もうすぐ絶滅するという、広告代理店の「テレビ局担当」の仕事について。

少し前の 電通報 でも紹介された『広告ビジネス 次の10年』(横山隆治氏ほか著)では、次世代の広告業界に必要とされない人材の筆頭として、「メディアの事情通というだけのメディア担当」が挙げられている。

 

僕はこの本を読んでコミュニケーションプランニングの仕事を志したこともあり、会社に入った頃は「バイヤーなど何の付加価値も身につかない肉体労働だ」と思っていた。

 

おそらくその気持ちは、大学1年生時に「こんなメディアをつくってみたい」と憧れた、渡邉正裕氏による有料課金型のメディア My News Japan の一つの記事に端を発している。キラーコンテンツの「企業ミシュラン」でとある広告代理店が取り上げられており、その中で、プランニングの仕事については「統計的スキルなどが身につき市場価値が高い」と評されていたのに対し、バイイングの仕事については肩書とゴルフについての記述しかなかったのを見て、当時の僕は「ふーん、メディアバイイングの仕事ってそんなもんなんだ…」と思ってしまったのだ。

 

しかし、テレビ局担当という仕事を1年間死に物狂いでやってみて、「バイヤーというのは、ビジネスの基礎を身につける上ではまたとないポジションだ」と思うようになった。

 

今日の記事では、20年後にはもしかすると機械に取って代わられているかもしれない「局担」という仕事で得られるものを、書いてみようと思う。

 

 

 

・「情報」を執拗に取りに行く姿勢が身につく

 

広告代理店におけるメディア担当というのは、例えるなら最後まで裏切ることのない二重スパイである。もちろん暗躍する舞台は広告代理店および媒体社だ。メディア担当が代理店と媒体社の双方からうまく情報を引き出し、双方にとって有益な未来を創りだすことができれば、それはメディア担当の付加価値となる。

 

メディアは広告枠を、スポンサーはおカネを持っている。一方、彼らを繋ぐ広告代理店は何も持っていない。「情報」だけが、機能会社である広告代理店に集まってくる唯一にして最大の武器なのだ。

 

例えば、媒体部にはまだオフィシャルになっていないテレビキャンペーンの情報を、社内の営業から入手したとする。すぐにその情報を媒体社と共有して、裏局(同じエリア内のライバル局の意。自分がTBSの担当であれば、日テレ、テレ朝、フジテレビ、テレ東が裏局となる)をどうやって出し抜き、たくさんおカネをもらうのか作戦を練るのもよいし、直近の他のスポンサーであまり出稿がなかったキャンペーンがあれば、「以前のあのキャンペーンであんまりおカネを持ってこれなかった代わりに、この案件を持ってきました!」と言って、媒体社に気持ち良くなってもらってもよい。

 

どんなに末端で下流の仕事であっても、川を遡って情報を取りに行く姿勢があれば、良い仕事ができるようになるものだ。局担というのは、そういった攻めの姿勢が身につくとても良いポジションだと思う。

 

 

 

・負け戦でも諦めない「交渉力」が得られる

 

上では「下流だなんだと言わず上流まで情報を取りに行くこと」などと書いたが、やはり仕事の性質上、会社の上の方で決まったことを確実に遂行しなければならないこともよくある。この時はさしずめゴルゴ13の気分だ。

 

基本的に、局担は「誰かのケツを拭く仕事」が多い。広告代理店というビジネスモデルの性質上、おカネが最後に流れ込むのがメディアだから、おカネにまつわるミスや緊急事態はまず間違いなく媒体部門に絡んでくるのだ。

 

「誰かのケツを拭く仕事」というのは、「普通に考えれば媒体社から怒鳴られてもおかしくない仕事」ということでもある。そこで媒体社を納得させられるだけの交渉が展開できるか否かで、その後の仕事の質は大きく変わってくる。

 

交渉において重要なことは、突き詰めると2つしかない。「武器になりそうな事柄を見出して組み合わせる力」と、「決して諦めずに妥協点を見出そうとする姿勢」。これだけだ。

 

例えば、発注書のキャンペーン期間が間違っていて訂正しなければならないという「尻拭い作業」が発生したとしよう。今CM枠は混み合っているのか、このスポンサーのコスト感は高いのか安いのか、期間が短くなったり混み合う時期に重なったりするのであればGRPを取りきるために号数(買付の基準となる視聴率の時期)を変えることは可能なのか…。そういった下調べを十二分に行った上で交渉に臨むのだ。コストの高いスポンサーなら仕方ないなと言って期間変更を受けてくれるかもしれない。号数が変えられるならできるかもしれない。それ以外にも、相手が「じゃあこうしてよ」と言ってきそうなことを先回りして調べておく。そして「無理だよ」と言われても「どうすればできる?」と食い下がり、妥協点を見出してゆく。バイイングの部隊は、指令を絶対に遂行しなければならないのだ。僕たちはゴルゴ13なのだ。

 

交渉というと、黒いものを白く見せる奇跡のようなマジックや、印籠のごとく相手がひれ伏する魔法の言い回しが存在すると思うかもしれないが、そんなものはない。相手が少しでも喜びそうな材料をあらかじめ見つけて提案する。そんな地味な作業の繰り返しなのだ。

 

 

 

・サラリーマンの「基本のマナー」を叩き込まれる。

 

広告代理店の媒体部門と聞いて最もオーソドックスに思いつくものと言えば「マナーの厳しさ」ではないだろうか。体育会系の極致とも言える業界の中で、エレベーターやタクシーの乗り方から宴席での振る舞い方まで、基本的な社会人マナーはすべて叩き込まれる。

 

こういった体育会系の風土が苦手だと言う人もいるが、僕は「宗教の異なる友人とレストランに行くのと同じだ」と思っている。

 

僕がかつてインドにいた頃、ヒンドゥー教を信じている友人と食事に行く時は、牛肉のみならず肉類は注文しないのが暗黙の了解だった(ヒンドゥー教では基本的に殺生が戒められている)。たとえその日肉が食べたくても、友人である彼ら彼女らの信じているものを尊重し、自分勝手に振る舞うことを慎む。それが互いを尊重し合うということだ。

 

体育会系の価値基準を信じている取引先や上司、先輩と相対する時も、これと同じではないだろうか。その人が「新人はエレベーターの操作パネルの前に立つのがマナーだ」「会食では取引先や上の人間が食べ始めるまで箸をつけないのが礼儀だ」と思っているのであれば、それに従ってやればいいのではないだろうか。どうせその程度の我欲を我慢したところで死にはしないのだ。

 

そういう姿勢を身につけておけば、今後同じような価値基準を持つ人と出会った時も、その人と円滑なコミュニケーションを取ることができるだろう。局担として社会人のマナーを叩き込まれておけば、将来的に絶対に損にはならないのだ。

 

 

 

・豊富な「クライアントリソース」に触れられる

 

広告代理店の醍醐味の一つは、その存在が自社のビジネスを世に展開する「事業会社」ではなくビジネスチェーンの特定の部分を受け持つ「機能会社」であるために、様々な企業のマーケティング活動に携わることができる点にある。コンサルティングファーム投資銀行、総合商社や広告代理店といった業種を希望する学生の多くは、この「機能会社」という点に惹かれているのではないだろうか。

 

その広告代理店の中にあっても、媒体担当は営業担当に比べ、より多くのスポンサーリソースに触れることができる。ぶっちゃけ、テレビのキャンペーンを提案するだけなら、自社で扱いのあるありとあらゆるスポンサーを相手にすることだって可能だ。

 

媒体社経由では、自社では扱いのないスポンサーや、他の広告代理店の情報だって知る機会があるかもしれない。局担というのは不思議なポジションで、業界的にはライバルとされる他店と一緒にその媒体社を盛り上げていくポジションだから、そうした他店の局担とともに局のゴルフ旅行に招かれたりする。そこで尊敬できる広告業界の先輩を見つけることだってある。僕は汐留のベテランの先輩から、会食におけるマナーをいくつか教わったりした。そういった交流があるのも、また局担ならではである。

 

自社のスポンサーのみならず、媒体社や他の代理店経由で知りえた情報すら「クライアントリソース」に数え上げて、それらを横一列に並び替え、自分の作業を過去から未来へと縦一列に並び替えて、媒体社にとってのネガティブな情報をポジティブな情報で味付けし、苦い素材を美味しく飲みこみやすく調理してゆく。それが、媒体担当というコックの価値なのである。

  

 

 

・「自分の存在意義」についてひたすら考えさせられる

 

局担というのは、常に誰かと比べられる仕事である。代理店の営業や業推からは「担当している媒体社を仕切れるか否か」を日々見られているし、媒体社からは「他店の局担と比べて良い作業をしてくれるか否か」を日々見られている。

 

そうして比べられた結果、営業から「お前の担当局はいつも良い時間帯にCMを流してくれるから」と言って発注をたくさんもらえることもあれば、テレビ局から「お前が言うのなら枠を出してあげるよ」と言われてサービス(無料)でCM枠をもらえることもある。もちろんその逆もあって、一度「ダメ」のレッテルが貼られてしまうと、挽回するのはなかなか難しい。

 

タダでさえ、業務内容的には「下流」で「受け身」になりやすいポジションだ。作業だけミスの無いように回して、馬なりに流すことは簡単にできる。だけどそれでは、「そこそこやる局担」にはなれても「コイツのためにやってやろうと思わせる局担」にはなれない。

 

自分のどういう資質を活かし、どういう仕事の進め方をしていくのか。突き詰めて言えば、自分の価値とは何なのだろうか。冗談ではなく、こういったことを日々考えさせられるのが、局担という仕事なのだ。若いうちからそんな風に「自分の存在意義」について問いかけることのできる仕事は、そう多くはないはずだ。そういう意味では、媒体担当になった人間というのは、幸せだと思う。

 

 

 

代理店の社内からは、ともすれば「誰にでもできる」「媒体社への連絡係」的な扱いを受けることもある局担という仕事だが、僕は決して、誰にでもできる仕事ではないと思う。

 

確かにそれは、クリエイティブの「作品」や、コミュニケーションプランナーの「アイデア」や、データサイエンティストの「仮説」のような、「その人にしかできないアウトプット」がわかりやすく見える仕事ではない。

 

だが、局担がやってくる一つひとつの作業の結果は、紛れもなく「その局担にしか出せないアウトプット」である。CMがどこに流れるかという線引き、新規キャンペーンに対する見積もり回答、そのすべてが「テレビ局と局担が二人三脚で考え、スポンサーに提出したメッセージ」なのである。

 

そうした「その人にしかできない作業」が存在する限り、局担という仕事もまた、絶滅することはないはずだ。

 

煽りのようなタイトルを付けたが、僕の本心としては、広告代理店で働くすべてのバイヤーの皆様へのエールを込めて、この記事を書いたつもりである。

 

バイヤーは不要だ」なんて声をぶっ飛ばすべく、2016年も働いていこうと思う。

 

 

 

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

もうすぐ絶滅するという紙の書物について