく繰り返していて、僕は「ああ、ヤバいところに来てしまったなぁ」とワクワクしたものだった。

 

「理学部、ロマンありますよね。僕はやっぱり数学が好きで。化学とか物理とか、だいたい数式で書けるんですよね。数式を見ると、そこに何かしらの意味が詰め込まれている。数式は全部の根本なんですよね。じゃあ、数学やるか、みたいな」

 

僕は、大学のクラシックギター部の先輩のことを思い出していた。工学部の大学院にいながら小説家を目指していたその先輩が口ぐせのように言っていたのは、「E=mc^2という式にも、アインシュタインの世界の見方が凝縮されている。客観的なものは何一つない」という言葉だった。

 

無味乾燥に見える数式にも、意味が込められている。人が理学を志す理由は、世界を理解したいという気持ちであり、そのためのツールが数字や数式なのだ。それはちょうど、作家が人を理解したいと願い、そのための手段として言葉を用いるのと、そっくり同じなのだ。

 

「でも、文系も楽しそうとか、文系コンプレックスみたいな気持もありますよ。それは、自分を規定したくないからかもしれないですけど。就職活動であるじゃないですか、『あなたを一言で表すと?』みたいな。僕、自己評価がものすごく高いんで、『いやいやいや、これだけじゃないから。氷山の一角だから』とか思っちゃうんですよ。『理系なんですね』みたいに言われるとすごく嫌で。だから、自己紹介するのも嫌いだし、理系・文系みたいなのも無いと思ってるし。留学に行ったのも、たぶんそれが理由なんですよね」

 

ほなみんは、イギリスに留学して、現地のパブでドラムを飛び入りで叩いたことがきっかけで声を掛けられ、ビートルズのお膝元で1年間バンドをやっていたというエピソードを持っている。器用な男だ。

 

「それって、さっきのキャラクターの話にも通じるよね。一つに決められたくない、でもそう振る舞っていると楽、みたいな」

 

「そう。もちろん、あるんですよ。理系っぽい、文系っぽい、そういう雰囲気って。でも、僕だけは違う!みたいなエゴがあるんですよね」

 

 

 

田舎にいたくなかった

 

「留学の話をちょっとしたんですけど、みなさんは海外旅行とかしますか?」

 

ほなみんの質問に、そーしくんが答える。

 

「休学して、モロッコとか、8カ国くらいを回ってました。イスラム圏だと、『旅人はもてなさなければならない』っていう教えがあって、すごく手厚く扱ってくれるんですよね。でも、旅を始めて3カ月くらい経った時に、なんか生きてる感じがしないなぁって思っちゃったんですよね。自由に使えるお金や時間があって、でも社会に属してないというか。それで、1年行くつもりだったんですけど、半年くらいで帰ってきちゃいました」

 

僕が大好きな沢木耕太郎氏の『深夜特急』という本の中に、「旅人というのは、結局はその現地の生活や社会に所属できず、流れてゆく存在でしかない」という旨の記述がある。そーしくんの話は、僕にそのことを思い出させた。

 

「僕は海外旅行とか行ったことないですね。ドメスティックな人間なので」

 

しょうちゃんが言う。

 

「正直に言うと、この中で一番普通の人に近いのは、私だと思いますよ。ちょっと変わった経験って言っても、休学してキャバクラで黒服として働いていたくらいで」

 

みんなから口々に「似合う!」「おもしろそう!」という声が飛ぶ。しょうちゃんもまんざらではない感じだ。

 

「おもしろかったけど、大変でしたね。北九州だったし、怖い人たちもよくお店に来てました。一緒に働いていた友達はベンツ買って乗り回したりしてて…。まあ、お金を稼ぐためにやったんですけど、いい経験でした」

 

時折入る仕事のメールに対応しながら、しょうちゃんは語った。

 

「自分の高校では、大学に行ったのは100人いたら8人くらいで。故郷にはいわゆるマイルドヤンキー的な人たちしかいなくて…。田舎のゆるい感じというか。ずっと同じメンツで遊んでいて、ずっと同じ話をしていて。自分の中には、ずっとそこに対する反発があった。だから、東京までやってきたんだと思います」

 

僕がしょうちゃんと知り合ったのは、自分が京都で大学生をやっている時だった。その時から、とても向上心が強く、「絶対に成功してやる」という気持ちを持った人だなぁ、と感じていた。その理由はこういうところにあったんだと、僕は今になって知った。

 

 

 

みんなが集まる場所をつくって

 

再び、そーしくんが話している。

 

「海外に行って思ったのは、外国には『みんなが集まる場所』がある、ってことなんですよね。広場なり、教会なり。昔だと、日本でも神社とかお寺とかがその役割を果たしていたのかなって思うんですけど、今はそういう場所がないなあって。で、それを作るとしたら、行政の役割なんじゃないかなと思って、それで市役所に入ったんですよね」

 

「井戸端会議の井戸端が、今は無いですもんね」

 

「ある種この『よばなし』もそういう場の一つかもしれないな」

 

ほなみんと僕は、それぞれ思ったことを言う。

 

「でも、普通の人の声を聞くのが、一番難しいんですよね」

 

そーしくんは、「みんなが集まる場所」をつくることで、地方創生に繋がるような施策を考えていると言う。

 

「地方創生は取り組んでくれる人とそうでない人の差がものすごく激しい。本当に普通の生活をしている人たちからしたら、地方創生なんてどうでもいいことなのかもしれない。でも、僕が聞きたいのは普通の人の声なんです」

 

僕はそれを聞いて、思わず「優しいなぁ」と言ってしまった。「自分の地域を盛り上げたい」なんて夢にも思っていない人たちがいて、それでもその人たちの話こそ聴くに値するものなのだと言うこの人は、とてつもなく優しいと。

 

「優しいですかね…」

 

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「そーしくんは、長野でもこの『よばなし』みたいなことをやってるんだよね」

 

「そうですね。普通に生きている、いろんな人たちのことをインタビューしたいと思ってます。でも結局、そういうことを言って集まってきてくれるのは、その町で有名だったりする人なんですよね」

 

正直に言えば、この『よばなし』だって、「普通の人」が集まっているとは言い難い。しょうちゃんがいみじくも看破したように、そーしくんもほなみんも、十二分に「すごい人」だ。それは、ここまで読んでくれた方なら、よくわかると思う。そしてその批判は、僕に対しても向けられるものだと自負している。そもそも、こんな企画をやろうなんて時点で、「普通じゃない」のだ。

 

だけど、「普通の人」とか「すごい人」とか、そういうのを全部排除して、ただその人だけを見て話をしたいという気持ちは、僕の中にずっとある。

 

僕が『よばなし』をやりたい理由は、それだけだ。

 

世の中の人たちが、歪みや先入観なしに、ひたすらしゃべったり笑ったりできるような場所があればいい。

 

「実は、一番最初に『よばなし』を構想した時は、『他の場所では話せない、ニッチな価値観や悩み』を話す場所やと俺は考えてたのね。でも、最近は、ここで何を話したっていいやって思う。それこそ、最初にあった『しょうちゃんがカワイイキャラかどうか議論』みたいなアホな話でもいいし。ただ、4人で話すということだけ、決めていればいいって」

 

「これは僕の私見なんですけど、みんな『他の人が飲み会で何話してるんだろう?』って思ってると思うんですよ。それこそ、そーしさんの言っている普通の話というか。だから、『よばなし』は需要があると思いますよ。東海テレビの深夜枠に『千原ジュニアのヘベレケ』っていう、ただひたすら千原ジュニアさんが飲んでる番組があって、それはもう死ぬほど見てますね。お店を3、4軒回るんですよ。僕も家でそれを観ながら、1軒目で缶ビールをプシュ、2軒目で缶ビールをプシュ、みたいな」

 

ほなみんの話に、みんなが笑った。それは、とてもあたたかくて、居心地の良い笑いだった。

 

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思えば僕は、人に自分のことをわかってもらえないということについて、ずっと悩んで生きてきた。それは、高校の時に「おもしろくない自分は受け入れてもらえない」という自意識に取りつかれ、ずっとその気持ちに引きずられてきたからだ。

 

だけど、最近思っている。わかられるとかわかられないとかより、人と楽しい時間を過ごせるかどうかの方がずっと大切だって。わかってもらえなかったとしても、思い切って自分のことを全部見せてしまえば、相手は絶対に楽しくなってくれるんだって。

 

『よばなし』が、みんなにとって「楽しい時間を過ごせる場所」になってくれたらいい。きっとなってくれる。

 

僕は、確信に満ちた足取りで、雨上がりの古い街並みを縫うように歩いていった。あちこちにできた水たまりが、夏の夜の神保町を映し出していた。

 

いたずらっ子のようにスニーカーで水面を乱しながら、僕は駅へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

今回使わせていただいたお店はこちらです。

 

ビストロ アリゴ

https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13116995/

 

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料理も美味しくて、とても素敵な雰囲気のお店でした!ありがとうございました!

「良い子100%」で生きる。

僕は人を嫌えない。

 

すぐ傷つくくせに相手のせいにできない。

 

いつでも優等生であろうとしてしまう。

 

人事やカウンセラーのように、人の話ばかり聴いてしまう。

 

つまるところ、良い子であろうとしてしまう。

  

 

 

これらは、ずっとずっと、僕が否定したかった自分の特性だった。

 

 

 

半年前、僕は「良い子」という呪いを携えて生きるということ。という記事を書いていた。

 

この中で僕は、「良い子」というのは逃れられない呪いであり、それを最大限活かして生きるしかない、と書いた。読んでいただけるとわかるように、割と悲壮感漂うトーンの文章だ。

 

「良い子」ではない、自分を貫いている人。確固たる自分自身があって、それに従って生きている人。文中では「自己実現(できている人)」「やりたいことがある人」などと書いているが、そういう人への憧れが後ろに透けて見える、そんな文章である。

 

「良い子」であるのは不本意だけれど、それは仕方ない。消えない呪いは、利用して生きよう。それが、半年前に僕が思っていたことだった。

 

 

 

だけど、今は思う。

 

 

 

「良い子」って、めちゃくちゃ長所じゃないかと。

 

「嫌いな人がいない」って、死ぬほど素敵じゃないかと。

 

「優等生」って、いなきゃ世界は回らないよって。

 

「相手の話が聴ける」って、そんなに誰にでもできるようなことじゃないって。

 

 

 

僕はいつからか、他人から見て「良いところだよ」って言われる自分の特性のいくつかを、否定して生きていたように思う。

 

ネガティブな特性(例えば僕で言えば「高校時代リア充でなかったこと」へのトラウマ)よりも、ポジティブな特性の方が、「自分がそれを否定していること」は気付きにくい。

 

なぜなら、他人から褒められる部分というのは、健康診断で「問題なし」と言われているようなもので、自分で多少違和感があっても「まあ、いいか」と思ってしまう部分だからだ。

 

テレビ局担という荒療治によってネガティブな特性を受け入れることができた僕だったが、「良い子」をはじめとするポジティブな特性は受け入れられていなかった。

 

 

 

なぜ、ポジティブな特性である「良い子」を、僕は否定してしまっていたのだろうか?

 

その分析は、先の記事でもう済んでいる。

 

「やりたいことをやれていない人は、人生の失敗者だ」という価値観が、小さい頃から僕の中にあったからだ。

 

それは、僕の両親がずっと「お前はやりたいことをやって生きろよ」と言ってくれていたからだと思う。

 

これ自体は、まったく問題のないメッセージだと思う。むしろ、僕が親だったとしても、同じことを子どもに言って育てたいくらいだ。

 

問題は、受け取り手である僕の方にあった。生まれついての「良い子」であった僕は、「やりたいことをやって生きること」を「与えられた条件」として、それを満たすことを目標に、これまで生きてきてしまったのだ。

 

先の記事にも書いたが、「良い子」というのは、「与えられた価値基準の中で、良い結果を出すために努力できる人」のことである。「良い子」である僕は、「やりたいことをやって生きること」を、「与えられた価値基準」として設定してしまったのである。

 

「人の喜ぶことを率先してやる」「人の言うことをちゃんと聞く」といった「良い子」的な価値観は、「やりたいことをやる」のとは真逆で、だからこそ僕は学生時代から今にかけて、その狭間で死ぬほど苦しんだのである。自分が本当は「良い子」なのに、「良い子じゃない、自分のやりたいことをやっている人」を目指そうとしていたから。

 

それにつけても思うのは、教育というものの難しさである。どんな風に育てたとしても、子どもは親の影響をめちゃくちゃ強く受けて育たざるをえない。僕が子どもを育てる時は、「自分の言動は知らず知らずのうちにあなたに強く影響しているだろう。将来大きくなって何かが辛いなと感じる時は、親の影響についても考えてみてほしい」と言おうと思う。

 

(僕は今も両親の教育には心の底から感謝している。その気持ちについては、少しも変わるものではないことだけは、ここに書いておきたい。)

 

 

 

もう28歳になろうかというタイミングで、こんなことに気が付くなんて、人生は何が起こるかわからないなぁと思う。

 

そして、「自分は良い子なんだ」と気が付いてから、僕の人生はこれまでにない面白い動きを見せてくれている。

 

僕は「良い子100%」で生きる。

 

すべての人を信じて、自分を全部見せて、惜しまずに与えて、思ったことを口にして…。

 

それがどこに繋がるのか、何をもたらすのか、今の僕には見当もつかないけど、とてつもなくワクワクしていることだけは事実だ。

 

「良い子」って、本当に素晴らしいことだって、地球上のすべての「良い子」な人に届けばいいなって、そう思ってます。

 

「良い子」という呪いを携えて生きるということ。

最近、会社で「お前は本当に良いヤツだな」と言われることが多い。

 

これは自慢でもなんでもなく、むしろ皮肉やからかいといったニュアンスを多分に含んでいるのだが、確かに僕は自分自身「とても良い子」であると思っている。

 

大学生の頃の僕は、「良い子」であることがこの上なく嫌だった。優等生であることより、自分の好きなことで生きていける人になりたいと思っていたし、「自分が生涯かけて成し遂げたい夢」を探して、人一倍あちこち駆けずり回っていたように思う。

 

しかし、今思うのは、自分は「良い子」としてしか生きることはできないのだな、ということ。そして、もしそうであるなら、自分が「良い子」に生まれついてしまったという呪いを最大限利用して、生きてやろうじゃないかということだ。

 

今日は、僕と同じように「良い子」である人に向けて、「良い子が幸せに生きるためにはどうすればよいか?」ということについて書いてみたい。

 

 

 

まず、「良い子」の定義をしておこう。

 

僕が思うに、「良い子」の定義とは、「与えられた価値基準の中で、良い結果を出すために努力できる人」だと思う。

 

想像しやすいのは、「クラスの優等生」だ。内申点を取るということがよい高校に進学するのに有利なのであれば、定期テストで高得点を取り、学級委員などの雑用を進んで引き受け、部活でもリーダーシップを発揮する。嫌なヤツかというとそうでもなく、人を見下したり差別したりせず、誰にでも人当たりよく接することができる。

 

ここでのポイントは、あくまでその価値基準が「与えられた」ものであるということだ。学校であれば「良い成績を取ること」、会社であれば「仕事で結果を出すこと」が、その価値基準になるだろうし、人が集まる場所であればどこでも「そこにいる人と仲良くやること」が、大切な価値基準になるだろう。

 

自分で「作りだした」価値基準ではなく、誰かから、どこかから「与えられた」価値基準。それが、「良い子」にとっての重要な指針となる。

 

 

 

振り返ると僕は、ものごころついた時から今の今まで、とてつもなく「良い子」であったように思う。

 

両親の名誉にかけて言うが、僕は決して「テストで良い成績を取り、先生に好かれる優等生になりなさい」と言われて育ったわけではない。むしろ両親は、事あるごとに「お前は好きなことをやって自由に生きろ」と僕に言い続けていたし、そのためにいろんな環境を準備してもくれた。

 

その教育方針を示す、象徴的なエピソードがある。僕が小学校5年生の時に参加した、サマースクールというイベントだ。

 

サマースクールは、今はもう亡くなってしまったジャック・モイヤー氏という海洋学者が始めた野外学習プログラムといった趣のイベントで、小学校高学年から高校生までの青少年たちが伊豆諸島や沖縄の慶良間といった日本各地の離島に集い、昼はスキンダイビングシュノーケリング)をして海中を観察し、夜は昼間見た生物の生態について、モイヤー氏をはじめとした講師陣の講義を受ける、といった内容だった。

 

僕は子どもの頃から生き物が好きだったし、自分が興味を持ったものについて、本を読んだり話を聴いたりするのが好きだった。そうした姿を見た親が、このイベントに応募してくれたのである。この体験から、僕は将来生物学者になりたいと考えるようになる。

 

サマースクール以外にも、両親は僕のやりたいことのためにあれこれと環境を整えてくれた。僕がやりたいと思ったことを、自由に応援してくれる人たちだった。そのことについて僕は心から感謝しているし、自分が子どもを持ったら、そんな風に育ててあげたいと思っている。

 

 

 

一方で、僕はこの国の教育課程において、一貫して「良い子」であった。

 

この「良い子」がどこから来たものなのか、未だに僕はわからない。生来のもの、と答えにならない答えをつぶやくしかないのである。

 

少なくとも中学を卒業するまで、学校の勉強で苦労したことはなかった。部活ではキャプテンをやり、生徒会なども頼まれれば立候補した。きっと教師からすれば、とても扱いやすい優等生という印象だったのではないかと推察する。

 

高校は、とにかく部活と勉強に一所懸命だった(部活と勉強の両立というのが、公立高校にとってこれ以上ない「良い子」像であることは、議論の余地がない)。高校野球の激戦区・大阪では、僕の通う高校が甲子園に出ることなど夢のまた夢だったが、それでも毎日必死に練習していた。レフトのフェンスまで60mほどしかない小さなグラウンドが使えない日には、母校の目の前にある大阪城の急坂を何度も駆け上がり、「秀吉め、こんなキツい練習環境を後世に遺しやがって…」などと悪態をついたりしたのも、今となっては懐かしい思い出だ。

 

野球部を引退してからは、立花隆氏の『脳を鍛える』という本に頭をかち割られるような衝撃を受け、上述のサマースクールに参加する中で心に抱いた「生物学者になりたい」という夢を無条件に信じて、大学に合格するために一心不乱に勉強した。

 

その中で、「本当に自分は学者になりたいのだろうか?」といった問いは、心に浮かぶことはなかった。仮に浮かんだとしても、「まあ、それは大学に受かってから考えればいいか」と思っていたことだろう。

 

日本においては、大学に入学するまでは、「やりたいことを見つけた時のために選択肢を広く持っておく」ことと「良い子でいる」ことはパラレルであり、ほぼイコールになっている。

 

中学生、そして高校生だった頃を振り返っても、僕は将来の自分が「やりたいことを見つけられない」という事態に陥ることなど想像もしていなかった。とにかく、選択肢を幅広く持っておくためには、難しい大学に入っておいた方がいい。やりたいことは大学に入ってから本格的に固めればいい、そう思っていた。

 

 

 

しかし、大学に入ってじわじわと感じていったのは、「自分が何をすればよいのかわからない」という絶望であった。

 

大学では、何をやるかは個人の自由である。特に、僕の入った京都大学は、本当に「何をしても良い大学」であり、その中でも理学部というのは、京大らしさを煮詰めて瓶詰めにしたような場所であった。なにせ、生物専攻の人間が数学の講義を受けても、単位として認められるような学風なのだ。僕のクラスメートの中には、嬉々として1回生の早々から研究室に通い、2回生の時には論文を書いて、それ以降は研究のために世界を飛び回っているような人間が何人もいた。

 

つまり、「テストで点を取っていれば良い子」だとか「部活に真剣に打ち込んでいれば良い子」だとかいう考え方が、大学では消えてしまうのである。かろうじて、国家公務員や弁護士といった難関資格に合格することや、就職活動で一流とされる企業に入ることが、「良い子」的な考え方なのかもしれないが、京大の理学部にはそうした風潮はみじんもなかった。

 

そんな環境の中で、僕は自分が何をやりたかったのかを見失ってしまった。

 

最初は、これまで信じていた夢に従って、生物科学の研究室を志し、スキューバダイビングのサークルに入った。「自主ゼミ」と呼ばれる学生の自主勉強会に顔を出し、生物科学徒のバイブルとも言える『Essential 細胞生物学』をノートにまとめていった。ダイブマスターの免許を取ることを目指して、サークルのツテを頼って沖縄・久米島にあるダイビングショップに泊まり込み、プロのインストラクターたちに怒鳴られながらアルバイトをした。海洋生物学者という、わかりやすい、きちんと世の中的に名前のついた職業を目指して、僕は順調に歩を進めているかのように思えた。

 

しかし、どうも気が乗らない。生物学の講義の単位は落とすし、ダイビングも大きな合宿以外は顔を出さなくなっていった。所属していたもう一つのサークル、クラシックギター部の部室にこもって、昼間から授業をサボってギターばかり弾いている人間になってしまった。それでも大学の構内にいるならまだマシな方で、ITベンチャーで新規事業と称して石の鉢を売ろうとしたり、『夜は短し歩けよ乙女』に出てくる京大の学祭でドクターフィッシュを泳がせた足湯を出そうとしたり(参照:変人なんて、やめちまえ。)、さし飲み100人斬りをしたり、インターネットで人を集めてウェブサイトを立ち上げたり、果てはご存じのとおり、インドに行って高級アパートを売り歩くインターンにトライしたりした。

 

たぶん、事情を知らない人からすれば「こいつは何をやっているんだ?」と思うに違いない、そんな大学生活だった。それでも自分の中では、「これがやりたいのかもしれない」という気持ちが芽生えるたびに、骨でもしゃぶるようにその希望にすがりついていたのだ。学者、サイエンスライター、新聞記者、起業家、経営コンサルタント…。だがそのどれも、「自分の本当にやりたいこと」ではなかった。

 

 

 

望むと望まざるとにかかわらず、僕は大学の時に、自分の中の「良い子」と決別したつもりだった。

 

元々僕は、「良い子」的な特徴を多分に持ちながら、自分がやりたいことをやって暮らしていきたいと願っていた人間だった。高校までは、「良い子」であることと「自己実現」がうまく共存できていたから、何も疑問を持つことなく「よし、人生はうまくいっている」と確信できていた。いわば「良い子」と「自己実現」は車の両輪であった。

 

しかし、大学という自由な場所では、「良い子」という概念は消失する。それまでと同じ車で走ろうとしても、既に車輪の片方が外れてしまっている以上、前進は望めない。

 

さあそれでは「やりたいこと」に向かって駆け出そうか、と思ったものの、自分がやりたいことだと思っていたものと向き合ってみると、なんだか違う。そんな風にして、「良い子」と「自己実現」の両方の車輪を失ってしまった僕は、今自分が向かおうとしている方角がどの方角なのかもわからず、迷走し続けたのである。

 

繰り返しになるが、僕は高校生の時点では「やりたいこと」が比較的明確にあった人間だと思っている。海が好きだったし、生き物が好きだったし、活字を読んだり生み出したりするのが好きだった。生物学者の他にも、ダイビングのインストラクターだったり、モノカキだったり、そういう仕事ならできるんじゃないかとも思っていた。そんな僕が、やりたいことを見つけられないなど、大学に入る前は想像もしていなかったのだ。

 

 

 

大学1年の春、就職活動をしていたスキューバダイビングサークルの先輩との会話の中で、今でも心に残っている言葉がある。

 

「好きなことを仕事にして生きていくのは、無理なことやで」

 

その時僕は、強烈に腹が立ったものだった。そんなこと勝手に決めるな、お前はそうなのかもしれないが俺はそうじゃない。嘘だと言うのなら、証明してやる―。

 

だが皮肉にも、そこからの大学時代で証明されていったのは「自分はやりたいことを見つけることができない」という、思ってもみなかった命題だった。

 

世界中のカラスを確認した後でなければ、「白いカラスは存在しない」ということは証明しえない。同じように、自分の興味のあることをすべて試してみた後でなければ、「自分は夢ややりたいことを見つけることができない」とは言い切れない。

 

僕は藁にもすがるような気持ちで、脈絡など度外視して、新しい経験を求め続けた。夢が見つかるということが、世界のどこかに白いカラスを発見するのと同じくらい、稀有な可能性だったとしても。

 

 

 

6年に渡る苦闘の末、僕は広告代理店に入ることにした。

 

高校までの「良い子」という属性を失い、「自分のやりたいこととは何か」を問い続けた結果、「限りある時間の中ではやりたいことは見つけられない」という結論に達した僕は、「やりたいことが見つからない生き方でもいいじゃないか」という自分のマイノリティなメッセージを広めたいと思い、広告代理店を志望した。

 

そこで待っていたのは、かつて自分が決別したはずの「良い子」との再会だった。

 

仕事というのは、お金という強制力の介在により、普段の自分なら到底取り組まないようなことに挑戦させるものだ。お金をもらってしまえば、得意だ不得意だ、好きだ嫌いだなどとは言ってられない。それはつまり、「クライアントの喜ぶこと」が「与えられた価値基準」となり、「良い子」を駆動させていく、ということだ。

 

広告代理店のテレビ局担当となった僕は、高校時代のトラウマによってあんなにも距離を置いていた「テレビ業界」の人たちと、日夜濃厚に絡み合うこととなった(参照:僕が「スクールカースト」から解放された日。)。

 

僕が「良い子」でなければ、ここで仕事を辞めていたかもしれない。それほど、僕は「リア充」的なものに苦手意識を抱いていたのだ。しかし、幸か不幸か僕はやっぱり「良い子」だった。苦手だと言って飛び出すよりは、その場所のルールを見定め、そこで評価される努力をする方が性に合っていた。

 

テレビ局担当となった僕は、各局の視聴率を眺め、自分の担当する局の強みを把握し、どのクライアントがどんな番組にCMを流してほしいのか、細かく頭に叩き込んだ。自己流の数式を作って、どうやったら担当局に発注がもらえるのか仮説を立てた。厳しい交渉の中で「お前はもう電話してくるな」と言われても、「嫌われたくない!」という一心で、しつこく相手にまとわりついた。すべて僕が「良い子」だったためだ。

 

普段の業務以外でも、「良い子」であることは役に立った。会社の部活動や、有志の活動で、僕は率先して雑用をやることにした。「若手は雑用でもなんでもやって下積みの中から学べ」という価値観と、「そうした体育会系的な考え方が生産性をなくしているのだ」という価値観のどちらが正しいのか、僕にはわからない。ただ思うことは、「若手が雑用なんて時代は終わった、俺は好きなことをやるんだ」と思っている人が多ければ多いほど、「良い子」的なあり方の価値は、相対的に高まるということだ。「良い子」的なふるまいに苦痛を感じないのであれば、雑用でもなんでもして、人とのつながりを作っていった方が、自分のためになるのだ。

 

そうした「良い子」的な活動の中で、次第に「自分とは何か」という疑問の答えが明らかになってくる。そこにつながっている「自分のやりたいこと」も、少しずつ見えてくる。

 

最近、僕が「良い子」でなければ書けなかったであろう局担の記事が、少なからず業界内で読まれたことによって、社内のまったく知らない人から「何か書いてくれないか」と頼まれることになった。そのうちにこのブログでも告知をするかもしれないが、ミレニアルズ世代について書く予定だ。「自分探し」や「キャリア」のことなら、僕以上に悩んだ人間はそうそういないだろう。そうした自分のテーマとミレニアルズ世代を絡めながら、書いていくつもりだ。入社当時に掲げたマイノリティなメッセージを広めるという志望動機は、もしかしたらここで叶うのかもしれない。

 

 

 

会社に入って改めて思ったのは、自分はこの「良い子」という属性から、生涯逃れることはできないだろうということだ。自分がゼロイチで何かを創り出すのではなく、既にある仕組みの中で「良い子」としてふるまうことしか、自分にはできそうもない。

 

自分が「良い子」であることは、しかたのないことなのだ。それは、どれだけ拭い去ろうとしても消えない呪いである。もしそうだとするなら、「良い子」を最大限自分のために利用して、生きてやろうじゃないか。

 

「良い子」なんて言われるのは嫌だし、もっと自分の夢をかっこよく形にしていっている人のように生きたいけど……。僕にはこんなふうに、泥臭く生きるしかないのだ。

 

 

 

既にお気付きかもしれないが、僕が今日ここで書いたことは、すべて対症療法にすぎない。本来であれば、「自分が本当にやりたいこと」を見つけられるような教育の在り方や人の生き方を、誰か偉い人が説くべきなのかもしれない。

 

しかし、僕が教育を受けた時代は「学歴至上主義ではなく各々の自己実現を可能にする」すなわち「個人がやりたいことをやって生きる」という名目で実施されたゆとり教育のど真ん中だ。その中身には賛否両論あるだろうが、「個人の可能性の実現」が大義名分として掲げられた教育を受けた僕が、ここまで自分のやりたいことを叶えられていないのであれば、それは教育ではどうにもならない性質のものなのではないだろうか。つまり、人間の本質として、「やりたいことをやって生きる」というのは、困難なことなのではないだろうか。

 

そして何より、僕はもう修正の効かない27年間を既に過ごしてしまっており、そこに「理想の教育」や「理想の人生」を持ち込もうとしても、時を巻き戻すことは不可能なのだ。

 

であるなら、今ここにいる自分が少しでもよく生きることができるような対症療法を提示するのも、悪くはないのではないだろうか。

 

「自由に、やりたいことをやって生きようよ」という無邪気な掛け声が、誰かの気持ちを暗くしているとしたら、僕はこう言ってあげたい。

 

「良い子」という呪いを携えて生きることだって、人間には選べるのだと。

検索エンジンには捉えられない「雰囲気がどんぴしゃに似てる」作品5組。

小説を読んでいて、音楽を聴いていて、あるいは映画を観ていて、「あ、この作品はあの作品に似ているぞ!」と思ったことが、誰しも一度はあるだろう。

 

当然、別のジャンルの作品どうしよりは、SF小説ならSF小説、ロック・ミュージックならロック・ミュージックといった同ジャンル内の方が、そういった繋がりを発見することは多いだろう。昨今はインターネットという便利なものがあるので、「ビートルズボブ・ディランが接触した結果、前者はメッセージソングを歌い始め、後者はフォークギターをエレキギターに持ち替えた」といった詳細な相互関係を、知識によって把握することも可能になった。

 

ちなみに、ロック・ミュージックのファンであれば、こうした「ミーム的な繋がりに基づいて次に聴くバンドの目星をある程度つけてしまう」という経験には、思い当る節があるだろう。

 

一方で、ジャンルも時代も国籍も異なっており、その間には何の繋がりも無いはずなのに、同じ匂いを嗅いでしまう作品の組み合わせというのも、確かにある。生物学で言うところの相似器官、ルーツを同じくしないはずの昆虫の翅と鳥の翼のような関係である。

 

僕は、そうした相似の対を見つけると、つい嬉しくなってしまう。それはきっと、四半世紀もそれについて考え続けている「自分自身」なるものが、まったく別の作品に同じような反応を見せたという事実をもって、少しは自分がその正体に近づけた気になるからだと思う。

 

今日は、ミーム的な繋がりのない(はずの)相似的な作品のジャンルを超えた組み合わせを紹介することで、僕と似たような感覚を持つ人たちへのリコメンドになればいいなと思う。  

 

 

 

 

 

1, 【映画】ハル・アシュビーハロルドとモード 少年は虹を渡る』と【音楽】ザ・スミス

 

ハロルドとモード 少年は虹を渡る』は、「アメリカン・ニューシネマで好きな作品を3つ挙げてくれ」と僕が言われたら、必ずその名を挙げるであろう作品だ(ちなみにあとの2つは『イージー・ライダー』と、ニューシネマと呼んでよいのかわからないが『チャイナタウン』)。

 

主人公ハロルドは自殺を演じることが趣味という19歳の少年。ある日、縁もゆかりもない他人の葬式に参列した先で、79歳の老女モードと出会い、恋に落ちる―。いかにも「カルト映画」と呼ばれる作品にありがちな訳のわからなさが匂ってくるようだが、プロットがとてもしっかりしていて、ニューシネマには珍しい希望を(それも純度100%の希望ではなくコクと深みのあるやつを)受け手に抱かせてくれる作品なのだ。

 

 

一方で、ザ・スミスというバンド。非常に内省的で繊細な音を奏でるバンドだ。「もしロッカーが作家をやるなら成功しそうなのは?」という問いがあるとすれば、僕はザ・スミスモリッシージョイ・ディヴィジョンイアン・カーティスを挙げると思う。ただ、両者を隔てる壁は、(結果論であるが)前者は生き残り、後者は死んでしまったということだ。そういう意味でも、『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』という作品に漂う雰囲気は、ジョイ・ディヴィジョンではなくザ・スミスに近い。

 

鬱々とした青春時代に、授業をサボって観るのに最高な映画であり、最高な音楽であると思う。

 

ハロルドとモード/少年は虹を渡る [DVD]

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The Smiths: Reel Around The Fountain

 

 

 

2, 【小説】川上弘美『神様』と【音楽】スピッツ

 

小説を読んでいて音楽が思い浮かぶことは、僕の場合ほとんどない。それでもこの両者の名前だけは、挙げずにはいられない。

 

川上弘美は、これまでのところ女性作家で一番好きだと思える書き手である。これは僕が男だからかもしれないが、女性の方が男性に比べて、その作家特有の心理描写の傾向があるように思う。そこに共感できないと辛いし、共感できるとめちゃくちゃ入り込める。川上弘美以外だと、田辺聖子も好きな作家である。

 

川上弘美の作品は、ビー玉のように透き通っていて可愛らしくて、僕はそういうラムネみたいな作品にめっぽう弱いのだ。なんとセンチメンタルな我がガラスのハート…ではあるが、そういうのにビンビンに感じてしまうのだから仕方ない。

 

そしてこの感覚は、完全にスピッツにも当てはまるものだ。特に初期のスピッツの透明感と童話的世界観は半端ない。直接的ではないのにエロいところも似ている。川上弘美スピッツは、僕の中で絶対に切り離せないマッチングなのだ。

 

冒頭のくまを始め、この世のものではない存在たちがたくさん登場する、川上弘美の『神様』。そこに合わせていくなら、やっぱり『ウサギのバイク』から始まる、スピッツの『名前をつけてやる』だろうか。

 

神様 (中公文庫)

神様 (中公文庫)

 

 

名前をつけてやる

名前をつけてやる

 

 

『名前をつけてやる』についてはこちらもどうぞ!→名前をつけてやる - スピッツ / 情けない青春が詰まった、幻想的な絵本みたいな音楽。 

 

 

 

3, 【映画】ティム・バートンシザーハンズ』と【音楽】キュアー

 

メジャーでオシャレな作風の映画監督を3人挙げろ、と言われたら、『アメリ』のジャン=ピエール・ジュネ、『グランド・ブダペスト・ホテル』のウェス・アンダーソン、そしてティム・バートンのトリオがつい頭に浮かんでしまう。僕なんかは「オシャレ」という概念からほど遠いようなところで幼少時代を送ったものだから、彼らの作品を観ると「オシャレだなぁ」というよりむしろ「これがオシャレというやつなのか…メモメモ」といった感想を抱く。

 

というわけでティム・バートンである。ここで特に取り上げたい作品は『シザーハンズ』。多かれ少なかれ彼の作品はゴシック・ロックっぽい雰囲気をまとっているが、とりわけ本作はその匂いが強い。そしてなかなかテーマが深い。両手がハサミと化した主人公エドワードの姿は、「僕たちは人を傷つけることなく生きることができるのか」という問いを象徴しているように見える。

 

キュアーというバンドは、邦楽をよく聴く人にとってはいわゆる「ビジュアル系」っぽくて敬遠してしまうかもしれないけど、なかなかどうして、聴きやすいバンドである。確かに暗い曲は多いが、メロディがしっかりしていてキャッチーだ。僕が『シザーハンズ』と重ねたのは、彼らの屈指の名曲 "Friday I'm In Love"。映画のドラマチックさと温かみが、見事なまでにこの楽曲の中で表現されている。この映画の音楽をキュアーが作っていたらドンピシャだった。

 

シザーハンズ (字幕版)
 

  


The Cure - Friday Im In Love

 

…とここまで書いて、ティム・バートンがキュアーの影響を受けていたと明言している記事を発見してしまった(The Cure 奇才ティム・バートン監督からラヴ・コール)。「ミームレスな相互関係」ではどうやらなさそうだが、それでもこの両者を結び付ける補助線が1本でも多くあった方がよいと思うので、そのまま記載しておく。 

 

 

 

4, 【小説】筒井康隆『敵』と【映画】イングマール・ベルイマン『野いちご』

 

中学生の頃というのは一生のうちで最も「見えないけれど見たい」という欲求に突き動かされることの多い時期ではないだろうか。もちろん第一に来るのは異性の肉体だ。サルのごとく性欲を持て余した男子中学生たちがこぞって河原のエロ本やアパートの郵便受けのピンクチラシに向かう様は今思うと滑稽であるが、当時はそんな客観的な視点なぞ持つ余裕はなかった。ただ、性欲以外にも、自我というものが目覚め、自分以外の人間は何をどう考えて生きているのだろうかと想像して、見えない他人の「こころ」を見たいと渇望する時期である。

 

中学生の僕にとり、筒井康隆村上春樹と同じく、「見えないけれど見たいもの」を鮮やかに描いてくれた作家だった。当時僕がハマったのは『家族八景』。人の心を読める魅力的なエスパー七瀬が女中に扮し、現代社会を生き抜いていく物語である。人の心がこんなにも自己中心的で欲望に満ちているものなのかと、僕は賢者タイムに絶望したものである。今思うと、あの作品は夏目漱石の『こころ』へのアンサーだったのかもしれない。

 

エロチックでグロテスクと称されることの多い筒井康隆だが、今回取り上げたいのは『敵』という作品だ。高齢の域に達した主人公の精神が、次第に狂気に汚染されてゆく様子を描いている。僕はこの本を初めて読んだ時、老人になっても、人は欲望を抱いたままシームレスに狂った世界へ足を踏み入れてゆくのだということを感じ、恐怖を感じたものだ。

 

そして、『敵』を読んでから10年以上経ったある日、ふと思い立って名画座で観賞したのが、イングマール・ベルイマンの『野いちご』だった。白黒の世界で展開される老人の奇妙な一日を眺めていて、僕はふと「この感覚は昔どこかで味わったことがある」と思った。

 

 

両作品に共通点は多い。主人公が老人であること、そんな主人公の日常を描写した作品であること、そして現実と幻想を行き来すること、などだ。しかし、この2つの作品を何よりも強く結びつけたのは、「現実を現実として認識できる時間が有限であること」の恐怖だった。

 

要素だけで作品どうしを結び付けることなら、コンピューターにも可能である。しかし、「恐怖の色あい」で作品を繋げるということは今のところ人間にしかできないのだ。

 

  

敵

 

 

 

 

5, 【映画】相米慎二台風クラブ』 と【音楽】NUMBER GIRL

 

相米慎二監督の作品は、ナンセンスな筋書きも多く、「よくわからないものが多い」というのが僕の正直な感想だ(わかりやすいのは『風花』くらいだろうか…)。ただこの『台風クラブ』では、中学生たちの「自分でも捉えきれていない訳のわからない感情」がその作風にぴたりとハマり、奇跡的な仕上がりとなっている。

 

 

 

そして世紀末の邦楽ロックを力強く牽引したNUMBER GIRL。彼らの曲は、特に大学時代によく聴いたものだ。徹夜でマージャンをやった後、脳みそがかっとなって冷めやらないところに、不思議とすっと入ってくる音楽なのだ。

 

「初期衝動」という、正体のあるのかないのかよくわからない言葉が、ロックバンドの音像を描写するのにしばしば使用される。そして、NUMBER GIRLほど「初期衝動」という言葉の意味をわかりやすく伝えてくれたバンドはそうないと思うし、映画において「初期衝動」という形容をするのであれば、『台風クラブ』ほどふさわしい作品はないのではないかと思う。

 

台風クラブ [DVD]

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NUMBER GIRL OMOIDE IN MY HEAD

 

(2:49あたりから)

 

 

 

 

 

検索エンジンには捉えられない」と書いておきながら、この記事をアップロードした時点でそれは叶わなくなるわけだな…と自嘲気味に笑いながら、文章を書いた。

 

今日紹介した作品の組み合わせのどちらかが好きなら、もう片方もきっと好きだと思う。そんな風にして、この記事を読んでくれた人の好きなものが増えていけばいいなと思う。 

 

逆に、こいつこういうのが好きなんじゃないか…と思ってくれた人は、ぜひ僕におススメの作品を教えてくれると嬉しい。

 

 

 

 

 

関連記事:青春時代に聴いておくと、後からもれなく思い出になって死ねる邦楽ロック・ポップス10曲

「メディア・プランニング」が意味をなさなくなる時代へ。

昨今、日本では新しい動画サービスが次々と誕生している。NETFLIX・Huluといった黒船勢にはじまり、民放各局の合同キャッチアップサービスTVerテレビ朝日サイバーエージェントが立ち上げたAbemaTVなどがそれに続く。

 

僕も時々NETFLIXTVerを観るのだが、TVerは民放のテレビコンテンツが百花繚乱のごとし、NETFLIXに至っては映画ありドラマあり、国内あり海外ありとあらゆるカテゴリーの映像コンテンツを網羅している。

 

もちろん、日本版ウィキペディアのページすら無いアメリカン・ニューシネマの隠れた名作を観たい時などは、NETFLIXへの入荷を期待するより渋谷のTSUTAYAに行って発掘した方が早いとは思うが、これもウェブに置き換わるのは時間の問題であるように思う。ウェブ進化論で提唱されていた「ロングテール」が、「ウェブのあちら側」で利用できるニッチなコンテンツには適用されるからだ。

 

また、海の向こうアメリカでは、動画プラットフォームの隆盛ぶりを追いかけるようにして、「パリティ」という考え方が登場してきている。

 

パリティ」とはParity、等価という意味合いである。あまり聞きなれない英単語だと思うが、物理学(特に素粒子物理学)をやっている人なら「パリティ対称性の破れ」で知っているだろう。

 

動画広告の世界において、「パリティ」は「TVにおける1回の広告露出とウェブにおけるそれは同じ価値を持つ」という考え方を指す。下記は、今年の5月11日に出た記事である。

 

Will There Be a Multiplatform Upfront? ~Digital Video, TV Industries Face Need for a Common Measurement~ - AdvertisinAge

 

タイトル訳:複数プラットフォームのアップフロント※市場は実現するのか?~デジタル動画とTV業界は共通の指標の必要性に迫られている~

 

※「アップフロント」とは、アメリカのTV広告市場における「先買い」のこと。日本で言う「タイム」に似て、年間を通じて枠を買い付ける市場のことを言う。

 

上記の AdvertisingAge の記事はかなり長いので乱暴に要約すると、「TVとデジタル広告においてはこれまで異なる指標が用いられてきており、同一の指標で計測すること(=「パリティ」)は難しいと思われていたが、デジタルGRPなどの新しい指標の開発により互換性が高まった結果、TVとデジタルが統一されたプラットフォームでの広告取引は決して遠い未来の話ではなくなってきた」といったところだろうか。

 

いずれにせよ、「パリティ」という考え方によって、TV番組もウェブの動画も、同じ価値を持つコンテンツとして認識されてゆくことは間違いない。

 

そうなると、映像コンテンツが巨大なプラットフォームに集約されてゆくという現在の流れは、ますます加速するだろう。TV番組は、民放各局のチャンネルで観るものではなく(そうした習慣も少しは残ると思うが)、NETFLIXかHuluかAmazonプライムビデオかはたまた他のサービスになるかは知らないが、TV・ウェブの両方に接続可能なプラットフォームで観るものとなるだろう。

 

今日の記事では、様々なコンテンツが少数のプラットフォームに集約されていく先にある、「プラン・バイ・コンテンツ」という考え方について書こうと思う。

 

 

 

コンテンツの置きどころが少数のプラットフォームに収斂していった場合、広告代理店のプランニングは形を変えていくだろう。各メディアごとのコミュニケーションの最適化を図る「メディア・プランニング」ではなく、各コンテンツごとのコミュニケーションの最適化を図る必要が出てくる。それを、この記事では「プラン・バイ・コンテンツ」とした(長いので以下PBCとする)。

 

いかにもダサい名前なので、よりよい名前を思いついた人はぜひ共有してほしい。

 

PBCとは何かと言うと、「コミュニケーションの最適化を、メディアごとではなくコンテンツ(の形式)ごとに考える」ということである。

 

具体的に書こう。コンテンツには、様々な形式のものがある。映像、活字、音楽、画像……。また、映像が好きな人、活字が好きな人……と、人によって好きなカテゴリーが異なるのも、周知の事実だろう。

 

例えば僕にとって、最も親和性の高いコンテンツ形式は活字である。子どもの頃から身の回りに本が山と積まれていた僕は 、小学生にして椎名誠の『あやしい探検隊』シリーズに憧れ、筒井康隆の『七瀬』三部作にエロチックな妄想を抱く、ませたガキになってしまった。

 

(僕が子どもの頃から好きだった本については、思春期にみていた世界が蘇る、「またここに戻ってきたい」と思う小説10選。 参照。)

 

あやしい探検隊 アフリカ乱入 (ヤマケイ文庫)
 

  

家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

 

 

時系列で辿れば、小説と同時期かやや遅れて目覚めたのが日本のポップスやロックであった。それも、「言葉がわかるから」といった理由だった。そこから高校~大学にかけて洋楽も聴くようになった。映像コンテンツは実はずっと苦手で、それこそ社会人になってから、きちんと観賞するようになったと言ってもよい。

 

そんな僕にとって、最も響きやすいコミュニケーションの形は「活字」である。椎名誠が『もだえ苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵』というフィクションだかノンフィクションだかわからないホラーな物語で描いたように、僕もまた「活字中毒者」であるから、そこに文字の羅列がある限り、それを読まずにはいられない。

 

四谷学院の「なんで私が○○大に!?」というおなじみの広告は、常にあの細かい文章の部分を読まないと気が済まないし、迷惑なダイレクトメールはとりあえず最初から最後まで読んでみて「なんて支離滅裂な文章なのだ……」と絶望しながらゴミ箱に放り込む。

 

もし、「活字コンテンツ」のプラットフォームが一元化されれば(その最初の波がKindleだと目されていたが)、こうした「活字中毒者」たちを一網打尽に捉えることが可能だ。これまでのプランニングでは、「雑誌なら、柔らかめで『Pen』や『BRUTUS』に、堅めで『文藝春秋』に出稿しよう」という「メディア選定」が必要だったのが、「活字好き」をターゲットにして一発でコミュニケーションを図ることができるのだ。

 

もちろんそれは活字コンテンツに留まらない。シネフィルやロック中毒の方々も、もれなく捕捉されるだろう。そもそも、映像プラットフォームが一元化され映画とドラマの間の垣根が取り払われれば、「シネフィル」という言葉すらなくなっているかもしれない。

 

PBCが実現された時、マーケティングにおいては「映像が好きな人ってどんな人だろう?」「音楽が好きな人ってどんな人だろう?」と、心理学により接近したアプローチが行われると推測される。もう少し言えば、メディア・プランニングの時代から「より人間の本質に迫ったマーケティング活動を行う必要が出てくる」ということだ。

 

僕は自分が映像や画像といったものに苦手意識を持っていたためにわかるのだが、視覚で情報を捉えるタイプの人は、「形」や「色」にこだわりのある人が多い。反対に、活字が好きな人は「言葉」にこだわりがあると言えるだろう。コンテンツによってターゲットを横断的に観察することが可能になることで、「人間」についての理解のされ方も更新されるだろうし、クリエイティブにおいて力を入れる部分も変わってくるだろう。

 

既に、ウェブに繋がれたメディアにおいては、運用型の広告枠によって一律な広告配信が可能になっている。しかし、現在はまだ、「ターゲットをコンテンツの形式ごとにカテゴライズする」という動きは生じていない。

 

それぞれのコンテンツのプラットフォームが統合された時、それは、広告代理店において人間の捉え方が変わってしまう瞬間になるだろう。

ロボットや人工知能によってアイデンティティが脅かされるのは、「人間より仕事ができるから」ではない。

「ロボットが人間の仕事を奪う未来」というテーマが、マクドナルドの前CEOの発言をきっかけに、話題になっていた。

 

ロボットが人間の仕事を奪う「最低賃金」は15ドル:マクドナルド前CEO発言

 

また、人工知能(Artificial Intelligence、AI)についての議論も、依然活発だ。少し前に行われた囲碁AIとプロの対決は、囲碁を少しでもかじったことのある人にとってはゾクゾクするものだったであろう。

 

圧勝「囲碁AI」が露呈した人工知能の弱点

 

「単純な作業、反復的な思考から解放され、人はより人間らしい、自分にしかできないクリエイティブな仕事に打ち込めるようになる」というのが、ロボットやAIの普及した世界の一つの理想像だ。

 

しかし、はたしてそのようなバラ色の未来予想図は実現するのだろうか?

 

労働の機会が失われることで、人は「自分にしかできない仕事に邁進することができる」どころか、「自分自身が何者なのか知る機会を与えられず、アイデンティティを喪失する」のではないだろうか。

 

それはもはや、個性を持たないロボットと同じ存在に、人間がなりはててしまうということではないだろうか。

 

今日の記事では、「人間に人間らしさを与えるために開発されたロボットやAIが、結果として人間の人間らしさを奪ってしまうこと」について書いてみようと思う。

 

 

 

人間は、労働によって自己自身を発見する。

 

これについては、難しく考えずとも、誰にでも思い当ることがあると思う。

 

大学時代、僕は自分の気になったことにとことん手を出してみようと思い、ベンチャー企業つげ義春の『無能の人』のごとく石を鉢植えにしたネギの家庭菜園セットを売ったり、学祭でドクターフィッシュを手製の足湯にぶち込んで商売しようとしたり、インドのムンバイまで行って高級アパートを日本人の駐在員に売る仕事に就いたりしたが、最も身になったと思っているのは、実はブラックと名指しされる某居酒屋チェーンでのアルバイトだった。

 

僕はそのアルバイトをするまで、ほとんど労働というものを体験したことがなかった。強いて言うなら、塾講師を少しやった程度。そんな僕が、「いらっしゃいませぇ!」と声を張り上げ、「お客さん、飲み放題コースいかがですか?」と営業する姿など、当初は想像することだにできなかった。

 

テーブル番号やメニューの名前、さらにはハンディ(オーダーを取る機械)の使い方を必死に覚えながら、ようやくお客さんの注文が取れるようになった時に僕が発見したのは、「自分は人が欲しいものと手持ちリソースをすり合わせていくことが好きなのだ」ということだった。

 

これに気付いたのは、いわゆる「飲み放題コース」を営業する中でであった。居酒屋には、「飲み放題コース」と呼ばれる、飲み放題付きのコース料理がある。一般的に、「飲み放題コース」は客単価が上がり、かつオペレーションが単純化されるため、お店側としては推奨して売ってゆきたいサービスである。一方で、飲み放題にしたいと思っているお客さんの側にも「この料理は別の料理に変えてほしい」「こんなに食べない」「そもそも飲み放題にするほど飲まない」など、様々な要望がある。

 

「飲み放題コース」はどうやったら売れるのか、というテクニックについては論旨から外れるためここでは書かないが、最終的に僕は、「飲み放題コース担当のホール責任者」として、忘年会シーズンはひたすら「飲み放題コース」を勧める社畜アルバイターと化し、その売上への貢献が認められて社長のW氏の署名の入った表彰状をもらったりもした。そういった結果につながったのは、僕に商才があったとかそういうことよりも、「人が好きなものは何かを探り、それにできる限り近いものを自分の手持ちのリソースの中から提案することが好きだったから」だと思う。

 

僕は今も、人と飲む時には「その人が好きそうなお店」をリサーチしたり、「その人が好きそうな小説や映画の話」を振ったりして、楽しいコミュニケーションの時間を創出するのが大好きだ。これだって、「相手の好きなものと自分のリソースをすり合わせる」ことに他ならない。

 

ヘーゲルは、「奴隷と主人」という関係の中でいかに奴隷が「自主性・自立」を獲得するかを述べた文章の中で、下記のように述べている。

 

物を形成するなかで自分が自主・自立の存在であることが自覚され、こうして、自主・自立の過不足のない姿が意識にあらわれる。

 

物の形は外界に打ち出されるが、といって、意識と別ものなのではなく、形こそが意識の自主・自立性の真の姿なのだ。

 

かくして、一見他律的にしか見えない労働のなかでこそ、意識は、自分の力で自分を再発見するという主体的な力を発揮するのだ。

 

(『精神現象学』p.137) 

 

精神現象学

精神現象学

 

 

労働する(=「物を形成する」) 中で打ち出されたアウトプットが自分自身のアイデンティティなのだ、ということが、この文章の中では書かれている。それは、何も有形のものに限らず、僕が上で例として挙げたような「無形のサービス」においても同じだ。

 

居酒屋のアルバイトというのは、学生が体験する労働の機会の中でも、最もありふれたものの一つだろう。物珍しい経験をしなくとも、「自分自身のアイデンティティ」というものは、いくらでも発掘可能なのだ。

 

 

 

しかし、ロボットやAIによって労働の機会が減ると、自己自身を発見する機会というのは少なくなる。

 

居酒屋の例で言えば、昨今増えている「タッチパネル式の注文」がすべてのお店で普及すれば、オーダーを取りに来る店員は不要となる。僕が自分自身の特性を発見した「飲み放題コースの営業」という仕事も、人間がやる必要はなくなるかもしれない。

 

ロボットやAIの普及が人間の価値を減じてしまうのではないか、という、ディストピアものの小説や映画でよくテーマとなる懸念は、たいていの場合ハード面での比較におけるものだ。つまり、「ロボットやAIの能力」と「人間の能力」を見比べて、「計算ならロボットの方が正確で速い」「過去の事例から現在の課題の最適解を見出す力ならAIの方が得意だ」という事実をもって、「だから人間は無価値なのだ」と結論するのである。

 

それは例えば、こういった広告事例を目にして「自分の投票したのが人工知能の作ったクリエイティブだったらなんとなくゾッとするなぁ」と感じる心にもつながっている。

 

AIがいよいよクリエイティブ領域に進出?!「クロレッツ ミントタブ」が人工知能クリエイティブディレクターにCM制作を依頼世界初!人間VS人工知能のCM制作対決! 

 

しかし、議論すべきより根源的な問題は、労働におけるソフト面、言い換えれば「なぜその仕事をしているのか」というその人のアイデンティティに関わる問題の方ではないだろうか。

 

人間どうしで職の奪い合いをしている今ですら、「自分の代わりとなる能力を持った人間」は、世の中にゴマンといる。ハード面で比較するなら、既にほぼすべての人が「誰かと代替可能な存在」なのである。

 

だが、それぞれの人は、それぞれの人に固有の「労働する理由」を持っている。それが「ソフト面」である。僕であれば、広告代理店で働く理由は「自分のメッセージを知らない人に届ける力を身につけたいから」というものだ。

 

同じ動機で広告業界で働いている人はたくさんいるが、「僕にとってのこの動機を満たすことのできる」人間は、僕しかいない。動機のオリジナリティという点で言えば、能力の比較と同じく代替可能だけれども、「その叶えたい欲望を満たして快感を覚える人間、幸せになれる人間」というのは、誰でもない、自分自身なのだ。

 

また、表面的には同じような動機であっても、掘り下げていくと誰にも真似しえない自身のアイデンティティの鉱脈に突き当たる。事実、僕が就職してから書いた 僕が「スクールカースト」から解放された日死ぬまで死ぬほど自分探し、それでいいんだ。といった記事の内容は、「働いてみて改めてわかった、自分自身の価値観」そのものである。

 

労働することで、人は自分自身を発見していく。労働というのは、金銭というものが関係している以上、「嫌だからやらない」「興味がないからやらない」と拒否しづらく、その結果「自分すら知らなかった自分自身」を発見するのである。

 

(学業でも同様の現象が見られることは、「教育に関心があります」と言う人はまず、「受験勉強の意味」を語れるようになってほしい。 でも書いた。)

 

ロボットやAIの存在は、そうした「労働」というプロセスを、アイデンティティを確立する極めて重要な機会を人間からはぎ取り、「自己とは何か?」と問う力を失わせてしまうのではないだろうか。

 

それは、「機械が人間より能力的に優秀だから、人間の仕事がなくなってしまう」などということよりも、遥かに深刻な問題ではないだろうか。

 

 

 

ロボットやAIが、人間の「労働」という機会を奪った時、そこで失われるのは「人間らしさ」そのものである。

 

人間に「人間らしさ」を発揮させるために開発された彼らがむしろ「人間らしさ」を失わせてしまうというのは、なんともぞっとする光景である。

 

願わくば、古代ギリシャ時代の哲学者たちのように、あり余る時間を持て余した人間たちが、新たな「人間らしさ」に辿り着けますように。