さようなら、20代。僕が無限の可能性を夢見ていた時代よ。

大学生や若いフリーランスらしき人々が溢れる新宿の電源カフェで、この文章を書いている。

 

みんな胸を張ってマックブックを叩き、様式美のようにコーヒーを口に含んでいる。

 

日本人向けにアレンジされたチャイラテは、かつてムンバイで毎日のように飲み干していたそれとは、まったく異なる味がする。埃っぽいロードサイドの露店で小さなガラスの容器に注がれるチャイは、ショウガの苦さと砂糖の甘ったるさを極限まで濃縮した、鮮烈な飲み物だった。もうもうと湯気を上げる鍋のなかで煮沸されたそれは、飲食店で出される水よりも、道端で売られるレモンジュースよりも、極東からの闖入者にとってはずっと安全な飲み物だった。出勤前のインド人の親父たちは、膨れた腹を突き出しながら大きな鍋を取り囲み、ウイスキーを気付けにやるみたいにして、1杯5ルピーのチャイを飲み下すのだった。

 

日本の電源カフェのチャイラテは、それに比べればただのショウガ風味のミルクティーだ。その平和な味を舌に乗せながら、僕は自分があの時代からずいぶんと隔たった場所までやって来たことを感じる。

 

僕は今年、30歳になった。20代は辛く、険しい道であり、息のつけない瞬間の連続だった。なんとか世捨て人にならずここまで辿り着けた。生き延びることができてよかった。いまはそうした安堵の気持ちが大きい。

 

 

 

20代とひと口に言っても、前半と後半では、ずいぶんとその様子が異なっていたように思う。

 

 

 

そのほとんどを大学生として過ごした20代前半は、暗中模索の日々だった。

 

自分とは何者なのだろう、という問いに答えようと、人とは違うことをやろうとあがき続けた。強烈に好き嫌いを主張するサークルの先輩に憧れ、明確な将来像を自分のなかに持っている学部のクラスメートに嫉妬した。自分の夢というものがどこかに落ちていると信じて疑わず、それを見つけるためにたくさんのことに手を出した。

 

「将来の夢」や「やりたいこと」というワードは、現代人にとって、一時的に自分を騙すことができるカンフル剤だ。

 

それは、誰かと酒を飲んだ時の高揚感に似ている。酒を身体に入れ、できもしないことを人と語り合っていると、なんだか自分がすごい人間になったような気がしてくる。そのまま良い気持ちでベッドに入り、目が覚めたときには何もかもを失っている。

 

泡のように湧いてくる自分の夢を追いかけて、そのすべての可能性を潰しきったとき、僕は「やりたいことなどなくていい」と思えるようになった。自分は夢など持てぬ凡人であり、凡人は凡人らしく生きるのがよかろう。そう思って、会社という装置に自分を預けてみるに至ったのだ。

 

 

 

20代の後半は、とにかく善人でい続けようと誓った時代だった。

 

自分には、やりたいことなどない。だとしたら、自分のキャリアを会社に決めさせてみよう。任されることは何でもトライして、様々な領域でアウトプットを続けていけば、そのうち自分の得意なことを周りの人たちが判断してくれるだろう。特定の誰かとつるんだりせずに、すべての人たちと仲良くしていれば、そのうち僕が付き合うべき人は誰なのか、社会の側が決めてくれるだろう。

 

そうした他人任せの思考で、僕はこれまでの5年半のサラリーマン人生を生きてきた。自分が凡人であることを骨の髄まで自覚した大学時代があったからこそ、そのような極端なまでの他者志向が可能になったのだ。その他者志向を、僕は「最強の優等生」という言葉で表現した。

 

現代は、人間が極端なまでに理想化されている時代だと思う。いわく、人間は夢や理想を持つことができる。人間には自由意志がある。人間には可能性がある。コンピューターが発展した時代において、人間は自分の人生を理想のものとするために世界に働きかけていくことができる。現代の社会にはそういった風潮があるように思う。

 

そうした時代にあって、あえてそこに逆行してゆく「優等生」という腹の括り方は重宝された。会社ではさまざまな機会を与えてもらい、それ以外の生活でも多くの出来事を経験させてもらった。多くの人にたくさんのものをもらった20代の後半だった。

 

反面、自分のリソースが有限であることも感じるようになった。全員にいい顔はできないことがわかってきた。自分が同じだけの肉体的・精神的リソースを投下しても、アウトプットする領域によって喜ばれる度合いに差があることがわかってきた。

 

僕は選ばなければならなかった。優等生が最も苦手な「優先順位をつける」という行為に着手しなければ、自分自身が物理的に死んでしまうことはわかっていた。「優等生」という、20代前半の僕があれほど欲しかった「自分のアイデンティティ」を捨てるのは残念ではあるけれども、今の僕はまだ、精神の死よりも肉体の死を選べるほど、この人生に満足しきっていないのだ。

 

 

 

30代。僕は、八方美人を辞めて、いくつかのことに集中しなければならない。

 

 

 

一つ目は、小説を書いて世の中に出すこと。

 

初めて書いた小説『局担』は、知人以外の方にも広く読んでいただき、それなりに面白い文章になったと思う。

 

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先日、『局担』の舞台となったテレビ局の人間と飲んでいたときにこの小説の話題になり、「俺たちのことを永遠に遺してくれてありがとう」という言葉を投げかけられた。僕はとても嬉しく思った。同時に、こんな形ではまだ不完全だ、とも思った。

 

僕の夢は、この小説をこの部隊となったテレビ局の制作で、映像化することだ。そのためには、僕自身が作家としてデビューする必要がある。小説を書くだけでなく「世に出す」ことも含めて30代の目標に掲げたのは、彼らへの恩返しとして、『局担』の映像化という夢を果たしたいと思ったからだ。

 

お仕事ものの小説は難しい。それは『局担』を書くなかで痛感した。自分の文章の特徴は五感と思念を詳細に描くことだが、通常、人間はオフィスワークのなかで自分の感性のスイッチを切っているため、僕の文体をそのままお仕事ものの小説に持ってきてもなかなか機能しないのだ。

 

世間においてお仕事ものの小説といえば、池井戸潤のような勧善懲悪エンタメか、山崎豊子のような重厚ドキュメンタリーかにならざるをえないのは、オフィスワークの持つこうした性質のためだと思う。『蟹工船』や『岬』、現代でいえば『コンビニ人間』などは労働のなかでの人間を描いた作品だと思うが、それは身体性と密接に絡む業務だからこそ可能だったのではないか。

 

次に書く作品では、自分の文体が気持ちよく機能するようなモチーフを選びたいと思っている。

  

 

 

二つ目は、少人数で話ができる場所をつくること。

 

この世界には、少人数で何の不安もなく思いついたことを語り合う、という場所が欠落している。僕には昔からそういった感覚があり、それで作ってみたのがこの『よばなし』という4人で飲む企画だった。

 

4874.hatenablog.com

 

見ず知らずの四人で集まって話すだけのこの企画は、シンプルながら、世の中に求められている感触があった。「僕以外の参加者は基本的に参加者同士が知りあいでない人を選ぶ」というルールも、毎回比較的簡単にクリアできた。飲み会といえば大人数で騒ぐかサシでしっぽりやるか、という二者択一の世の中において、「4人飲み」という新しい切り口のコミュニケーションを提案できるのではないかと思っている。

 

4人飲みについてPRっぽく書いてみた文章は、現在も「飲み会 人数」の検索結果の上位にある。

 

careersupli.jp

 

『よばなし』は現在は休止しているが、その理由は、自分の負荷が大きすぎるためだ。この企画をやってみてわかったが、『よばなし』の記事を一つ仕上げるのには、人集めから本番、後日の編集作業を合わせて、およそ15時間程度の時間がかかっている。これをほぼ僕1人でやらざるをえないという現状が、なかなか定期的にコンテンツを届けられていない理由である。

 

おそらく、僕はこの企画のなかで、「いろんな人と話せること」という1点を求めているのだと思う。いや、お店を選んだり、文章を書いたりすることも好きなのだが、本当にここでやりたいことを1点だけ抜き出せと言われたら、「話すこと」に集約されるだろう。そういう風にやりたいことを絞らないと、この企画は回っていかないという直感がある。大学時代にやっていた『僕らのガチ飲み』から、こうした対話コンテンツはずっと続けてきたけれども、そろそろ自分のマンパワーだけで押し切れないことを学ばなければならない。

 

今も時々『よばなし』やらないんですか、と言ってもらえることがある。僕がこれを再開するときは、他の人たちのリソースも頼ったうえで、自分がやりたいことをピュアに追求できる状況が整ったときだ。そう未来のことではないと思うので、もし楽しみにしてくれている方がいらっしゃったら、もう少々お待ちいただきたい。

 

 

 

三つ目は、人間を最大に活かせるリーダーになること。

 

今年から、仕事ではリーダーという役割を任せてもらえるようになった。八方美人であり続けた結果、クライアントにもチームメンバーにも自社のマネジメント陣にも満足してもらえる人間として自分が認識されつつあるのなら、それは僕にとって非常に喜ばしいことだ。

 

僕には、他者を先導したり、他人に対して指揮をとったりしたいという欲求が非常に薄い。あくまで「他の人たちが望むなら、リーダーとして振る舞うこともやぶさかではない」というスタンスだ。自分がリーダーになったのは、自分がリーダーに向いた性質を持っていたからに過ぎない。それは謙虚さなどではなく、心の底からそう思っている。

 

逆に言えば、僕がリーダーになるからには、チームメンバー全員が気持ちよく納得のいく仕事をしてもらえるチームを作りたい。各員の性質や志向を塗り潰して僕のディレクションのとおりに仕事をするのではなく、それぞれのメンバーが自律的に動くようなチームを作りたい。その上で、チームメンバー同士が相互作用して、よりよいアウトプットが出せるチームを作りたい。そう思って、チームにストレングスファインダーを導入した。今では「ストファイ」という愛称でチーム内でも親しまれている。

 

僕が「理想のリーダー像」など語れるはずもないけれど、今目指しているのは、人を真に活かすことのできるリーダーである。人間は、苦手なことや嫌いなことを押し付けられるよりも、得意なことや好きなことをやっていくほうが、明確に人生を楽しく生きられる。対話によって人の性質を捉え、それがどのように仕事において機能するのかを言語化して伝えていく。それが僕が他者に対して貢献できることだと思う。

 

そして、もし人を活かすタイプのリーダーを目指すのなら、「人の特徴を長所としてみる」という自分の性質は、絶対的なアドバンテージになる。相手を嫌ったり見下したりする人間が、その人のなかに長所を見出すことは決してない。昔は好き嫌いをはっきり言える人間や主張の強い人間に憧れたけれども、今では僕は八方美人な僕で良かったと思っている。

 

リーダーになってみて思ったけれども、同じチームのメンバーがそれぞれの好きなやり方で良いアウトプットを出して、それが結果に繋がったときの快感は半端ない。僕は褒められるのが大好きだが、自分が褒められるよりも自分のチームメンバーが認められるほうが、何倍も大きな快楽を得られる。これはなぜなのかまだ言語化できていないのだが、自分が極度の理想主義者であり、すべての人のすべての性質は見方次第で良い結果に繋げられると信じているからかもしれない。

 

広告の仕事は面白いけれども、ずっとプレイヤーでいるよりは、広告というカテゴリーの知識を持ったチームビルダーとして、キャリアを積んでいきたいと考えている。

 

 

 

30代。自分の残り時間は無限ではないということを、最近は感じはじめている。

 

「明日死ぬと思って生きろ」という言葉が、昔は苦手だった。人間の想像力はそんなにたくましくないからだ。明日死ぬと思える人は、死ぬぎりぎりの縁まで行ったことのある人か、先天的にそれくらい自分の命を懸けて生きられる人だ。普通の人間は自分が明日死ぬことなど想像できない。明日死ぬと思って生きろという言葉は、それができる強い人のための言葉でしかない。昔はそう思っていた。

 

だが今では、明日死ぬと思って生きることは難しいけれども、残りの人生で何にフォーカスすれば周りの人をもっと喜ばせることができるだろうか、というくらいのことは考えられるようになった。それは僕が優等生である自分を受け入れ、「何でもやってやろう、自分の何が喜ばれるのかを見てやろう」と、市場に自分を晒してみた結果である。

 

戦略とは何かを捨てることだが、20代を一所懸命に生きたなかで、知らないうちに自分の人生の戦略を策定できていたのだろう。

 

書くこと、話すこと、人を活かすこと。30代からは、これを自分の生涯のテーマと決めて、生きていこうと思う。