インターネットは、人間を強化することはできない。あるいは、僕が前のブログをやめた理由について。

この2015年の2月の時点で、この記事を読んでくれている人は、おそらく僕の前のブログを読んでくれていた人だろう。

 

好きか嫌いかは別にして、僕が何か文章を書いていたらそれを読んでやってもいいよ、そういう気持ちを持ってくれている人たちだと思う。そうじゃないと、少なくともこの記事を書いた時点では、このブログには辿りつけないようになっているから。

 

そんなありがたい読者の方々のために、『忘れられても。』の記念すべき1発目の記事として、「僕がどうして前のブログをやめたのか」ということを書こうと思う。

 

 

 

僕がブログを書き始めたのは、ちょうど3年半ほど前。インドに1年間の武者修行に行く、少し前だった。

 

その頃僕はmixi以外のSNSはまったくやっておらず、インターネットの世界のこの僕を、リアルのあの僕だと認識している人は誰もいなかった。利根川進氏と立花隆氏による対談本『精神と物質』でいうところの"Nobody"、何も成していない無名の人間に過ぎなかった。

 

その"Nobody"は、自分が無名であることを武器に、けっこう生意気なことを書いていた。やれ「英語なんて学んでもグローバルで生き残れやしない」とか、やれ「留学の理由なんてどうでもいい、さっさと行け」とか、そんなことを書いていた。

 

ブログの立ち上がり時期にずっと海外にいたというのも、好き勝手に書けた理由だった。自分が書いたものがどんなふうにリアルの世界に届いているのか、僕はそれを目撃せずにすんでいた。

 

この頃は、書くことが本当に心の底から気持ち良かった。キーボードを叩くたびに、カタルシスを感じていた。良い意味で無責任に、誰かの心に傷を負わせるような言葉を、インターネットの海に投げつけていくことができた。

 

そのうち、もっといろんな人に自分のブログを読んでほしいと思い、ちょうどアカウントをつくったばかりのTwitterFacebookに、僕は更新情報を流すようになった。知り合いから「ブログ読んでるよ!」と言ってもらえることも多くなった。時々、友達が別の友達に、僕のブログを紹介してくれることもあった。

 

僕のブログは、はてなにあまた存在するお化けのようなアクセス数を誇るブログたちには遠く及ばないものの、それなりの存在感を持って、僕という人間のアイデンティティとなってくれた。

 

だが、伸びてゆくアクセス数や反響の声とは裏腹に、僕は次第に、自分が息苦しくなってゆくのを感じていた。自分を自分と認識している人たちに向けて、感じたままの心の叫びをぶちまけるのをためらうようになった。

 

そういった息苦しさは、就職してからさらに強くなっていった。

 

テレビ局担当という仕事のキツさ、広告代理店というビジネスの限界、そういったことを、すでにリアルの人間関係にオープンにしてしまっていた以前のブログでは、書くことができなかった。誰が見ても問題ないような抽象的なテーマや、好きな映画や小説のこと、そういったことしか書けなかった。

 

それにもかかわらず、「リアルな世界とつなげることこそが、インターネットの最高の使い方なのだ!これこそが個人でできるO2Oなのだ!」などと、自分を騙してブログを書き続けていた。

 

 

 

インターネットは、リアルの可能性を拡げてくれると人は言う。

 

SNSを見れば、実名で自分の意見を書き綴り、「いいね!」を山のようにもらっているスーパースターたちがたくさんいる。そして、僕が毎日その片隅で脂汗を流している広告業界は、そんなスターたちの養成所のようになっている。

 

だが、どれほどインターネットが個人の可能性を拡大してくれたとしても、それを利用している僕や君は、ただの人間に過ぎない。

 

インフラは、人間の心を強化することはできない。

 

顔見知りの友人たちに向けて、自分の昔からのコンプレックスや、どす黒い感情や欲望に裏打ちされた文章を書きつけることができるほど、僕は強い人間ではない。

 

職場の同僚が見ているSNS上で、自分の働く業界や企業のことを赤裸々に語れるほど、僕は勇敢な(あるいは鈍感な)人間ではない。

 

インターネットがリアルの個人を救ってくれるかどうかなんて、その人次第なのだ。当たりさわりのないポエム程度なら、実名を出したってどうってことない。事実、僕が昔野球をやっていた頃やギターを弾いていた頃に書いたポエムは、今でもインターネット上に置き去りにされていて、僕の名前で検索すればそれらは時間を飛び越えて目の前に現れる。

 

だが僕は、そんなポエムではなく、もっとエグいことが書きたいのだ。人の心の気持ち悪い部分、どうしようもなく救いがたい部分、それでも希望を持てるような部分を、全部描ききりたいのだ。仕事の理不尽さやクソさについても、このまま死んでもいいと思えるような性愛の体験についても、自分が悩んで悩んでひねり出した人生観についても、それから、好きな音楽や小説や映画やお店やお酒についても。

 

だけどそれらのコンテンツを僕という弱い人間がつくる以上、僕がそこに実名で存在し続けるのは不可能なのだ。

 

自分が吐き出したいコンテンツの強さと、自分自身の強さ。左辺が右辺を上回るなら、僕らはインターネットを自分のリアルと接続するべきではないのだ。

 

だから僕は、リアルの人間関係と紐付いたSNSで、自分のブログを宣伝することをやめた。気持ち良く書けてなおかつ誰の目に触れても問題ないと思えるテーマを、針の穴を通すように探し求めるのはやめた。匿名という透明マントを身にまとい、インドのスラムに住む膨大な数の人間たちの中の一人として、遠く離れた日本に己のメッセージを届けていたあの頃を思い出すために、僕はブログを新しくした。

 

 

 

僕は、まったくもってスーパーマンではない。自分の信念に確固たる自信を持っているわけでもない。

 

だからこそ、僕が前のブログをやめると宣言した時に、「新しいブログができたら必ず教えてください」と言ってくれた人たちには、心から感謝している。

 

僕がもし、どんなに世間の反応が鈍くとも自分の信じたことをやり続けられる超人だったなら、そういった読者の人たちの声は、別段気にも留めなかっただろう。

 

自分が凡人であるからこそ、「お前のやっていることは価値があるんだよ」と教えてもらえることが、自分のモチベーションになるのだ。

 

「自分のやりたいこと」など、環境やタイミングに左右される、極めてあいまいなものでしかない。そういったあいまいさを認めて、自分の弱さを前提にして、僕はこれから文章を書いてゆきたい。

 

八方美人で器用貧乏で、何一つ突出することなどできない、こんな僕が書けることなど、たかが知れている。ただ一つ、自分が感じたものを、心のままに書き綴ってゆくこと。それだけは、違えることはしないはずだ。

 

読んでくれている方々に、心からの感謝を。そしてこれからも、こんな僕を応援してやってください。どうぞよろしくお願いいたします。

旧ブログ「忘れられても。」のタイトルについて

「忘れられても。」というタイトルには、僕が文章を書く上でこうありたいなと思う、二つの気持ちを込めています。

 

一つは、「忘れられてもいいんだ」ってこと。

 

僕は、良いコミュニケーションって水みたいなものだと思っています。無色透明で何の味もしない、どんなやり取りをしたのかどうにも思い出せない、でも不思議と良い感じだったことは覚えている。それが、良いコミュニケーション。

 

僕の好きなことの一つに、さし飲みがあります(別にさしでなくてもよいのですが)。良い飲みってのは、人生の先輩からありがたいアドバイスをいただいたとか、とにかく沈黙を埋めるために騒いで盛り上がったとか、そういった飲みではないのです。コミュニケーションの中身は覚えていないけど、居心地のよいコミュニケーションだった、そう言い切れる飲みが、良い飲みでしょう。

 

ブログも、僕と読んでくれる人のコミュニケーションです。僕がなんだかこれは書かないとムズムズするぞと思ったことを書いて、どこかからやってきたあなたがふむふむと読んでくれる。たぶん、読み終わって5分後には、僕の書いたことなんて忘れているでしょう。でも、もしかしたら、僕の文章の何かがあなたの心に引っかかって、読んでいた時はなんだかよくわからないけどワクワクしたぞ、じーんとしたぞ、そんな風に思ってもらえるかもしれない。そうしたらまた、『忘れられても。』というブログに遊びに来てもらえるでしょう。

 

僕は、そんな文章が書きたいのです。何を書いていたかなんて、忘れられてもいい。読んでいた時の気持ちさえ、忘れられなければね。

 

そしてもう一つは、「忘れられても、書き続ける」ってこと。

 

僕は昔、「自分は何かオモシロイことをやって耳目を集め、人とは違った人生を歩むんだ」という、強迫観念にも近いような感情を抱いていました。勉強はよくできたので、がんばって世の中的にはすごいと言われる大学に入りました。それだけで、特別だと思っていました。そして、「人と違った人生」を求めて、ああでもない、こうでもないとさまよっていました。

 

でも、僕には特別なものなんて何もありませんでした。中学・高校とやっていた野球は、高校3年の夏の大会で背番号10をもらえる程度の実力にしかなりませんでした。小学校の頃から海が好きでスキューバダイビングの免許まで取ったのに、100本も潜らないうちに飽きてやめてしまいました。学者になりたかったはずなのに、大学で真剣に学問をする気にはなれませんでした。 

 

僕は、将来何がやりたいのか、自分がどんな人間なのかまるでわかっていない、そのくせ自分の物差しで測れない人間を怖れて見下す、どこにでもいるただの凡人に過ぎませんでした。

 

そんな凡人が、特別な存在になど、なれるはずはないのです。

 

僕の文章は、ネットの海に埋もれ、時代に忘れられてゆく、無数のコンテンツの一つに過ぎません。

 

それでもいい。僕の文章を読んでくれる人がたった一人でもいるのなら、その人に向けて、メッセージを放ち続けたいんです。

 

ピロウズというバンドがその昔、【Please Mr.Lostman】というアルバムに、「THE BEATLESのようなビッグネームになれなくても、俺たちは俺たちの音楽を、聴いてくれる人たちに届けるんだ」というメッセージを込めたように、ね。

 

長くなっちゃいました。今書いた二つのことが、僕が『忘れられても。』という名前に込めた気持ちです。

 

どうぞごゆっくり、お楽しみください。

 

 

 

2014年以前のブログ:『Rail or Fly』

 

 

このブログを書いている人間について。

どうも、クヌルプと申します。

 

 

 

【音楽】

 

ロック・ミュージックが好きです。Mr.Childrenから音楽に入ってロキノン系に進み、その後洋楽・邦楽ともにルーツを辿っていく、というありがちな遍歴です。

 

洋楽では、アメリカっぽいきらびやかな音よりもイギリスっぽい陰鬱な音が好きです。

 

好きなバンドは、THE BEATLESMr.ChildrenMy Bloody ValentineNew OrderThe PillowsPink FloydRadioheadThe SmithsスピッツThe StrokesスーパーカーThe Velvet Underground四人囃子、とか。順不同です。

 

僕の好きなロックの名盤オールタイムベスト10 

 

 

 

【活字】

 

文学にしかできないこと。それは、人の内面をさらけ出させることです。

 

僕の場合、バンドみたいに作家単位で好きな人ってあんまりいないんですが、とても好きだと思える作家は2人です。

 

まずは、ヘルマン・ヘッセ。『郷愁』『車輪の下』『クヌルプ』といったノスタルジックであたたかな色彩を帯びた作品から、『デミアン』『荒野のおおかみ』『シッダールタ』まで…。己の生き方を求道し続け、どこまでも自分は一人なのだという悟りに至る彼の生き様が大好きです。

 

それから、村上春樹。子どもの頃に初めて読んだ時には、ここに出てくる登場人物みたいにいびつで奇妙な考え方をする人たちは実在するのだろうか…と思っていました。でも今では、人は誰でもどこかしら変で、調子はずれで、その狂った部分を埋めようと必死に他者と触れ合おうとしているのだと思うようになりました。『ノルウェイの森』が一番好きですが、初期三部作や『スプートニクの恋人』、『ねじまき鳥クロニクル』も好きです。

 

あとはあんまり作家単位で好きというのはないです。

 

他に好きな作品は、芥川龍之介地獄変』『蜃気楼』、池澤夏樹スティル・ライフ』、ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』、カズオ・イシグロ日の名残り』『私を離さないで』、川上弘美センセイの鞄』『蛇を踏む』、沢木耕太郎深夜特急』、J・D・サリンジャーライ麦畑でつかまえて』、ジョージ・オーウェル1984年』、スコット・フィッツジェラルドグレート・ギャツビー』、田辺聖子『私的生活』、フランソワーズ・サガン『1年ののち』『悲しみよ こんにちは』、武者小路実篤『友情』、村上龍限りなく透明に近いブルー』、森見登美彦夜は短し歩けよ乙女』、湯本香樹実『夏の庭』、といったところでしょうか。

 

小説以外も好きです。椎名誠の破壊的な文体に衝撃を受け、立花隆の好奇心の強靭さに憧れた学生時代でした。

 

 

 

 

 

【映画】

 

昔は映画をほとんど観なかったのですが、ハマってみるとこれが面白い。僕が映画をなんとなく敬遠していた理由は、「ぜんぶ目で見えてわかっちゃうからつまんない」というものでしたが、カメラという視点の外にあるものだってあるし、もっと言えば映画は文学のように心理描写をすることができないため、カメラに映っている人が実際に何を考えているのかがわかりません。その「目には見えないもの」について考えることこそが、映画の面白さだと僕は思います。

 

好きな映画監督は、と言えるほど、まだまだ映画を観尽くせていませんが、スタンリー・キューブリック相米慎二タナダユキデヴィッド・フィンチャーマーティン・スコセッシ溝口健二ロマン・ポランスキーといった監督の作品が好きです。カテゴリー的なところでいえばアメリカン・ニューシネマに、作風でいえばノスタルジーを誘う作品、狂気を感じさせる作品に、どうも惹かれる傾向があるようです。

 

僕の好きな映画オールタイムベスト10

 

 

 

【お店やお酒】

 

仕事柄、もっとお酒が飲めたらなぁ、と思うことは多々ありますが、人とゆっくり話をしながら飲むお酒は大好きです。居心地の良いバーや喫茶店を探してあちこちうろつきまわるのも好きです。好きな街は、神保町、神楽坂、新宿三丁目、中野、京都の鴨川(街じゃないか…)。そのうち「銀座が好き」と言えるようなオッサンになりたいですね。

 

好きなお酒は、サイドカーやバスペールエール。どちらかというと洋酒が好きですが、日本酒や焼酎も勉強してみたい今日この頃です。

 

 

 

中高で野球をやっていたり、スキューバダイビングの免許を持っていたり、インドに1年間住んでいたりもしますが、根は完全なインドア派です。でもいつか、『深夜特急』みたく世界中を歩いてみたいなと思っています。

 

 

 

ご連絡は qnulp@yahoo.co.jp まで。仕事の話とかそうでない話とか、身の上話とかなんでもどうぞ。広告業界に興味ある方のOB訪問のリクエストも大歓迎です。

 

2014年以前のブログ:『Rail or Fly』

 

僕の好きな映画オールタイムベスト10

※不定期に更新されます。趣味の合いそうな方、メールやメッセージいただけると嬉しいです。

 

 

 

第10位

 

ペーパー・ムーン

 

監督:ピーター・ボグダノヴィッチ

 

公開:1973年

 

ペーパー・ムーン [DVD]

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第9位

 

近松物語

 

監督:溝口健二

 

公開:1954年 

 

近松物語 [DVD]

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メモ:人生はどこまでも不条理であること、一人の人間のエゴがその周囲の暮らしをことごとく壊滅させてしまえること、そして幸せとは何か―。息もつかせぬストーリー展開を軸になされる、登場人物たちの心のうちの描写が素晴らしすぎる。名作です。

 

 

 

第8位

 

カジノ

 

監督:マーティン・スコセッシ

 

公開:1995年

 

カジノ [DVD]

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第7位

 

おくりびと

 

監督:滝田洋二郎

 

公開:2008年

 

おくりびと [DVD]

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第6位

 

チャイナタウン

 

監督:ロマン・ポランスキー

 

公開:1975年 

 

チャイナタウン [DVD]

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メモ:レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』を彷彿とさせる、重厚なサスペンス映画。最後まで観る者を引きつけてやまない脚本が見事。ジャック・ニコルソン扮する主人公のカッコ良さもさることながら、ラストシーンに立ち込める哀しみには胸を打たれる。傑作でした。 

 

 

 

第5位

 

ジョゼと虎と魚たち

 

監督:犬童一心

 

公開:2003年

 

ジョゼと虎と魚たち(通常版) [DVD]

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メモ:そんなに立派な人でなくても、誰かと恋愛している間はとても強くなれたりする。そこで本当に成長できるのか、それともこの作品の主人公のように、結局はその強さは一時的なもので、やっぱり自分は弱いということを思い知ってしまうかは、人それぞれではないでしょうか。

 

 

 

第4位

 

ファニーゲーム

 

監督:ミヒャエル・ハネケ

 

公開:2001年

 

ファニーゲーム [DVD]

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メモ:人間の善意につけ込むパウルとペーターの非人間的な行為。それらに加え、眉をしかめつつ「ファニーゲーム」に参加している自分自身の姿を、時折カメラのこちら側に向けて発言するパウルに気付かされて、二重に胸糞が悪くなる。でも、名作です…。

 

 

  

第3位

 

魚影の群れ

 

監督:相米慎二

 

公開:1983年

 

魚影の群れ

魚影の群れ

 

 

 

 

 

第2位

 

遠い空の向こうに

 

監督:ジャック・クレイトン

 

公開:1999年 

 

遠い空の向こうに [DVD]

遠い空の向こうに [DVD]

 

 

メモ: 炭鉱町からの脱出を誓う少年の「ロケットを打ち上げる」夢物語は、街中の人々を巻き込み発展してゆく。『アメリカン・グラフィティ』を彷彿とさせる「ここではないどこか」への少年の憧れや、対立する父親の、炭鉱を人生と定めた覚悟を、見事に描ききった傑作。死ぬほど良かった。

 

 

 

第1位

 

風立ちぬ

 

監督:宮崎駿

 

公開:2013年

 

風立ちぬ [DVD]

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メモ:やっぱり僕はこの作品が好きだ。でもそれは、主人公に感情移入するからではなく、純粋に夢を追い続けることの難しさを、自分に思い知らせてくれるからな気がする。大切な人を犠牲にしたり、大切な夢が誰かに利用されたり。そうまでして、何も帰ってこなかったり。

 

 

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第10位

 

一触即発 / 四人囃子

 

リリース:1974年

 

一触即発

一触即発

 

 

 

 

第9位

 

Technique / New Order

 

リリース:1989年

 

Technique

Technique

 

 

 

 

第8位

 

Rubber Soul / THE BEATLES

 

リリース:1965年

 

Rubber Soul

Rubber Soul

 

 

 

 

第7位

 

FUTURAMA / スーパーカー 

 

リリース:2000年

 

Futurama

Futurama

 

 

 

 

第6位

 

The Bends / Radiohead

 

リリース:1995年

 

The Bends

The Bends

 

 

 

 

第5位

 

名前をつけてやる / スピッツ

 

リリース:1991年

 

名前をつけてやる

名前をつけてやる

 

 

 

 

第4位

 

LOVELESS / My Bloody Valentine

 

リリース:1991年 

 

Loveless

Loveless

 

 

 

 

第3位

 

DISCOVERY / Mr.Children

 

リリース:1999年

 

DISCOVERY

DISCOVERY

 

 

  

 

第2位

 

The Velvet Underground & Nico / The Velvet Underground

 

リリース:1967年

 

Velvet Underground & Nico

Velvet Underground & Nico

 

 

 

 

第1位

 

Please Mr.Lostman / The Pillows

 

リリース:1997年

 

Please Mr.Lostman

Please Mr.Lostman

 

 

 

 

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