思春期にみていた世界が蘇る、「またここに戻ってきたい」と思う小説10選。

ものごころついた時には部屋中に本がうず高く積まれていたという環境もあって、僕は昔からたくさんの活字に親しみながら生活してきた。

 

人生の時々で読んできた小説には、当時の記憶がしおりのように挟み込まれ、ページを開くといつでもその頃にタイムスリップできる。

 

今日は、僕にとってかけがえのないそんな小説を10冊、紹介しようと思う。

 

この小説たちが、別の誰かにとっての「戻ってきたくなる場所」になればいいなと思っている。 

 

 

 

 

 

第10位

 

僕は勉強ができない

 

山田詠美

 

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

 

 

率直に言って、僕はこの主人公に共感はしない。どうあがいても、高校時代の僕はこんなに自分の考えに素直に従える人間ではなかったからだ。

 

ただ、この作品が良いなと思うのは、そこに登場する人間たちが、とても正直にものを語るからだ。

 

特に好きなのは、いわゆる「ぶりっ子」なクラスのマドンナに告白されるも、「自分のこと可愛いって思ってるでしょ」と主人公が容赦なく切り返したところ、思わぬ反撃を食らうシーン。

 

「山野さん、自分のこと、可愛いって思ってるでしょ。自分を好きじゃない人なんている訳ないと思っているでしょう。でも、それを口に出したら恰好悪いから黙ってる。(中略)だけど、ぼくは、そうじゃない。きみは、自分を、自然に振る舞うのに何故か、人を引き付けてしまう、そういう位置に置こうとしてるけど、ぼくは、心ならずも、という難しい演技をしてるふうにしか見えないんだよ」(p. 151)

 

「何よ、あんただって、私と一緒じゃない。自然体っていう演技してるわよ。本当は、自分だって、他の人とは違う何か特別なものを持ってるって思ってるくせに。優越感をいっぱい抱えてるくせに、ぼんやりしてる振りをして。(中略)私は、人に愛される自分てのが好みなのよ。そういう演技を追求するのが大好きなの。中途半端に自由ぶってんじゃないわよ」(p. 152)

 

高校生でこんな応酬ができるヤツはそうはいない。人からよく見られたい、とか、自分はあいつより優れている、とかの、人間の本質的な部分が凝縮されたシーンだ。

 

(読者諸子にはどうでもいいと思うが、可愛い女の子がこんなにあからさまに自分のことを語ってくれたら、僕はそれだけで惚れてしまうだろう。どうでもいいが。)

 

 

 

第9位

 

限りなく透明に近いブルー

 

村上龍

 

限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

 

 

初めて読んだ時にあまりにも性描写があけすけで、驚きながらも興奮してしまった小説。僕がアナルセックスという単語を知ったのはこの小説からではなかったか。

 

当時中学1年生のありあまる性欲を『いちご100%』とこの小説にぶつける日々の中で、「はて、著者はどうしてこんなにも過激なセックス描写をしているのだろうか」と、賢者タイム中に考えてみたことがあった。

 

その頃はわからなかったけれど(なにしろ賢者タイムが短いし…)、大学生になってサイケデリック・ロックやヒッピー文化に興味を持ってから、なんとなくその理由がわかってきた。

 

主人公は、自分を冷徹に見つめる「視点」から、逃れたかったんだと思う。

 

ドラッグやセックス、ロックンロールといった代物は、自分を一時的に陶酔させてくれる。自分って何者なんだとか将来どうするんだとか、そういっためんどくさいことを考えなくてもいい状態にしてくれる。

 

だが、どれだけそういった「劇薬」に手を染めても、主人公は冷徹な「視点」から、逃れることができなかった―。読み手の気分が悪くなるほど細かく徹底した情景描写は、それを暗示しているのだ。

 

 

 

第8位

 

夜は短し歩けよ乙女

 

森見登美彦

 

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 

 

読んでいてニヤニヤしてしまう小説、というものがある。電車で読むにはすこぶる向いていないが、面白いので読み進めずにはいられず、またニヤニヤしてしまう。

 

『夜は短し歩けよ乙女』は、僕にとってそんな作品だ。自分が学生時代を過ごした京都の街や大学がこれでもかと出てきて、その情景がすべてありありと思い浮かぶものだから、これはもうたまらない。木屋町先斗町糺の森京都大学吉田南キャンパス…。地名を書くだけでノスタル死しそうだ。

 

森見氏の『太陽の塔』や『恋文の技術』は、ややもすると主人公のヘタレぶりが鼻につきすぎてうっとおしいかもしれないが、 『夜は短し歩けよ乙女』では、そのファンタジー要素とノスタルジックな描写によって、主人公の童貞臭さがマイルドに抑えられている。

 

そういえばどこかで「『夜は短し~』のヒロインは京大生の思い描く理想の女の子だ」とかいう文章を読んだことがあるのだけど…。

 

その通りです、と言っておこう。

 

 

 

第7位

 

グレート・ギャツビー

 

スコット・フィッツジェラルド

 

グレート・ギャツビー

グレート・ギャツビー

 

 

莫大な金をつぎ込んで夜な夜なパーティーを開き、蝶が花に集まるように意中の女性・デイジーが自分のもとに飛び込んでくるのを待っていたギャツビー。そのやり方はなんとも非効率的だ。デイジーと再会してからも、彼はおよそスマートとは言い難いアプローチで彼女に迫る。そして…悲しい事件が起こる。

 

純粋で不器用で、いつも遠いところにある「灯」を追い求めていたギャツビー。完璧なお金持ちのゴージャスな求愛の物語ではなく、あちこち欠けた部分のあるギャツビーという生身の人間の物語だからこそ、この作品は僕たちの胸をうつ。そして、そんな「純粋さ」をかつては自分も抱いていたことを回想するような、主人公ニックの語り。

 

1974年の映画版も観たのだが、とてもよかった。特にヒロイン役のミア・ファローがドンピシャだと思う。外国の映画に「物悲しさ」を感じることはあっても「儚さ」を感じることはそうないが、この映画にはそれがあると思った。話題になった2013年の作品もぜひ観てみたい。

 

 

 

第6位

 

ライ麦畑でつかまえて

 

J.D.サリンジャー

 

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

 

 

世の中や恵まれた人間に対しては斜に構えてあれこれ難癖をつけるホールデン少年の姿は、かつての頭でっかちでうじうじ悩んでいた自分自身を思い起こさせる。

 

主人公のとりとめのない独白が続くため「最後まで読めない!」という声を聞くことも多いこの小説。共感できないのであれば、それはそれでいいと思う。自分にそこまでコンプレックスが無く、世の中に対して不満の無い人であれば、この小説に「救われる」ということはあまりないかもしれない。

 

ただ、僕自身は「ライ麦畑から転がり落ちる前に」この小説にとっつかまえてもらった一人である。

 

ホールデン少年は、通俗的なあれやこれやを嫌悪しているけれど、そのかわり弱いものや醜いものに対しては人一倍優しい。そんな彼の、今でも僕の心に残っている言葉をいくつか紹介したい。

 

アーニーってのは、ピアノを弾く、大きな太った黒人だけど、すごく気どってやがって、一流人か名士なんかでなきゃ口もきかないんだけど、ピアノはほんものなんだ。(中略)彼の演奏を聞くのは、僕はたしかに好きなんだけど、でもときどき、あいつのピアノをひっくりかえしてやりたくなることがあるんだよ。それはたぶん、あいつの演奏を聞いてると、一流人でなければ話しかけようとしない男っていう、そんな感じがにおうからじゃないかと思う。(p.127)

 

 会ってうれしくもなんともない人に向かって「お目にかかれてうれしかった」って言ってるんだから。でも、生きていたいと思えば、こういうことを言わなきゃならないものなんだ。(p.137)

 

仮に人の命を救ったりなんかすることを実際にやったとしてもだ、それが果たして、人の命を本当に救いたくてやったのか、それとも、本当の望みはすばらしい弁護士になることであって、裁判が終わったときに、法廷でみんなから背中をたたかれたり、おめでとうを言われたり、新聞記者やみんなからさ、いやらしい映画にあるだろう、あれが本当は望みだったのか、それがわからないからなあ。自分がインチキでないとどうしてわかる?そこが困るんだけど、おそらくわからないぜ。(p.268)

 

 

 

第5位

 

悲しみよ こんにちは

 

フランソワーズ・サガン

 

悲しみよこんにちは (新潮文庫)

悲しみよこんにちは (新潮文庫)

 

 

元々は、映画『ジョゼと虎と魚たち』を観て、この「ジョゼ」という名前の元ネタになった小説を読んでみたいと思い、サガンの『1年ののち』を手に取った。それがとても良かったので、それではと思いデビュー作の『悲しみよ こんにちは』を読んでみたところ、凄まじい作品だった。

 

大好きな父親を新たな結婚相手から取り戻すべく、自分のボーイフレンドや父の昔の愛人のコンプレックスや恋愛感情をことごとく利用して人々を翻弄するも、最後には「かなしみ」しか残らない少女の、透明で残酷な物語。

 

少年少女というと、どうしても純なる存在、穢れなき精神の象徴とされることが多いけれども、ほんとのところは、子どもはずるいし、汚いし、悪意に満ちた振る舞いをするものなのだ。人が何をしたら嫌がるのかよく知っていて、あたかも無邪気を装って他人の弱く柔らかい部分に土足で踏み込んでいく。

 

僕もそんなふうに人から傷つけられたし、傷つけていた。はずなんだけど、傷つけられた経験ばかり覚えていて傷つけた経験は思い出すことができない。無理に加害者になろうとしているわけではないのだけど、間違いなく、僕も他人に立ち入って不快な思いをさせたことはあったはずなのだ。

 

子どもの頃いかに自分が残酷だったかを、この小説は読む人に思い出させる。自分の過ちによって初めて「かなしみ」という感情を知った時のことを、思い知らせてくれる。

 

ヨットとかもめ、そして眩しく輝く海を思い起こさせる装丁が見事です。

 

 

 

第4位

 

夏の庭

 

湯本香樹実

 

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

 

 

こんな時代が自分にも確かにあったなぁと、ニヤニヤしながら、最初から最後まで一気に駆け抜けてしまう小説。

 

「幽霊が怖い」と夜中にトイレに行けなかったでぶの山下は、おじいさんとのひと夏の経験を経て、一人でトイレに行けるようになる。少年たちのささやかな成長を、僕たちは読者として目撃する。

 

一方で、僕たち読者はもう、月日は残酷だということを知ってしまっている。小学校や中学校で一緒だった友達の中で今も連絡を取り合っている人は、僕には数えるほどしかいない。おじいさんとは少ししか一緒にいられなかったけれど、この3人も、いつまでも一緒にはいられない。この夏の物語は、奇跡のようなバランスの産物であり、決して戻ってくることはないのだ。

 

そんなことに思いを馳せながら、3人がそれぞれの道に別れて進んでゆくラストシーンを読むと、涙なしではいられないのだ。

 

素敵だな、という感想しか出てこない、僕の大好きな小説の一つ。

 

 

 

第3位

 

郷愁 ペーター・カーメンツィント

 

ヘルマン・ヘッセ

 

郷愁―ペーター・カーメンチント (新潮文庫)

郷愁―ペーター・カーメンチント (新潮文庫)

 

 

1人の男の幼少期から晩年までを1冊の小説に閉じ込めた作品。報われない恋、花開く友情、そして愛…。ヘッセの代表作『車輪の下』の主人公ハンスが晩年まで生きていたなら、こんな人生を送ったかもしれない(そしてこんなふうに救われたかもしれない)と思わせる、幸せな物語。最初と最後が故郷の村の同じような描写であるというところが、読み手に「帰ってきたんだな」というノスタルジーを呼び起こす。

 

僕はヘルマン・ヘッセという作家に自分自身を発見することがある。学校の勉強では良い点を取るかもしれないけど、人との付き合いや世の中への接し方は決してスマートではなく、他者からの見え方をとても気にしながら、その裏で嫉妬や軽蔑といった暗い感情を抱えながら生きている。そんな自分だ。「なんでこんなに自分のことがわかるの」って、読みながら泣いてしまったことも数知れない。

 

ヘッセ後期の作品である『荒野のおおかみ』にも、「世の中的なもの」にどうしてもなじめず、かと言ってそこから逃れることもできない主人公が登場する。『郷愁 ペーター・カーメンツィント』でヘッセが思い描いた歳の取り方はやや空想的にすぎなかったが、『荒野のおおかみ』では主人公が自我を確立するに至るまでの葛藤ぶりが真に迫っていた。

 

このブログを読んでくれている方々には、ぜひヘッセの作品を読んでみてほしい。「読書感想文の推薦図書」というイメージは、捨ててほしい。世間的なものをどうしても諸手を挙げて受け入れることができず、それでいて突き抜けた生き方を貫くこともできない、そんな中途半端な僕には、めちゃくちゃ刺さった作家です。

 

 

 

第2位

 

スティル・ライフ

 

池澤夏樹

 

スティル・ライフ (中公文庫)

スティル・ライフ (中公文庫)

 

 

これまで読んだ中で最も透明感のある小説は何か、と言われたら、僕は迷わずこの作品を挙げるだろう。

 

先ほど書いた『限りなく透明に近いブルー』も、「僕」の微に入り細にわたった描写を通して、セックスもドラッグも彼自身を「没頭」させる劇薬になりえず、主人公は永遠に醒めきったままなのだということを読者に伝えようとしていた。それはある意味「透明な、冷徹な」物語だと言える。

 

しかし、『スティル・ライフ』の透明感は全然別の種類のものだ。一人称なのに、頭の遥か上の方から世界を眺めている誰かの視点で描かれているような、そんな透明感だ。きっとそれは、筆者が理系のバックグラウンドを持っており、理系的な「世界の運行」みたいなものをイメージとして置きながら、この作品を書いたからではないかと思う。

 

僕が一番好きなシーンは、雨崎で雪を受けるシーン。

 

雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。岩が昇り、海の全部が、厖大な量の水のすべてが、波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。(p.32)

 

これほどまでに文章で映像を観させられた経験は、僕にはない。素晴らしい、の一言だ。

 

何にも刺激されることなく、癒しを求めたい時に、抜群の威力を発揮する作品。

 

 

 

第1位

 

ノルウェイの森

 

村上春樹 

 

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

 
ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

 

 

僕が人生で一番読み返している小説だ。ノスタルジックな大学の風景、「僕」の周りのちょっと変わった人々。それらが自分の学生時代の記憶とミックスされて、夢か現か判別しようのない、霞みがかった映像が目の前に現れてくる。それを観たいがために、僕はこの小説を読み返している気がする。

 

ノルウェイの森』はよく「村上春樹作品の中では珍しくファンタジー要素が入っていない作品」だと言われるけれど、僕がこの小説を好きなのは、別にリアリスティックな作品だからというわけではない。村上春樹の作品の中で、最も「人間」が描かれていると思うからだ。

 

中学生の頃、この本を初めて読んだ時に思ったのは、「直子も緑も変な女の子だなぁ」ということだった。メンヘラと(その時はまだメンヘラなんて単語は無かったけれども)、なんかハイテンションな女の子。そんな程度だった。

 

もちろん、その頃は女性の気持ちを深く知る機会なんてあるよしもなかった、ということもあるのだろうけれど、もっと一般的に、自分以外の「人間」に対する興味があまりなかった、ということなのだと思う。

 

だけど、年齢を重ねるにつれ、誰もがみな直子や緑のような「歪み」を持って生きているんだ、と思うようになった。

 

この小説のセックスシーンが、『限りなく透明に近いブルー』の徹底した描写とは対極の穏やかなものであるにも関わらず、読む者を心の底から欲情させるのは、そんな「歪み」を許しあい共有しあうようなセックスが、世界で一番幸せなコミュニケーションだからではないだろうか。

 

 

 

 

 

この他にも、武者小路実篤『友情』は最後まで入れようかどうか迷ったし、カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』、川上弘美センセイの鞄』など、最近読んでとてもよかった小説がいくつかある。それらの評価は今後の「読み返し」を経て定まってくるだろう。

 

小説は、自分を救ってくれる1つの小宇宙だ。そんな小宇宙に1つでも多く出合えることを願って、僕はまた新しい本のページをめくるだろう。

死ぬまで死ぬほど自分探し、それでいいんだ。

「自分探し」という言葉に軽侮のニュアンスが含まれるようになったのは、いつからだろうか。

 

僕が大学を休んで1年間インドで暮らしていたと言うと、決まって返ってくるのは「自分探しにでも目覚めちゃったの?」という言葉である。

 

ここでいう「自分探し」には、なんとなく相手をバカにする気持ちが含まれている。「1年間インドで暮らすなんてすごいねぇ。でも、俺にはそんな経験は必要なかったなぁ」というような。

 

そんな裏の意味をなんとなく感じてしまうから、「自分探しでもしてたの?」という問いに対しては、受ける側も「ええまぁ…ちょっとその頃血迷ってまして」と濁したり、「いえ、やってみたかったことがありまして…」と否定したりする。「はい、自分探しのために行きました」と正面切って言うのは、なかなか難しいのだ。

 

はい、と言ったら言ったで、「でもさあ、自分なんて今ここにいるじゃん。わざわざ遠い外国に行って探す必要なんてないんじゃないの?」と、わかったふうなお説教が飛んできたりする。

 

そういった一連の流れが嫌でも想像できてしまうから、僕は自らの「インドに行ってスラムのアパートで1年間暮らした経験」を、「自分探しのために行きました!」と言えずにいた。就活の面接でも、もっと「建設的な」別の理由をこしらえて、それを真面目な顔をして語ったりしていた。

 

でも、そういうのはもうやめにしたい。

 

今日の記事では、僕と同じく「自分ってなんだろう」という問いにのたうち回って苦しんでいる人たちに、「自分探しは悪なんかじゃない」というメッセージを、届けたいと思う。

 

 

 

なぜ、「自分探し」は悪だと感じてしまうのだろうか。

 

それは、自分自身をしっかりと把握し、自分のやりたいことを定め、地に足をつけて毎日を過ごしている人が「偉い」という風潮が、世の中にあるためだ。

 

いつまでも「自分自身」なんてものについて悩んでいないで、就職して、結婚して、幸せな家庭を築きなさいよ。あるいは、起業するなり、医者や弁護士になるなり、自分の夢の実現に向かって邁進しなさいよ。そうした無言の圧力が、日本にはある。

 

高校なり大学なりのその人の「最終学歴」を経た後、日本の社会システムから突然要請される「進路を決定せよ」という圧力は、僕らが永遠に「自分探し」し続けることを許さない。そして、進路を決めるということは、自分自身を定めるということ、自分探しのための「ゆとり」や「バッファ」を切り捨てることに他ならない。

 

 

 

果たして、「モラトリアム期間に自分探しを終え、アイデンティティを確立して社会に入ってゆく」という考え方は正しいのだろうか?

 

まず、「自分探し」というものにさほど関心を持たない人、「自分自身について知ること」に興味の薄い人が、世の中にはいる。そういった人たちにとっては、そもそも「自分探しとかアイデンティティとか、よくわかんないなぁ。適当に生きていけばいいんじゃないの?」といった程度の感想しかないと思う。

 

次に、「自分自身」には非常に興味があるけれども、人生のどこかの時点で「自分の夢」を明確に描くことができた人がいる。そういった人たちは、きっと「自分探しした時期もあったけど、今自分はこうした夢に向かって邁進している。やりたいことがわかれば、自分探しの時期は終わりだと思うよ」と言うだろう。自己啓発書の「夢を見つけて逆算して日々を生きなさい」というメッセージも、このカテゴリーの人たちに向けて書かれたものだ。

 

しかし、僕と同じように、「自分自身」について強烈に思い悩み、さまざまな体験をくぐり抜けてきたけれど、それでも自分は何がやりたいのか、どういう人間なのかがコロコロ変わってわからない、という人もいるはずだ。

 

そういった人たちにとって、自分探しとは、社会に出る前に終わらせておかねばならない通過儀礼ではなく、社会に出てからもずっと、生きている限り自らに課され続けるカルマのようなものではないだろうか。

 

僕たちのような人間は、「自分探しは一生続いていくものだ」と捉え直した方が、救われる思いがするのではないだろうか。

 

 

 

さて、「自分探しは一生続く」などと書くと、「これからも(典型的な『自分探し』人間のごとく)海外をさまよったり珍しい経験をしたりして、『自分自身』を追い求めなければいけないのか…」と絶望する人もいるかもしれない。

 

しかし、そうではない。自分探しはどこででもできるからだ。

 

僕は新卒で入った広告代理店に勤めてもうすぐ1年半になる。

 

いわゆる「自分探し」という言葉の持つイメージからすると、1つの企業で働き続けるというのは、「自分探し」からは程遠い行為のように思える。

 

しかし、会社という組織の中でさまざまなことを半ば強制的に経験させられると、その過程で「新しい自分」を発見することができる。その具体例については、『僕が「スクールカースト」から解放された日』で書いた通りだ。高校時代に植えつけられた「リア充的なもの」への苦手意識が、広告代理店のテレビ局担当をやったことで自然と消失し、「自分は自分。リア充にはなれなくても、自分を開示することで人と楽しくやっていくことができる」ということを発見したのだ。

 

自分探しは、どこででもできる。むしろ、自分の興味に従った行動を取りがちな学生時代よりも、配属や転勤などで予想もつかない環境に放り込まれる社会人時代の方が、よっぽど「自分探し」には適しているかもしれない。さらに企業のサイズで言えば、明確なジョブローテーションのあることの多い日本の大企業の方が、より「自分探し」の舞台としてぴったりなのかもしれない。

 

内田樹氏によると、ヘーゲルマルクスは「普遍的人間性というものはなく、行動(労働)を通じて作り出したものによって自分自身を知る」と述べている。

 

人間は生産=労働を通じて、何かを作り出します。そうして制作された物を媒介にして、いわば事後的に、人間は自分が何ものであるか知ることになります。(中略)

 

この「作りだす」活動は一般に「労働」と呼ばれます。マルクスはこの労働を通じての自己規定という定式をヘーゲルから受け継ぎました。

 

内田樹『寝ながら学べる構造主義』p.29)

 

現代病とも言える「自分探し」に取り憑かれた僕たちにとってのオアシスが、昭和的価値観の象徴とも言える「日本的大企業」における「労働」であるというのは、なんとも皮肉なことだ。が、ここまで書いてきたように、これら両者の相性は決して悪くないのだ。

 

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

 

  

 

 

もう少し言えば、「自分探し大好き人間」は、むしろ組織の中でうまくやっていける可能性をも秘めている。

 

梅田望夫氏は『ウェブ時代をゆく』の中で、大企業勤務に向いている人の特性として以下の点を挙げている。

 

(1)「配属」「転勤」「配置転換」のような「自分の生活や時間の変え方を他者によって規定されること」を「未知との遭遇」として心から楽しめる。

 

(2)与えられた問題・課題を解決することに情熱を傾けることが出来る。その課題が難しいほど面白いと思える。

 

(3)Whatへの「好き嫌い」やこだわりがあまり細かくなくおおらかで、一緒に働く人への「好き嫌い」があまりない。仮に合っても、苦手(つまり嫌い)を克服することを好む。

 

(4)「これが今から始まる新しいゲームだ」とルールを与えられたとき、そのルールの意味をすぐに習得してその世界で勝つことに邁進することに興味を覚える。

 

(5)多くの人と力を合わせることで、個人一人ではできない大きなことができることに充実感を覚えるチームプレーヤーである。

 

(6)「巨大」なものが粛々と動くことへの関与・貢献に達成感と充実感と感じ、長時間長期の「組織へのコミットメント」をいとわず、それを支える持久的体力にすぐれる。

 

(7)組織への忠誠心や仕事における使命感のほうが、個人の志向性よりも価値が高いと考える。

 

このうち、特に(1)は言うまでもなく、(2)や(3)も「与えられた環境に単純な好き嫌いで反応する」よりも、「与えられた環境に対して自分がどう感じるのか、さらにどうすればそれを好きになるのか」を考える「自分探し大好き人間」の特質と、決して相性は悪くないだろう。

 

(一方で、個人より所属集団を優先する(5)~(7)に関してはまったく当てはまらないと思う。僕も(5)から(7)の項目については興味がない。)

 

「自分探し」がしたい!という欲求は、まったくもって悪いことではないのだ。むしろ、企業で働くにあたって「自分とはなんだろう?」と考えることの好きな人間は、自分だけの力では経験できなかった環境をプラスに変えて、さらなる自分の強みを発見していける可能性を秘めているのだ。

 

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

 

 

 

  

ここまで「企業で働き続けることは自分探しと決して矛盾しない」ということについて書いてきた。それをもう少しだけ、一般化してみたい。

 

キルケゴールの『死に至る病』の冒頭部分では、「自己とは何なのか」ということについて書かれている。

 

人間は精神である。精神とは何であるか?精神とは自己である。自己とは何であるか?

 

自己とは自己自身に関係する所の関係である。すなわち、関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている──それで自己とは単なる関係でなしに、関係が自己自身に関係するというそのことである。

 

人間は有限性と無限性との、時間的なるものと永遠的なるものとの、自由と必然との、統合である。要するに人間とは統合である。統合とは二つのものの間の関係である。しかしこう考えただけでは、人間はいまだなんらの自己でもない。

 

キルケゴール死に至る病』p.20)

 

これだけ読むと意味がわからないが、要するにキルケゴールはこういうことを言っている。「人間は、優しい面、冷たい面、恐ろしい面、さまざまな面を持ち合わせている。それらが統合されて(=関係して)1人の人間になっている。しかし、さまざまな面が関係し合うだけでは自己は存在しない。その人間に自己自身が『自分とは何者か?』と問いかけ、関係して初めて、自己は存在するのだ」。

 

結局、海外に長期滞在するのも、会社に所属して働くのも、「自分探し」という点では何も変わらない。出会ったものを内面深くまで取り込み、自分はどう感じるのか、どう考えるのかについて掘り下げてゆく。「自分とは何者か?」と問うのは、どこでだってできる。

 

死にいたる病 (ちくま学芸文庫)

死にいたる病 (ちくま学芸文庫)

 

 

「自分探しインスパイア系小説」の代表作としてよく名前の挙がる、沢木耕太郎氏の『深夜特急』は、決して「新しい理想の自分」を探しながら異国を巡った青年の冒険譚ではない。むしろ、旅先で生じた無数の(特別ではなく日常の、ハレではなくケの日の)出来事について、自らがどう考えるのかを自問し続けた哲学書なのだ。

 

舞台はどこだっていいのだ。キルケゴールの言う「関係が自己自身に関係するというそのこと」、「自分とは何者か?」と問いかけ続けるあの厄介だが愛すべき胸の中の声さえあれば、「自分探し」は可能になるのだ。

 

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 

 

 

 

「本当の自分はこうではないはずだ」と今の環境を否定し、こことは別の場所に出かけていくのではなく、あらゆる環境を(遠い異国も通いなれたオフィスもすべて)自分という未知の物質Xを特定するためのフラスコと捉え、「自分にはこういった側面もあるんだな」と日々知見を重ねてゆく。

 

僕はそんな「永遠の自分探し人間」としてしか生きていけないだろうし、また、生きていきたいとも思う。

 


パドル - YouTube

 

PADDLE / Mr.Children 

 

 

 

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「明日も自主休講にするかぁ」とつぶやきながら、一人暮らしのアパートで深夜に聴き入るのにふさわしい洋・邦ロック10曲。

毎朝9時に出社し、ひたすら仕事をこなし時には詰められ、ふと気がつくと夜9時を回っている…。Mr.Childrenの『雨のち晴れ』に出てくるほど単調な生活ではなくとも、大学時代からは考えられぬほど「充実した」僕の生活だ。

 

大学生の頃は、2限目あたりの講義にちょろっと顔を出し、お茶の時間には鴨川をぶらぶら、友達と学食で安い晩ご飯を食べて、オンボロなサークル棟で夜中までギターを練習する、そんな生活だった。

 

今の僕にはもう絶対に手の届かない、たくさんの「無駄」や「隙間」が存在していたあの時代。自分は何者なんだろう、これからどう生きていくんだろう…。持て余した時間についそんなことを考えてしまって、眠れなくなってしまう夜もあった。

 

今日は、青春時代の僕が一人暮らしのアパートで丑三つ時を共に過ごしたロック・ミュージックを10曲、紹介しようと思う。

 

 

 

第10位

 

Two, Three, Fall / Mice Parade

 


Mice Parade - Two, Three, Fall.mov - YouTube

  

いわゆる「ポストロック」と呼ばれる分野は分け入っても分け入っても聴ききれない数のアーティストがいる印象だが、その中でも好きで聴きやすい1曲。

 

この曲を聴くと、夜の京阪電車に乗って窓の外をぼんやり眺めていた、あの秋のひと時を思い出す。奇妙な拍子や♯・♭の大量に入り混じったコード音に乗って流れるキャッチーで切ないメロディは、どこか遠い異国を思わせると同時に、妙に懐かしく僕の耳に響くのだ。

 

 

 

第9位

 

体操 / Yellow Magic Orchestra

 


YMO 体操 - YouTube

 

日本語なのに異国的な雰囲気を醸し出す、YMOの名曲。外国人から「日本」を見つめたらこんな感じなんだろうかと思わせる。深夜にぼんやりとこの曲を聴いていると、次第に自分の気が狂っていくのではないかという幻想に囚われる。

 

この曲を聴いていると、ジョージ・オーウェルの小説『1984』で、主人公が「ビッグ・ブラザー」に見守られながら体操を行うシーンが思い浮かぶ。惜しくもこの曲がアルバム『テクノデリック』に乗って世に出たのは1981年だけど、冷たい世界観に背筋がゾッとするのは、どちらの作品でも同じだ。

 

  

 

第8位

 

Search And Destroy / The Stooges

 


The Stooges - Search And Destroy - YouTube

 

1960年代後半から70年代前半のバンドといえば、僕の好きなカオティックで内向きな音を出すバンドがどうしても少ない。そんな時代にオルタナの元祖とでも言うべき音を出していたバンドが、The Velvet UndergroundとThe Stoogesだ。

 

四条通を酔っ払って歩きながら、大音量でこの 'Search And Destroy' をイヤホンに流す。タテ乗りで首をぶんぶん振っている僕の横をチャリに乗ったオバハンが迷惑そうに通り過ぎて行くのを見て、ふと我に返る。そんなことを、愚かにも何度か繰り返した気がする。

 

イギー・ポップの声を聴いていると、自分が何でもできるような気がしてくるのが不思議だ。

 

 

 

第7位

 

銀河鉄道の夜 / 銀杏BOYZ

 


銀杏BOYZ_銀河鉄道の夜 - YouTube

 

ゴイステとどちらにしようか迷ったが、僕がよく聴いていたのは銀杏BOYZだったのでこちらにした。

 

この「非モテロック」とでも言うべき音楽が、僕は大好きだ。恵まれた人間がカッコいい音楽をやるのも、それはそれでいいものだが(金持ち坊ちゃんバンドのThe Strokesとかがそれにあたるのだろうか)、やっぱりロックは良いも悪いもひっくるめたその人の衝動を歌いあげるものであってほしいから、汚い欲望も美しい旋律も自らの音楽に乗せてしまう銀杏BOYZというバンドに、僕は惹かれる。マンガ『モテキ』の作中に女の子がこの曲をカラオケで叫ぶシーンがあるが、そんな女の子がいたら素敵だなと思う。

 

曲中、バッハの『主よ人の望みの喜びよ』を引用している部分がある。僕が大学のクラシックギター部で初めて弾いたのが、この曲だった。大先輩から「バッハは通奏低音を意識しろ」と口を酸っぱくして言われたあの日々が、つい昨日のように思い出される。

 

 

 

第6位

 

Friday I'm In Love / The Cure

 


The Cure - Friday Im In Love - YouTube

 

The Cureの音楽はとても抒情的だしメロディがしっかりしているので、日本人の耳にも合うのではないかと思う。その中でも特に素晴らしいなと思う1曲。全曲聴いたバンドではないのだが、アルバムだと 'Bloodflowers' が好きかな。

 

この曲はなぜか就職活動の時によく聴いていた。今働いている会社から内定の連絡をもらった後、「これで当分は東京ともおさらばだな」と思いながら乗った新幹線で 'Friday I'm In Love' を聴いたことを覚えている。

 

たわいもない話だが、映画を観ていると時折「この映画にはこのバンドが合うなぁ」というマッチングを思いつくことがある。それで言うと、『シザーハンズ』を観た時はドンピシャでThe Cureだ!と思ったものだ。(他の組み合わせで言えば、『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』とThe Smiths、『台風クラブ』とNumber Girlとか。)

 

 

 

第5位

 

ロードムービー / Mr.Children

 


Mr.Children - ロードムービー - Q tour - YouTube

 

今なお邦楽ロック・ポップス界に燦然とそびえ立つ名盤 "Q" 。オートバイの後部座席に女の子を乗せて夜の高速道路をひた走った思い出など僕にあるはずもないが、心地よくキープされたリズムとギターのストロークが、高速道路のつなぎ目の「ガタン、ガタン」という規則正しい衝撃を思わせる。

 

僕がミスチルと出会ったのはそれこそ小学校高学年くらいの時だったが、 "深海" や "DISCOVERY" 、 "Q" といったアルバムの凄さを思い知ったのは、それからずいぶん後だった。 

 

 

 

第4位

 

Disorder / Joy Division

 


Joy Division - Disorder - YouTube

 

若くして死んだ伝説のフロントマン、イアン・カーティスをボーカルに据えたカルト的バンド。暗い洞窟の中でずっと虚ろに鳴っているような音楽が、妙に胸にくる。

 

代表曲 'Love will tear us apart' ももちろん名曲なんだけど、僕はこの名盤 "Unknown Pleasures" を丸ごとお勧めしたい。1曲目の 'Disorder' を聴くだけでぶっ飛ぶはずだ。

 

イアン亡き後、New Orderに転身を遂げてからの彼らの音楽も僕は大好きだけど、夜に鬱々としながら聴くならやっぱりJoy Divisionではないだろうか。

 

  

 

第3位

 

No Surprises / Radiohead

 


Radiohead - No Surprises - YouTube

 

「俺はウジ虫だ」と歌っていた1stアルバムの頃から大変身を遂げた3rdアルバム "OK Computer" 。 'Airbag' から続く、機械的で取り付く島のないタフな音の連なりの中で、唯一癒しと言ってもいいのがこの曲だ。

 

映画『スパニッシュ・アパートメント』では、ラストシーン近く、主人公が留学生活を回想するシーンで、この 'No Surprises' が流れる。そこに入ってくるナレーションがまた良い。「なぜ(スペインに)行ったのか?今もわからない。僕は平凡な男」。

 

僕はこのシーンがとても好きで、思わず涙ぐんでしまったものだ。

 

僕も昔、理由もなくインドに旅立ち、その地で1年を過ごしたことがあった。自分が特別なことを経験すれば、特別な人間になれると信じていた、そんな時代があった。だが、異国で悟ったのは、自分は何者でもない、ただの凡人でしかないという事実だった。

 

人生の早い段階で「自分には特別なものなど何もない」と思い知れたことこそが、今の僕のアイデンティティになっている。だから、何か新しいことをしようと思い立った人には、別にそこに大した理由などなくても、ぜひ挑戦してみてほしいのだ。挑戦して、自分が大したことのない、空っぽな人間だと思い知ってほしいのだ。そこから人生が始まるのだから。

 

 

 

第2位

 

Last Scene / スーパーカー

 


Supercar - Last Scene [PV] - YouTube

 

今日の記事のタイトルに一番合っている音楽は文句なしにこれだと思う。解散間際のスーパーカーの微妙な空気がPV含め至るところで感じられて、美しさと悲しさを同時に感じさせる。

 

僕はよくこの曲を聴きながら真夜中の鴨川沿いを歩いていた。3月の川端通を渡ってくる風は冷たくて、時折すれ違う車のヘッドライトが優しく目にしみて…。どうするあてもなく三条通まで歩けば、対岸の木屋町通の灯りがずっと南の方まで伸びていた。明日の講義どうしようかなぁ、出ないと単位ヤバいなぁ、でも今はこの夜にずっと佇んでいたいなぁ、毎日そんな贅沢な時間の使い方をしていた。

 

生産性なんてまるでなかったけれど、今でも夢に見る、素敵な風景。

 

 

 

第1位

 

1989 / The Pillows

 


the pillows / 1989 - YouTube

 

ごく個人的な思いでこの曲を1位にした。深夜に内向きなロックをひたすら聴いている僕は、当然1人だ。ひたすら悶々と悩んでいた時もあったと思うし、どこにも届くあてのない文章を書いていた時も、きっとあったと思う。

 

そんな僕をずっと応援し続けてくれている音楽が、この '1989' という曲。

 

一番最初に聴いたのは、たぶんインドの崩れかけたアパートの一室で、同室のインド人たちが寝静まった後だったと思う。「君に届くように歌っていたのさ」という部分で、僕はすすり泣いた。ずっと一人ぼっちだった僕の背中を、「そのままでいいのさ、もがき続けろ」と押してもらったような気がした。

 

先日、僕が前に書いていたブログに立ち寄った。そこに、とても嬉しいコメントがついていた。3年間ずっと読んでいました、あなたの投げる一石が大好きでした―。これだけで僕が文章を書いていた意味はあった、そう思えた。

 

正直、書いた文章で有名になりたいという欲望は、昔からずっとずっと感じている。同時に、僕の書きたいものがまったくもって大勢に受けるものではないことも、わかっている。腹に抱えたそんな欲望や矛盾を正直に書いていくことだけが、僕にできることなんだろうなと思う。それを読んで救われる人も、きっといるはずだ。

 

一度はメジャーな世界を夢見たものの、'ストレンジカメレオン' で国民的バンドになるという夢と決別し、ひたすら自分たちの道を歩み続けたThe Pillowsというバンド。自らをそこになぞらえるのはおこがましいけれども、少なくとも彼らの魂やメッセージは胸に秘めて、これからも生きていきたい。この '1989' という名曲とともに。

 

 

 

この記事を書いていて、「無駄なものをたくさん抱えた人間になりたいな」と思った。

 

たくさんの音楽とそれらを聴きながら思考した内容が、今の僕をつくっているのだ。

SNSが浮き彫りにした、僕たちが心の底から恐れているもの。それは「他者への無関心」である。

インターネット論壇で時たまテーマとして取り上げられるのが、「嫌われてもいいから自分をさらけ出せ」という話である。

 

僕も以前このブログとは別の場所で「人に嫌われてもいいから、自分の好きなことを発信しよう」といった内容の記事を書いたことがある。インターネットというフラットな場所で、もっといろんなメッセージを発信している人がいてもいいではないか、そう思って、他人の視線を必要以上に気にする自分自身を半ば励ますように、記事を書いたのだ。

 

しかし、最近思う。僕たちがインターネット上で自由に発信できないのは、他人に嫌われたくないからではなく、他人が自分にこれっぽっちも関心を持っていないということを思い知らされるのが怖いからなのではないか、と。

 

 

 

例えば、Facebookで何か写真を投稿するとしよう。僕がまず考えるのは、「このポストを見て不快な気持ちになる人がいたらどうしよう」ということではない。「このポストにいいね!が一つもつかなかったらどうしよう」ということなのだ。

 

「この投稿にリアクションがまったくなかったらどうしよう」という不安は、さらに二つの種類の不安にわけることができる。

 

一つは、「特定のAさんが自分に関心を持っていないことが判明してしまう」ということ。

 

そしてもう一つは、「AさんもBさんもCさんも…Zさんも自分に関心を持っていないことを、αさんが知ってしまう」ということだ。

 

正直、僕は前者については大して気に留めていない。確かに、好きな女の子がSNS上にアカウントを持っていたとして、自分の働きかけに対してその子から何のリアクションもなければ、多少落胆はするかもしれない(『ソーシャル・ネットワーク』のラストシーンで、ザッカ―バーグがひたすら女の子からのフレンド承認返しを待っていたように)。だけど、そんなのはSNSに頼らずリアルの人間関係で距離を詰めればいい話だ。

 

問題は後者である。要するに、「自分が人気者であるか否か」といったことが、SNS上では周囲のユーザーにバレてしまうのだ。

 

この問題を引き起こすのは、いいね!やリツイート、コメントといった、「他者から自分への関心」を数値化した指標が、万人に公開されているためだ。

 

いわば、「自分に対する無関心の度合いが可視化されている」ことが、インターネット(特にSNS)における僕たちの自由な振る舞いを阻害する要因なのだ。

 

 

 

本来、無関心というのは当人には知らされるはずのない態度だった。

 

もし誰かが僕に「お前になんて誰も興味持ってないんだよ」という言葉を吐いたとしたら、その時点でその誰かさんは僕に興味を持っていることになる。「相手と関わりを持つ必要すら感じない」のが、無関心ということだからだ。

 

もともと知るよしもなかった「無関心の度合い」というパンドラの箱を、僕たちは開けてしまったのだ。

 

 

 

中島義道氏の『人を「嫌う」ということ』には、嫌う・嫌われる理由の一つとして「相手に対する絶対的な無関心」が挙げられている。

 

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

 

 

人は誰でも、自分に関心を持ってくれる人のことが好きだし、気にかけてくれない人のことは嫌いだ。

 

問題は、これまでは目に見えることの少なかった「無関心」という「嫌い」の火種を、これからは(インターネット上で「もう1つの人格」を生きるのであれば)直視せざるをえない時代になってゆくということなのだ。

 

 

 

SNSが浮き彫りにした、これまでは見えることのなかったはずの「無関心」という冷たい態度。

 

僕たちが取れる道は、3つしかない。

 

1つは、SNSに背を向けて、「無関心」が目に見えないリアルライフのみで生活してゆく道。

 

1つは、FacebookInstagramでひたすらウケの良さそうなポストを投稿し、風車に挑むドンキホーテのように「無関心」に抗い続ける道。

 

そしてもう1つは、自分に向けられなかった「関心」を追いかけることなく、コツコツと自分のインターネット上の人生を生きていく道。前述の中島義道氏の言葉を借りれば「サラッと嫌いあってゆく」道だ。

 

「他者から関心を持たれないことに恐怖を感じる」人間の性質は、コミュニケーションを取り合い集団で生きてきた祖先たちの時代には仲間はずれにされることがすなわち死を意味したために、発達したものだと思う。

 

しかし、SNS上で「もう1つの人生」を生きることのできる現代では、ややもするとその「無関心への恐怖」が、自身の自由な振る舞いを制限してしまいかねない。

 

「嫌われる勇気」とともに「無視される覚悟」というものも、これからの時代には必要になってくるのではないだろうか。

怨念、悪魔崇拝、狂気、絶望、憤怒…人間の心のグロさを存分に楽しめる映画5選。

小説でも映画でもよいのだが、僕の好きなコンテンツの特徴の一つに、「人の心の歪みや偏りを存分に描いている」というものがある。

 

「希望はいいものだよ。多分最高のものだ」という名言を否定するつもりはないが、個人的には絶望も希望と並ぶ最高のスパイスだ。妬みや憎しみや悲しみといった、一般的にはネガティブとされている感情がきちんと描かれている作品であればあるほど、僕はその作品に「真実」を感じる(「真実味」ではなく「真実」である)。

 

というわけで、今日はそんな「グロい」映画の名作を5つ、挙げてみようと思う。ゾンビやバラバラ死体が出現するわかりやすい「グロさ」ではなく、僕らの身体の芯の部分を震えさせ、全身の毛穴を開かせるような、狂気じみた「グロさ」を感じさせてくれる作品たちである。

 

 

 

 

 

雨月物語

 

監督:溝口健二

 

公開:1953年

 

雨月物語 [DVD]

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溝口健二監督は、いわゆる「日本映画の名監督」の中では断トツで好きな監督。独特のアジア的なノスタルジー、どうしても抗えない運命の不条理さ、それでも自らの矜持を持って生きていこうとする人間たちの描写が、すさまじく良い。『近松物語』『山椒大夫』『赤線地帯』など、いずれも心に残る作品だけど、「人の心のグロさを感じる」という点では『雨月物語』が一番かな。

 

彼の作品の特徴は、その終わり方にあるように思う。上で挙げたような作品群は、基本的にはハッピーエンドでは終わらない。さりとて、アメリカン・ニューシネマのようなドラマチックで悲劇的な結末を迎えるわけでもない。登場人物たちが、絶望の淵に立たされながらも、淡々としかし前向きに生きていく姿を映して、作品は終わるのである。その終わり方は、大嵐が過ぎ去った後の仄明るくなってきた空のような、かすかな希望を感じさせてくれる。

 

映画と現実の人生との違いは、映画はどこかで終わるけれども、人生は(死なない限り)続いていくということだ。その意味で、物語が終わった後も登場人物たちの行く末に思いを馳せさせられる溝口健二監督の作品は、より僕たちの人生に近いものだと言えるだろう。

 

 

 

ローズマリーの赤ちゃん

 

監督:ロマン・ポランスキー

 

公開:1968年

 

ローズマリーの赤ちゃん [DVD]

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幸せいっぱいの新婚夫婦が子どもを授かる。だが、頼りになるはずの夫や主治医、隣人たちの不可解な行動によって、妻は精神的に追い詰められてゆく…。この作品の後、1974年版の『グレート・ギャツビー』 でヒロインのデイジー役を演じることになる、ミーア・ファローの儚げな演技がドンピシャだ。

 

この作品を観ていると、誰が狂っていて誰が正常なのか、だんだんわからなくなってきてしまう。どんな子どもが生まれても受け入れる母性の偉大さを、普段僕たちは賞讃しているが、それこそが実は狂気じみたことなのではないかと、この作品は警告する。

 

個人的な好みの話になってしまうが、この「1960年代後半~1970年代前半」のアメリカ映画が、僕は大好きだ。荒い粒子で構成された画面の向こう側で、古臭いアイビー・ファッションに身を包んだ男たちが、煙草を吸ったりウイスキーをあおったりする。アイビー・ファッションは今でもアメトラ(アメリカン・トラディショナル)などと言われて本も出ているくらいだが、僕のような「クソマジメ男」の方々には、ぜひトライしていただきたいスタイルである。

 

絵本アイビー図鑑 The Illustrated Book of IVY

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シャイニング

  

監督:スタンリー・キューブリック

 

公開:1980年

 

シャイニング 特別版 コンチネンタル・バージョン [DVD]

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キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』や『博士の異常な愛情』などは狂気の中にもユーモアを忍ばせたコメディだが、この作品は狂気そのものを描いている。時折挿入される無機的な双子と大量の血のイメージが、死ぬほど怖い。

 

実はまだ原作となったスティーブン・キングの原作を読んでおらず、それゆえの?ストーリーの展開について理解できない部分もたくさんあるのだけど、Wikipediaを見ると映画版と原作との間には相当の違いがあるようだ。

 

小説と映画の大きな違いの一つとして、「人の心の内側は、文字で描写することはできても、映像で表現することはできない」というものがあると思う。(だからこそ僕は昔、映画なんてつまらないと思っていた。)

 

しかし、直接的に心を表現することができないからこそ、「なぜこの登場人物はこのような行動をしたのだろうか?」と考えることが楽しくなる。人の心を描けないという映画に課された制約・条件が、むしろ映画という娯楽の価値を高めているのだ。

 

問題は、原作が小説であった場合、映像化する過程で言語による内面の描写が必然的に削ぎ落されるため、わけのわからない作品になってしまうことがある、という点である。

 

例えば『ノルウェイの森』だ。

 

ノルウェイの森』は、原作の小説でも映画版でも、緑がワタナベに「あなた、今どこにいるの?」と問いかけるシーンで終わる。登場人物たちの内面を描き出せる小説においては、これでよかった。直子が死に、レイコさんは旭川に去って行った。「18から19の間を永遠に行ったり来たりしている」ワタナベだけが、自らの場所を決められずにいる。そんな逡巡を、文字でならば描写することができる。しかし、映画版だけ観るとラストシーンの意味がまるでわからない。電話の最中という、表情や動作が見えにくいシーンであることも相まって、登場人物たちの内面は「セリフ」から想像するしかない。せめてアパートでの電話シーンだけにとどまるのではなく、「いずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿」を、ラストシーンでは挿入するべきではなかったか…。原作に深い思い入れがあるからこそ、映画版を観た時に、僕はそう思ったのだ。

 

『シャイニング』においてもこれと同様に、小説から映画に落とし込む過程の中で必然的に削ぎ落されてしまう心情描写が、キューブリック監督によってフォローされていないことは十分にありえる。まあ、なにはともあれ原作を読んでみることが重要だ。『2001年宇宙の旅』は、映画版を観てさっぱりわからず、原作を読んでやっぱりわからなかった。「どうやってもわけがわからない」ことがわかるだけでも、原作にあたってみる価値はあるはずだ。

 

 

 

ファニーゲーム

 

監督:ミヒャエル・ハネケ 

 

公開:1997年

 

ファニーゲーム [DVD]

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初めから終わりまで観る者に絶望しか与えない、ミヒャエル・ハネケ監督の大傑作。淡々と進行する一家心中を撮ったデビュー作『セブンス・コンチネント』が透明な絶望だとすれば、こちらはどす黒い血の色に染まった絶望と言えるだろう。

 

この映画がただの悪趣味な映画に終わらない理由は、僕たちがいかに暴力を快感として楽しんでいるかを自覚させられる点にある。主人公のパウルは時折カメラのこちら側に語りかけてくるが、これによって僕たちはあたかも主人公の仲間として暴力に加わっている心持ちがしてしまう。また、暴力シーンを意図的に撮影しないことで、その映像を強制的にイメージせざるをえなくなってしまう。

 

『贈与論』で語られているように、僕たちの人間社会は「与えること」から始まっている。「卵をください」と言ってきた隣人を助けてあげようとする親切心が、この作品のような形で踏みにじられたら、この世界は成り立たなくなってしまう。観た者にリアル『北斗の拳』のような秩序なき世界さえ想像させてしまう力を持つ、この作品が大好きです。

 

 

 

うなぎ

 

監督:今村昌平

 

公開:1997年

 

うなぎ [DVD]

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浮気真っ最中の妻をめった刺しにして殺す冒頭シーンのエログロっぷりがハンパない。男なら間違いなく勃起ものだけど、勃起しながら「オレなんでこんな血まみれのシーンで勃起してるんだろう…」と、自らの性癖を疑いたくなる。唯一心を許せる友である「うなぎ」に語りかける主人公のイカレ具合が素敵な作品。妻の浮気を許せなかった主人公が、他人の子を育てる決意をするまでに成長する、わかりやすいハッピーエンドなのがまた安心できる。

 

今村昌平監督はこれ以外に『豚と軍艦』しか観ていないのだけど、作品の根底を貫く「人生は喜劇だ」という哲学がイイです。同じ哲学が垣間見える園子音監督の作品が好きな方は、けっこうハマるんじゃないかな。音楽もぬるっと良い感じ。

 

 

 

 

 

いわゆる「ヒューマン」な名作といえば、『フォレスト・ガンプ』や『グッド・ウィル・ハンティング』などの名前が挙がると思う。もちろんそれらも素晴らしい作品だ。

 

しかし、希望、勇気、感動といったポジティブな心の動きだけが、"human" beingの、人間の感情だろうか?

 

僕はそうは思わない。

 

せっかく人間に生まれたのだから、美しい部分も醜い部分もひっくるめて、全部味わい尽くして死にたい。

 

映画というフィクションの世界では、どんな悪いことを体験したって、許されるのだから。

僕が「スクールカースト」から解放された日。

高校の頃、学校に行くのが嫌でしかたがなかった時期があった。

 

傍目には、決してそうは見えなかったと思う。硬式野球部に所属し、平日も土日もなく朝から晩まで野球漬けだった僕は、「バラ色の高校生活」とは言えないまでも、「そこそこアツい青春」を送っていたと言えるだろう。

 

しかし、グラウンドの上でいくら汗を流そうとも、クラスの中での自分がおもしろいことを言えるようになるわけではない。誰もが自分の意見を尊重し、自分を取り巻いてくれるような人気者になれるわけではない。

 

特に、僕の生まれ育った大阪では、「オモロイ人間」こそが神だった。毎晩テレビを見て新しい芸人のネタを仕入れ、翌日のホームルームで披露して笑いを取れる人間が、クラスの中心だったのだ。

 

今日は、僕が高校の頃死ぬほど苦しんだ、「スクールカースト」について書こうと思う。

 

 

 

スクールカーストとは、『桐島、部活やめるってよ』などの作品でも描かれている、学校のクラス内の見えない上下関係のことである。

 

男の場合、一般的には、運動部に所属し、ルックスがよく、笑いが取れて、女の子にモテるヤツが、スクールカースト上位に属していることが多いようだ。要は「キャッチーなヤツ、パッと人を楽しませることのできるヤツ」こそが、「一軍」と呼ばれる連中になりうるのだ。

 

中学時代もそれなりにスクールカーストは僕のまわりに存在していたのだろうが、公立の中学校にいて、学年で一番勉強ができた僕は、おそらく特異なポジションにいたのだろう。スクールカーストというものを意識したことがなかった。

 

ところが、高校というのは自分と似たような学力の連中が集まってくる場所だ。勉強が断トツにできればそれだけで一目置かれる中学時代とは異なり、勉強以外のキャッチーな「何か」を持ち合わせていなければ、自分という人間が尊重されることはなくなる。

 

僕は、「一軍」の連中と話すのが苦手だった。普通の会話をしていても、何かおもしろいこと、キャッチーなことを求められているような気がして、その焦りがいつもの自分なら到底言わないようなことを口にさせ、場が白ける。そんな場面を、何十回と経験したかしれない。

 

僕が今も人の内面を深くまで知りたいと欲求するのは、この頃味わった苦痛の裏返しなのだと思う。イケメンでなくても、おもしろいことが言えなくても、一見キャッチーでない人間の内面にこそ、その人の真実が現れている。僕はそんな風に人間を捉え、世の中に訴えたいのだ。そして、自分を慰めたいのだ。お前は決して、価値のない人間ではないのだ、と。

 

結局、僕の高校時代は、「一軍」に憧れと軽蔑のないまぜになった感情を抱きながら、あっという間に過ぎていった。僕はスクールカーストから逃げるように受験勉強に励んだ。立花隆の『東大生はバカになったか』に衝撃を受け、それこそ「内面を充実させないヤツはバカだ」という教養主義的な、アンチスクールカースト的なメッセージを信じて、僕は京都大学に滑り込んだ。

 

大学では、僕は「リア充的なもの」にひたすら背を向けて過ごした。吉田寮の隣にあるオンボロのサークル棟でクラシックギターを弾いて講義をサボり、嵐山の渡月橋南禅寺のトロッコ跡をぼんやりと歩いては思い出に浸り、理学部や文学部の友人と麻雀を打ちながら「熱力学第二法則の哲学的な意味について」語りあったりした。しまいには、インドに行って1年間スラムに住むという荒行に出た。

 

僕の人生にはもう「スクールカースト的なもの」は出現しないと、僕はそう楽観視していた。もうリア充たちと付き合わなくていいんだ、あいつらのテンポだけの中身のない会話や、あいつらの下らない趣味に合わせた会話は、金輪際しなくていいんだ。そう、思っていた。

 

 

 

しかし、何の因果か僕は広告代理店の仕事に興味を持ってしまった。

 

広告業界は、リア充の巣窟だ。

 

クリエイティブはそうではないかもしれない。クリエイティブというのは、ネクラであること、悶々と考え続けることこそが、発想の原点になる仕事だからだ。

 

しかし、営業や媒体担当というのは、人に好かれてナンボな商売である。よく使われるキモチ悪い言葉を使えば、「人間力」こそすべてなのである。それこそ、スクールカースト上位でずっと青春時代を謳歌してきて、求心力のある人間にしか、務まらない仕事なのだ。

 

コミュニケーションプランニングをしたいと思って広告代理店に入った僕が、よりによってバイヤー、それも一番パーティーピープルの多い「テレビ局担」に配属されてしまったのだ。

 

配属1週目は、本当に死にそうだった。ノリは合わない、仕事はキツい…。しかも1週目から泊まりがけの媒体社旅行に参加しなければならず、じんましんが出たほどだった。

 

僕が苦い苦い高校時代を送っていた頃、テレビ番組というのは「一軍」の象徴だった。あいのりやめちゃイケ、アメトーク、リンカーンなど、テレビのバラエティを観ていなければ非国民扱いされたものだった。まさか10年後に、そういったリア充コンテンツを作っていたテレビ局相手に仕事をするなんて、考えてもみなかった。本当に運命とは皮肉なものだ。

 

配属直後は、毎日朝起きるたびに「今日も「一軍」のヤツらと話さなきゃいけないのか…。本当に嫌だなぁ」とため息をついていたものだった。自分が人生で一番の苦手意識を持っている人たちと相対せねばならないというストレスは、相当のものだった。

 

 

 

だが、局担になって1ヶ月、2カ月…と経つうちに、初めの頃に感じていた閉塞感は、次第に薄れていった。仕事上でリア充たちのグループに入って話をしていても、今すぐここから消え去りたいという衝動は感じなくなった。

 

ショック療法とも言える局担への異動によって、僕はスクールカーストから解放されたのだ。

 

それは、昔「一軍」に憧れ、嫌悪していた頃の自分が、自意識過剰だっただけなんだと気付いたからだ。

 

「自分は人から好かれるはずだ、一目置かれるはずだ」というプライドが邪魔をして、自分の醜い部分、他者より劣った部分をさらけ出すことができないと、人はスクールカースト的な人間関係に苦しむことになる。「なぜ俺は人気者になれないのか」と、周囲を恨んで過ごすことになる。

 

オモロイ話ができないのなら、「いや~俺はホンマにオモロイことが言えへんのよ!」と開き直ればいい。本当に、それだけでいい。

 

イケメンから程遠く童貞くさい雰囲気を醸し出しているのなら、「永遠の童貞なんです」とでも言ってヘラヘラしていればいい。自分の雰囲気を大切にすればいい。

 

人は、開き直って肚を見せている人間に、好意を持つ。自分の弱点を認め、その一方できちんと自分に自信を持っている人間に、人は集まる。

 

広告代理店の最終面接で、昔はさぞ遊んでいらっしゃったんだろうなと思わせるナイスミドルのおっさんに、僕はこう聞かれた。

 

「君は、女の子にモテますか?」と。

 

僕は力強く「いえ、モテません」と答えた。「モテませんが、好きな女の子にアプローチするのは得意です。二人で飲みに行ってもらえれば、好きになってもらえると思います」と付け加えることを忘れずに。

 

もしもあそこで、高校時代と同じく、自分のプライドを守って「それなりにモテますね」などと答えていたら、今僕はこの会社で働いていなかっただろう。

 

 

 

「一軍」とか「リア充」とかいった言葉で誰かを括っても、それは自分と同じくらい遠巻きにその誰かを眺めている人にしか刺さらない。

 

何よりもまず、どこか一歩身を引いて相手と付き合っていこうとしている自分を捨てて、至近距離でそいつと相対しないと、その人のほんとのところはわからない。

 

プライドを捨てて、バカになって接しよう。そうすれば、この世の中にはもっといろんな人間がいるんだなって、おもしろく思えてくるはずだ。

広告代理店のテレビ担当「局担」の正体

広告代理店のメディア担当、と言えば、オシャレなスーツに身を包み、夜な夜な宴会を渡り歩いている―。あなたも、そんなイメージを持っていないだろうか。

 

特に、「メディアの王様」と言われるテレビの担当者のことを、広告業界では「局担」と呼ぶ。

 

今日は、ほとんど世に出ることのない「局担」という仕事のことを、紹介してみようと思う。

 

 

 

局担はキツい仕事だ。代理店の他のセクションの人間から、そんなふうに言われることは多い。

 

まず、フィジカル的にキツい。

 

テレビ業界(特に営業)というのは日本で一・ニを争うほど体育会系な業界だ。当然、そこに相対する広告代理店の局担も、そういった雰囲気に合わせて仕事をしていかねばならない。

 

飲みは基本的に激しいし、残業の多いキー局の現場との飲みは12時を回ってから(業界用語で「テッペンを超えてから」)始まることもザラだ。いきおい、夜が深くなる。

 

1年の仕事納めの日には、自分の担当するテレビ局を訪れて回り、酒を飲みながら挨拶を交わすのが局担のしきたりだ。「なんだ、昼間から酒飲んで気楽な仕事だな」と思うかもしれないが、自分の担当局は1つではないのだ。案件数が多くその分担当局の数が少ない汐留や赤坂の代理店でも3つや4つの局は担当しているし、もっと規模の小さい代理店だとその数はゆうに10を超える。そうやって訪問するすべてのテレビ局で「まあ一杯」と酒を注がれ、そしてもちろん献杯は一度では終わらないのだ。

 

12月最終週のお昼ごろ銀座を歩くと、点在するローカル局を巡る途中で息絶えた局担たちの骸を、みゆき通りあたりで発見できるかもしれない。

 

酒の席の暴挙というところで言うと、極めつけはテレビ局との宴会旅行だ(ゴルフ旅行という名目になることもある)。局も代理店も伸び悩む視聴率に思い煩うことから解放され、ハメを外してしまうのか、こういった宴会旅行は非常にディープで下品な会になることが多い。興味のある方は「2ちゃんねる 宴会芸 ランキング」で検索してみてほしい。このランキングの6段あたりまでは、僕はその芸が存在することをこの目で確認済みだし(やったとは言ってない)、8段くらいまでは社内の誰それや媒体社の誰それがやったという話を聞いたことがある。また、温泉の水を抜いてしまったり掛け軸をぶち破ったりして旅館から出禁を食らうことも、よくたまにあることのようだ。

 

一方で、飲む方だけでなく食べる方も激しい。昼ごはんを食べた後にビッグマック5個食べさせられた食べた、先輩に牛丼を10杯注文されたおごってもらった、ポムの樹のLサイズ(茶碗6杯、卵6個)を2つ完食させられた完食したなどなど、事例にはこと欠かない。

 

こうした雰囲気に今のテレビ局の若手はなかなかついてこないらしく、最近とある局では「自分より年次が下の者に無理やり食べさせること」を禁じる社内規則ができたそうだ。

 

とはいえ、こうしたバブルの残骸のような風土は、テレビ広告業界には未だに色濃く残っている。

 

 

 

フィジカル的にもキツいが、本当に厳しいのはメンタルの部分だ。

 

僕が聞いただけでも、媒体担当をしていて「メンタルを病んで会社を辞めた・休職した・異動になった」人はかなりの数にのぼる。

 

なぜ、局担はメンタルをやられるのか?それは、広告代理店というビジネスのシステムが抱える「矛盾」を、容赦なく背負わされるためである。

 

 

 

広告代理店は、どうやって利益を出しているのだろうか?

 

すぐに思い浮かぶのは、広告の制作費だ。テレビCMや雑誌広告、ポスターなど、クリエイティブを制作するのに必要な実費に、利益を上乗せしてもらっている。

 

あるいは、広告業界について多少ご存じの方なら、プランニングフィーというものを思い浮かべるかもしれない。以前から、広告代理店も戦略コンサルティングファームのように、マーケティングの上流から顧客のビジネスに関わっていかねばならないと言われている。そのことは、広告業界を視野に入れて就活をしている学生であれば、誰でも知っている話だろう。

 

しかし、広告代理店のビジネスの根幹を支えているのは、上に挙げた2つの収益のいずれでもない。

 

広告代理店のビジネスの源泉、それは「メディアマージン」である。

 

もともと日本における広告代理店は、新聞の広告枠の取り次ぎの仕事から誕生した。このあたりの歴史に関しては、下記のブログを参照されたい。

 

斜陽化する広告代理店の歴史考察|聖太郎のブログ

 

広告代理店って、何を代理しているのだろう。(1): ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

 

広告業の進化と歴史、そして大転換 - 業界人間ベム

 

要は、広告を出したい広告主を、広告を載せたいメディアと結び付け、仲介料を取っていたのだ。

 

広告代理店は、戦後日本のマスメディアの発展とともに、ぐんぐんと伸びていった。メディアを使えば使うほど、代理店にカネが落ちる仕組みだ。マスメディアが今とは比べ物にならないほどの力を持っていたその時代、広告代理店に落ちるカネは尋常ならざる額であったはずだ。実際、タクシーチケットが社内のあちこちに山と積まれ、誰でもフリーパスで持ち帰れたなどという、隔世の感のある話を大先輩から聞くことがある。

 

要は、広告代理店の主要なビジネスは、昔から「メディアマージンで稼ぐ」というものなのだ。制作やプランニングという仕事も、元々はメディアに発注する際の付帯サービスだったと聞く。広告代理店は、広告枠の実際の金額にマージンを乗せたお金を、広告主からもらっているわけである。

 

一方で、媒体社への発注が一定期間(一カ月、半年、一年など)で一定金額に達すれば、その何%かのキックバックが媒体社から広告代理店に入ってくる。

 

つまり、主要なビジネスであるメディアの取引を巡って、広告代理店は広告主と媒体社、どちらからもお金をもらっているわけだ。

 

お金をくれる人の言うことを聞かねばならないのが、この世の常である。

 

しかしもし、お金をくれる人同士の利害が、対立しているとしたら?

 

 

 

対立の最も簡単な例は、広告枠の値段である。

 

テレビCMには、スポットとタイムという2種類の売り方がある。どちらも、正確な値段は決まっていない。いや、値段らしきものは一応設定されているのだが、季節や需要の大小、流したい時間帯や番組などによって、非常に大きく変動する。

 

広告主は、広告枠をできる限り安く買いたい。一方で、媒体社はできる限り高く売りたい。そうした綱引きの真ん中で、「クライアントのマーケティング戦略を手助けする広告代理店の人間でありながら、媒体社の窓口・利益代表としても存在している局担」は、どちらの立場に立つべきか、永遠に悩み続けることとなる。

 

値段の他にも、どの時点の視聴率を基準に枠の買い付けを行うかとか(これを「号数」と言う。いつか「テレビ広告ビジネス入門」的な記事を書くことがあれば、このことについても触れよう。)、とかく広告主と媒体社は対立する存在なのだ。そこをうまくやりくりできなければ、局担は両者の板挟みにあい、死んでしまう。

 

 

 

僕が局担という仕事をして一番痛感したのは、「この仕事は、自分という人間の価値を絶えず問われ続ける仕事だ」ということだ。

 

局担に限らず、「バイヤー」(枠を買い付ける人の意)というのは、「誰にでもできる仕事」だと言われることが多い。僕も社内の別のセクションの人間が「局担は要するに連絡係だからな」と口にしているのを聞いたことがあるし、広告系のビジネス書やネットの記事には「次世代の広告代理店に媒体担当者は不要だ」「バイヤーは市場価値が低い」などと書かれていることがある。

 

確かに、世の中をあっと言わせて人の心を掴む表現のできるクリエイティブや、ターゲットの心にどんぴしゃで突き刺さるコミュニケーションプランを考えられるプランナーは、社内・社外から引っ張りだことなり、彼らの仕事は「その人にしかできない仕事だ」と称されるだろう。

 

実際、僕もメディアバイイングの仕事というのは潰しが効かない、やりたくない仕事だと入社前に思っていた。そんな、覚えれば誰にでもできる体育会系の仕事よりも、頭脳を働かせて自分にしか出せないプランを描くような、そんな仕事がやりたいのだ、と。

 

しかし、「誰にでも務まる連絡係」として局担の仕事をこなそうものなら、たちまち手痛い目に遭うだろう。代理店の営業やプランナーから言われたことをそのまま媒体社に伝えても、「お前は代理店の犬か!」と突っぱねられて終わりだし、媒体社のやりたいことを代理店内部にそのまま伝えると、「お前は媒体社の回し者かよ!」と激怒されることになる。

 

「お前はどうしたいんだ」「お前がいる意味はなんなんだ」毎日、この言葉を浴びせられ、「今目の前にある仕事」を、どうやったら代理店・媒体社の双方が納得するような形に持って行けるかをひたすら考え続ける…。それが「局担」という仕事なのだ。

 

それは決して、「誰にでも務まる連絡係」などではないはずだ。

  

 

 

広告業界という、華やかなイメージの先行しがちな舞台の下で、必死になって屋台骨を支えている存在。それが「局担」。

 

彼らの存在は、誰にも気づかれまい。

 

今日もまた局担たちは、ダークカラーのスーツに身を包み、文字通り「黒子」として、夜の街に繰り出していく。

 

必死になって酒を飲み、歌い、踊り、誰にも見られることのない祭りを連日のように媒体社とともに催して、この業界を少しでも盛り上げようと、血みどろになりながら…。

 

 

 

関連記事:もうすぐ絶滅するという、広告代理店の「テレビ局担当」の仕事について。