「良い子」という呪いを携えて生きるということ。

最近、会社で「お前は本当に良いヤツだな」と言われることが多い。

 

これは自慢でもなんでもなく、むしろ皮肉やからかいといったニュアンスを多分に含んでいるのだが、確かに僕は自分自身「とても良い子」であると思っている。

 

大学生の頃の僕は、「良い子」であることがこの上なく嫌だった。優等生であることより、自分の好きなことで生きていける人になりたいと思っていたし、「自分が生涯かけて成し遂げたい夢」を探して、人一倍あちこち駆けずり回っていたように思う。

 

しかし、今思うのは、自分は「良い子」としてしか生きることはできないのだな、ということ。そして、もしそうであるなら、自分が「良い子」に生まれついてしまったという呪いを最大限利用して、生きてやろうじゃないかということだ。

 

今日は、僕と同じように「良い子」である人に向けて、「良い子が幸せに生きるためにはどうすればよいか?」ということについて書いてみたい。

 

 

 

まず、「良い子」の定義をしておこう。

 

僕が思うに、「良い子」の定義とは、「与えられた価値基準の中で、良い結果を出すために努力できる人」だと思う。

 

想像しやすいのは、「クラスの優等生」だ。内申点を取るということがよい高校に進学するのに有利なのであれば、定期テストで高得点を取り、学級委員などの雑用を進んで引き受け、部活でもリーダーシップを発揮する。嫌なヤツかというとそうでもなく、人を見下したり差別したりせず、誰にでも人当たりよく接することができる。

 

ここでのポイントは、あくまでその価値基準が「与えられた」ものであるということだ。学校であれば「良い成績を取ること」、会社であれば「仕事で結果を出すこと」が、その価値基準になるだろうし、人が集まる場所であればどこでも「そこにいる人と仲良くやること」が、大切な価値基準になるだろう。

 

自分で「作りだした」価値基準ではなく、誰かから、どこかから「与えられた」価値基準。それが、「良い子」にとっての重要な指針となる。

 

 

 

振り返ると僕は、ものごころついた時から今の今まで、とてつもなく「良い子」であったように思う。

 

両親の名誉にかけて言うが、僕は決して「テストで良い成績を取り、先生に好かれる優等生になりなさい」と言われて育ったわけではない。むしろ両親は、事あるごとに「お前は好きなことをやって自由に生きろ」と僕に言い続けていたし、そのためにいろんな環境を準備してもくれた。

 

その教育方針を示す、象徴的なエピソードがある。僕が小学校5年生の時に参加した、サマースクールというイベントだ。

 

サマースクールは、今はもう亡くなってしまったジャック・モイヤー氏という海洋学者が始めた野外学習プログラムといった趣のイベントで、小学校高学年から高校生までの青少年たちが伊豆諸島や沖縄の慶良間といった日本各地の離島に集い、昼はスキンダイビングシュノーケリング)をして海中を観察し、夜は昼間見た生物の生態について、モイヤー氏をはじめとした講師陣の講義を受ける、といった内容だった。

 

僕は子どもの頃から生き物が好きだったし、自分が興味を持ったものについて、本を読んだり話を聴いたりするのが好きだった。そうした姿を見た親が、このイベントに応募してくれたのである。この体験から、僕は将来生物学者になりたいと考えるようになる。

 

サマースクール以外にも、両親は僕のやりたいことのためにあれこれと環境を整えてくれた。僕がやりたいと思ったことを、自由に応援してくれる人たちだった。そのことについて僕は心から感謝しているし、自分が子どもを持ったら、そんな風に育ててあげたいと思っている。

 

 

 

一方で、僕はこの国の教育課程において、一貫して「良い子」であった。

 

この「良い子」がどこから来たものなのか、未だに僕はわからない。生来のもの、と答えにならない答えをつぶやくしかないのである。

 

少なくとも中学を卒業するまで、学校の勉強で苦労したことはなかった。部活ではキャプテンをやり、生徒会なども頼まれれば立候補した。きっと教師からすれば、とても扱いやすい優等生という印象だったのではないかと推察する。

 

高校は、とにかく部活と勉強に一所懸命だった(部活と勉強の両立というのが、公立高校にとってこれ以上ない「良い子」像であることは、議論の余地がない)。高校野球の激戦区・大阪では、僕の通う高校が甲子園に出ることなど夢のまた夢だったが、それでも毎日必死に練習していた。レフトのフェンスまで60mほどしかない小さなグラウンドが使えない日には、母校の目の前にある大阪城の急坂を何度も駆け上がり、「秀吉め、こんなキツい練習環境を後世に遺しやがって…」などと悪態をついたりしたのも、今となっては懐かしい思い出だ。

 

野球部を引退してからは、立花隆氏の『脳を鍛える』という本に頭をかち割られるような衝撃を受け、上述のサマースクールに参加する中で心に抱いた「生物学者になりたい」という夢を無条件に信じて、大学に合格するために一心不乱に勉強した。

 

その中で、「本当に自分は学者になりたいのだろうか?」といった問いは、心に浮かぶことはなかった。仮に浮かんだとしても、「まあ、それは大学に受かってから考えればいいか」と思っていたことだろう。

 

日本においては、大学に入学するまでは、「やりたいことを見つけた時のために選択肢を広く持っておく」ことと「良い子でいる」ことはパラレルであり、ほぼイコールになっている。

 

中学生、そして高校生だった頃を振り返っても、僕は将来の自分が「やりたいことを見つけられない」という事態に陥ることなど想像もしていなかった。とにかく、選択肢を幅広く持っておくためには、難しい大学に入っておいた方がいい。やりたいことは大学に入ってから本格的に固めればいい、そう思っていた。

 

 

 

しかし、大学に入ってじわじわと感じていったのは、「自分が何をすればよいのかわからない」という絶望であった。

 

大学では、何をやるかは個人の自由である。特に、僕の入った京都大学は、本当に「何をしても良い大学」であり、その中でも理学部というのは、京大らしさを煮詰めて瓶詰めにしたような場所であった。なにせ、生物専攻の人間が数学の講義を受けても、単位として認められるような学風なのだ。僕のクラスメートの中には、嬉々として1回生の早々から研究室に通い、2回生の時には論文を書いて、それ以降は研究のために世界を飛び回っているような人間が何人もいた。

 

つまり、「テストで点を取っていれば良い子」だとか「部活に真剣に打ち込んでいれば良い子」だとかいう考え方が、大学では消えてしまうのである。かろうじて、国家公務員や弁護士といった難関資格に合格することや、就職活動で一流とされる企業に入ることが、「良い子」的な考え方なのかもしれないが、京大の理学部にはそうした風潮はみじんもなかった。

 

そんな環境の中で、僕は自分が何をやりたかったのかを見失ってしまった。

 

最初は、これまで信じていた夢に従って、生物科学の研究室を志し、スキューバダイビングのサークルに入った。「自主ゼミ」と呼ばれる学生の自主勉強会に顔を出し、生物科学徒のバイブルとも言える『Essential 細胞生物学』をノートにまとめていった。ダイブマスターの免許を取ることを目指して、サークルのツテを頼って沖縄・久米島にあるダイビングショップに泊まり込み、プロのインストラクターたちに怒鳴られながらアルバイトをした。海洋生物学者という、わかりやすい、きちんと世の中的に名前のついた職業を目指して、僕は順調に歩を進めているかのように思えた。

 

しかし、どうも気が乗らない。生物学の講義の単位は落とすし、ダイビングも大きな合宿以外は顔を出さなくなっていった。所属していたもう一つのサークル、クラシックギター部の部室にこもって、昼間から授業をサボってギターばかり弾いている人間になってしまった。それでも大学の構内にいるならまだマシな方で、ITベンチャーで新規事業と称して石の鉢を売ろうとしたり、『夜は短し歩けよ乙女』に出てくる京大の学祭でドクターフィッシュを泳がせた足湯を出そうとしたり(参照:変人なんて、やめちまえ。)、さし飲み100人斬りをしたり、インターネットで人を集めてウェブサイトを立ち上げたり、果てはご存じのとおり、インドに行って高級アパートを売り歩くインターンにトライしたりした。

 

たぶん、事情を知らない人からすれば「こいつは何をやっているんだ?」と思うに違いない、そんな大学生活だった。それでも自分の中では、「これがやりたいのかもしれない」という気持ちが芽生えるたびに、骨でもしゃぶるようにその希望にすがりついていたのだ。学者、サイエンスライター、新聞記者、起業家、経営コンサルタント…。だがそのどれも、「自分の本当にやりたいこと」ではなかった。

 

 

 

望むと望まざるとにかかわらず、僕は大学の時に、自分の中の「良い子」と決別したつもりだった。

 

元々僕は、「良い子」的な特徴を多分に持ちながら、自分がやりたいことをやって暮らしていきたいと願っていた人間だった。高校までは、「良い子」であることと「自己実現」がうまく共存できていたから、何も疑問を持つことなく「よし、人生はうまくいっている」と確信できていた。いわば「良い子」と「自己実現」は車の両輪であった。

 

しかし、大学という自由な場所では、「良い子」という概念は消失する。それまでと同じ車で走ろうとしても、既に車輪の片方が外れてしまっている以上、前進は望めない。

 

さあそれでは「やりたいこと」に向かって駆け出そうか、と思ったものの、自分がやりたいことだと思っていたものと向き合ってみると、なんだか違う。そんな風にして、「良い子」と「自己実現」の両方の車輪を失ってしまった僕は、今自分が向かおうとしている方角がどの方角なのかもわからず、迷走し続けたのである。

 

繰り返しになるが、僕は高校生の時点では「やりたいこと」が比較的明確にあった人間だと思っている。海が好きだったし、生き物が好きだったし、活字を読んだり生み出したりするのが好きだった。生物学者の他にも、ダイビングのインストラクターだったり、モノカキだったり、そういう仕事ならできるんじゃないかとも思っていた。そんな僕が、やりたいことを見つけられないなど、大学に入る前は想像もしていなかったのだ。

 

 

 

大学1年の春、就職活動をしていたスキューバダイビングサークルの先輩との会話の中で、今でも心に残っている言葉がある。

 

「好きなことを仕事にして生きていくのは、無理なことやで」

 

その時僕は、強烈に腹が立ったものだった。そんなこと勝手に決めるな、お前はそうなのかもしれないが俺はそうじゃない。嘘だと言うのなら、証明してやる―。

 

だが皮肉にも、そこからの大学時代で証明されていったのは「自分はやりたいことを見つけることができない」という、思ってもみなかった命題だった。

 

世界中のカラスを確認した後でなければ、「白いカラスは存在しない」ということは証明しえない。同じように、自分の興味のあることをすべて試してみた後でなければ、「自分は夢ややりたいことを見つけることができない」とは言い切れない。

 

僕は藁にもすがるような気持ちで、脈絡など度外視して、新しい経験を求め続けた。夢が見つかるということが、世界のどこかに白いカラスを発見するのと同じくらい、稀有な可能性だったとしても。

 

 

 

6年に渡る苦闘の末、僕は広告代理店に入ることにした。

 

高校までの「良い子」という属性を失い、「自分のやりたいこととは何か」を問い続けた結果、「限りある時間の中ではやりたいことは見つけられない」という結論に達した僕は、「やりたいことが見つからない生き方でもいいじゃないか」という自分のマイノリティなメッセージを広めたいと思い、広告代理店を志望した。

 

そこで待っていたのは、かつて自分が決別したはずの「良い子」との再会だった。

 

仕事というのは、お金という強制力の介在により、普段の自分なら到底取り組まないようなことに挑戦させるものだ。お金をもらってしまえば、得意だ不得意だ、好きだ嫌いだなどとは言ってられない。それはつまり、「クライアントの喜ぶこと」が「与えられた価値基準」となり、「良い子」を駆動させていく、ということだ。

 

広告代理店のテレビ局担当となった僕は、高校時代のトラウマによってあんなにも距離を置いていた「テレビ業界」の人たちと、日夜濃厚に絡み合うこととなった(参照:僕が「スクールカースト」から解放された日。)。

 

僕が「良い子」でなければ、ここで仕事を辞めていたかもしれない。それほど、僕は「リア充」的なものに苦手意識を抱いていたのだ。しかし、幸か不幸か僕はやっぱり「良い子」だった。苦手だと言って飛び出すよりは、その場所のルールを見定め、そこで評価される努力をする方が性に合っていた。

 

テレビ局担当となった僕は、各局の視聴率を眺め、自分の担当する局の強みを把握し、どのクライアントがどんな番組にCMを流してほしいのか、細かく頭に叩き込んだ。自己流の数式を作って、どうやったら担当局に発注がもらえるのか仮説を立てた。厳しい交渉の中で「お前はもう電話してくるな」と言われても、「嫌われたくない!」という一心で、しつこく相手にまとわりついた。すべて僕が「良い子」だったためだ。

 

普段の業務以外でも、「良い子」であることは役に立った。会社の部活動や、有志の活動で、僕は率先して雑用をやることにした。「若手は雑用でもなんでもやって下積みの中から学べ」という価値観と、「そうした体育会系的な考え方が生産性をなくしているのだ」という価値観のどちらが正しいのか、僕にはわからない。ただ思うことは、「若手が雑用なんて時代は終わった、俺は好きなことをやるんだ」と思っている人が多ければ多いほど、「良い子」的なあり方の価値は、相対的に高まるということだ。「良い子」的なふるまいに苦痛を感じないのであれば、雑用でもなんでもして、人とのつながりを作っていった方が、自分のためになるのだ。

 

そうした「良い子」的な活動の中で、次第に「自分とは何か」という疑問の答えが明らかになってくる。そこにつながっている「自分のやりたいこと」も、少しずつ見えてくる。

 

最近、僕が「良い子」でなければ書けなかったであろう局担の記事が、少なからず業界内で読まれたことによって、社内のまったく知らない人から「何か書いてくれないか」と頼まれることになった。そのうちにこのブログでも告知をするかもしれないが、ミレニアルズ世代について書く予定だ。「自分探し」や「キャリア」のことなら、僕以上に悩んだ人間はそうそういないだろう。そうした自分のテーマとミレニアルズ世代を絡めながら、書いていくつもりだ。入社当時に掲げたマイノリティなメッセージを広めるという志望動機は、もしかしたらここで叶うのかもしれない。

 

 

 

会社に入って改めて思ったのは、自分はこの「良い子」という属性から、生涯逃れることはできないだろうということだ。自分がゼロイチで何かを創り出すのではなく、既にある仕組みの中で「良い子」としてふるまうことしか、自分にはできそうもない。

 

自分が「良い子」であることは、しかたのないことなのだ。それは、どれだけ拭い去ろうとしても消えない呪いである。もしそうだとするなら、「良い子」を最大限自分のために利用して、生きてやろうじゃないか。

 

「良い子」なんて言われるのは嫌だし、もっと自分の夢をかっこよく形にしていっている人のように生きたいけど……。僕にはこんなふうに、泥臭く生きるしかないのだ。

 

 

 

既にお気付きかもしれないが、僕が今日ここで書いたことは、すべて対症療法にすぎない。本来であれば、「自分が本当にやりたいこと」を見つけられるような教育の在り方や人の生き方を、誰か偉い人が説くべきなのかもしれない。

 

しかし、僕が教育を受けた時代は「学歴至上主義ではなく各々の自己実現を可能にする」すなわち「個人がやりたいことをやって生きる」という名目で実施されたゆとり教育のど真ん中だ。その中身には賛否両論あるだろうが、「個人の可能性の実現」が大義名分として掲げられた教育を受けた僕が、ここまで自分のやりたいことを叶えられていないのであれば、それは教育ではどうにもならない性質のものなのではないだろうか。つまり、人間の本質として、「やりたいことをやって生きる」というのは、困難なことなのではないだろうか。

 

そして何より、僕はもう修正の効かない27年間を既に過ごしてしまっており、そこに「理想の教育」や「理想の人生」を持ち込もうとしても、時を巻き戻すことは不可能なのだ。

 

であるなら、今ここにいる自分が少しでもよく生きることができるような対症療法を提示するのも、悪くはないのではないだろうか。

 

「自由に、やりたいことをやって生きようよ」という無邪気な掛け声が、誰かの気持ちを暗くしているとしたら、僕はこう言ってあげたい。

 

「良い子」という呪いを携えて生きることだって、人間には選べるのだと。

検索エンジンには捉えられない「雰囲気がどんぴしゃに似てる」作品5組。

小説を読んでいて、音楽を聴いていて、あるいは映画を観ていて、「あ、この作品はあの作品に似ているぞ!」と思ったことが、誰しも一度はあるだろう。

 

当然、別のジャンルの作品どうしよりは、SF小説ならSF小説、ロック・ミュージックならロック・ミュージックといった同ジャンル内の方が、そういった繋がりを発見することは多いだろう。昨今はインターネットという便利なものがあるので、「ビートルズボブ・ディランが接触した結果、前者はメッセージソングを歌い始め、後者はフォークギターをエレキギターに持ち替えた」といった詳細な相互関係を、知識によって把握することも可能になった。

 

ちなみに、ロック・ミュージックのファンであれば、こうした「ミーム的な繋がりに基づいて次に聴くバンドの目星をある程度つけてしまう」という経験には、思い当る節があるだろう。

 

一方で、ジャンルも時代も国籍も異なっており、その間には何の繋がりも無いはずなのに、同じ匂いを嗅いでしまう作品の組み合わせというのも、確かにある。生物学で言うところの相似器官、ルーツを同じくしないはずの昆虫の翅と鳥の翼のような関係である。

 

僕は、そうした相似の対を見つけると、つい嬉しくなってしまう。それはきっと、四半世紀もそれについて考え続けている「自分自身」なるものが、まったく別の作品に同じような反応を見せたという事実をもって、少しは自分がその正体に近づけた気になるからだと思う。

 

今日は、ミーム的な繋がりのない(はずの)相似的な作品のジャンルを超えた組み合わせを紹介することで、僕と似たような感覚を持つ人たちへのリコメンドになればいいなと思う。  

 

 

 

 

 

1, 【映画】ハル・アシュビーハロルドとモード 少年は虹を渡る』と【音楽】ザ・スミス

 

ハロルドとモード 少年は虹を渡る』は、「アメリカン・ニューシネマで好きな作品を3つ挙げてくれ」と僕が言われたら、必ずその名を挙げるであろう作品だ(ちなみにあとの2つは『イージー・ライダー』と、ニューシネマと呼んでよいのかわからないが『チャイナタウン』)。

 

主人公ハロルドは自殺を演じることが趣味という19歳の少年。ある日、縁もゆかりもない他人の葬式に参列した先で、79歳の老女モードと出会い、恋に落ちる―。いかにも「カルト映画」と呼ばれる作品にありがちな訳のわからなさが匂ってくるようだが、プロットがとてもしっかりしていて、ニューシネマには珍しい希望を(それも純度100%の希望ではなくコクと深みのあるやつを)受け手に抱かせてくれる作品なのだ。

 

 

一方で、ザ・スミスというバンド。非常に内省的で繊細な音を奏でるバンドだ。「もしロッカーが作家をやるなら成功しそうなのは?」という問いがあるとすれば、僕はザ・スミスモリッシージョイ・ディヴィジョンイアン・カーティスを挙げると思う。ただ、両者を隔てる壁は、(結果論であるが)前者は生き残り、後者は死んでしまったということだ。そういう意味でも、『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』という作品に漂う雰囲気は、ジョイ・ディヴィジョンではなくザ・スミスに近い。

 

鬱々とした青春時代に、授業をサボって観るのに最高な映画であり、最高な音楽であると思う。

 

ハロルドとモード/少年は虹を渡る [DVD]

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The Smiths: Reel Around The Fountain

 

 

 

2, 【小説】川上弘美『神様』と【音楽】スピッツ

 

小説を読んでいて音楽が思い浮かぶことは、僕の場合ほとんどない。それでもこの両者の名前だけは、挙げずにはいられない。

 

川上弘美は、これまでのところ女性作家で一番好きだと思える書き手である。これは僕が男だからかもしれないが、女性の方が男性に比べて、その作家特有の心理描写の傾向があるように思う。そこに共感できないと辛いし、共感できるとめちゃくちゃ入り込める。川上弘美以外だと、田辺聖子も好きな作家である。

 

川上弘美の作品は、ビー玉のように透き通っていて可愛らしくて、僕はそういうラムネみたいな作品にめっぽう弱いのだ。なんとセンチメンタルな我がガラスのハート…ではあるが、そういうのにビンビンに感じてしまうのだから仕方ない。

 

そしてこの感覚は、完全にスピッツにも当てはまるものだ。特に初期のスピッツの透明感と童話的世界観は半端ない。直接的ではないのにエロいところも似ている。川上弘美スピッツは、僕の中で絶対に切り離せないマッチングなのだ。

 

冒頭のくまを始め、この世のものではない存在たちがたくさん登場する、川上弘美の『神様』。そこに合わせていくなら、やっぱり『ウサギのバイク』から始まる、スピッツの『名前をつけてやる』だろうか。

 

神様 (中公文庫)

神様 (中公文庫)

 

 

名前をつけてやる

名前をつけてやる

 

 

『名前をつけてやる』についてはこちらもどうぞ!→名前をつけてやる - スピッツ / 情けない青春が詰まった、幻想的な絵本みたいな音楽。 

 

 

 

3, 【映画】ティム・バートンシザーハンズ』と【音楽】キュアー

 

メジャーでオシャレな作風の映画監督を3人挙げろ、と言われたら、『アメリ』のジャン=ピエール・ジュネ、『グランド・ブダペスト・ホテル』のウェス・アンダーソン、そしてティム・バートンのトリオがつい頭に浮かんでしまう。僕なんかは「オシャレ」という概念からほど遠いようなところで幼少時代を送ったものだから、彼らの作品を観ると「オシャレだなぁ」というよりむしろ「これがオシャレというやつなのか…メモメモ」といった感想を抱く。

 

というわけでティム・バートンである。ここで特に取り上げたい作品は『シザーハンズ』。多かれ少なかれ彼の作品はゴシック・ロックっぽい雰囲気をまとっているが、とりわけ本作はその匂いが強い。そしてなかなかテーマが深い。両手がハサミと化した主人公エドワードの姿は、「僕たちは人を傷つけることなく生きることができるのか」という問いを象徴しているように見える。

 

キュアーというバンドは、邦楽をよく聴く人にとってはいわゆる「ビジュアル系」っぽくて敬遠してしまうかもしれないけど、なかなかどうして、聴きやすいバンドである。確かに暗い曲は多いが、メロディがしっかりしていてキャッチーだ。僕が『シザーハンズ』と重ねたのは、彼らの屈指の名曲 "Friday I'm In Love"。映画のドラマチックさと温かみが、見事なまでにこの楽曲の中で表現されている。この映画の音楽をキュアーが作っていたらドンピシャだった。

 

シザーハンズ (字幕版)
 

  


The Cure - Friday Im In Love

 

…とここまで書いて、ティム・バートンがキュアーの影響を受けていたと明言している記事を発見してしまった(The Cure 奇才ティム・バートン監督からラヴ・コール)。「ミームレスな相互関係」ではどうやらなさそうだが、それでもこの両者を結び付ける補助線が1本でも多くあった方がよいと思うので、そのまま記載しておく。 

 

 

 

4, 【小説】筒井康隆『敵』と【映画】イングマール・ベルイマン『野いちご』

 

中学生の頃というのは一生のうちで最も「見えないけれど見たい」という欲求に突き動かされることの多い時期ではないだろうか。もちろん第一に来るのは異性の肉体だ。サルのごとく性欲を持て余した男子中学生たちがこぞって河原のエロ本やアパートの郵便受けのピンクチラシに向かう様は今思うと滑稽であるが、当時はそんな客観的な視点なぞ持つ余裕はなかった。ただ、性欲以外にも、自我というものが目覚め、自分以外の人間は何をどう考えて生きているのだろうかと想像して、見えない他人の「こころ」を見たいと渇望する時期である。

 

中学生の僕にとり、筒井康隆村上春樹と同じく、「見えないけれど見たいもの」を鮮やかに描いてくれた作家だった。当時僕がハマったのは『家族八景』。人の心を読める魅力的なエスパー七瀬が女中に扮し、現代社会を生き抜いていく物語である。人の心がこんなにも自己中心的で欲望に満ちているものなのかと、僕は賢者タイムに絶望したものである。今思うと、あの作品は夏目漱石の『こころ』へのアンサーだったのかもしれない。

 

エロチックでグロテスクと称されることの多い筒井康隆だが、今回取り上げたいのは『敵』という作品だ。高齢の域に達した主人公の精神が、次第に狂気に汚染されてゆく様子を描いている。僕はこの本を初めて読んだ時、老人になっても、人は欲望を抱いたままシームレスに狂った世界へ足を踏み入れてゆくのだということを感じ、恐怖を感じたものだ。

 

そして、『敵』を読んでから10年以上経ったある日、ふと思い立って名画座で観賞したのが、イングマール・ベルイマンの『野いちご』だった。白黒の世界で展開される老人の奇妙な一日を眺めていて、僕はふと「この感覚は昔どこかで味わったことがある」と思った。

 

 

両作品に共通点は多い。主人公が老人であること、そんな主人公の日常を描写した作品であること、そして現実と幻想を行き来すること、などだ。しかし、この2つの作品を何よりも強く結びつけたのは、「現実を現実として認識できる時間が有限であること」の恐怖だった。

 

要素だけで作品どうしを結び付けることなら、コンピューターにも可能である。しかし、「恐怖の色あい」で作品を繋げるということは今のところ人間にしかできないのだ。

 

  

敵

 

 

 

 

5, 【映画】相米慎二台風クラブ』 と【音楽】NUMBER GIRL

 

相米慎二監督の作品は、ナンセンスな筋書きも多く、「よくわからないものが多い」というのが僕の正直な感想だ(わかりやすいのは『風花』くらいだろうか…)。ただこの『台風クラブ』では、中学生たちの「自分でも捉えきれていない訳のわからない感情」がその作風にぴたりとハマり、奇跡的な仕上がりとなっている。

 

 

 

そして世紀末の邦楽ロックを力強く牽引したNUMBER GIRL。彼らの曲は、特に大学時代によく聴いたものだ。徹夜でマージャンをやった後、脳みそがかっとなって冷めやらないところに、不思議とすっと入ってくる音楽なのだ。

 

「初期衝動」という、正体のあるのかないのかよくわからない言葉が、ロックバンドの音像を描写するのにしばしば使用される。そして、NUMBER GIRLほど「初期衝動」という言葉の意味をわかりやすく伝えてくれたバンドはそうないと思うし、映画において「初期衝動」という形容をするのであれば、『台風クラブ』ほどふさわしい作品はないのではないかと思う。

 

台風クラブ [DVD]

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NUMBER GIRL OMOIDE IN MY HEAD

 

(2:49あたりから)

 

 

 

 

 

検索エンジンには捉えられない」と書いておきながら、この記事をアップロードした時点でそれは叶わなくなるわけだな…と自嘲気味に笑いながら、文章を書いた。

 

今日紹介した作品の組み合わせのどちらかが好きなら、もう片方もきっと好きだと思う。そんな風にして、この記事を読んでくれた人の好きなものが増えていけばいいなと思う。 

 

逆に、こいつこういうのが好きなんじゃないか…と思ってくれた人は、ぜひ僕におススメの作品を教えてくれると嬉しい。

 

 

 

 

 

関連記事:青春時代に聴いておくと、後からもれなく思い出になって死ねる邦楽ロック・ポップス10曲

「メディア・プランニング」が意味をなさなくなる時代へ。

昨今、日本では新しい動画サービスが次々と誕生している。NETFLIX・Huluといった黒船勢にはじまり、民放各局の合同キャッチアップサービスTVerテレビ朝日サイバーエージェントが立ち上げたAbemaTVなどがそれに続く。

 

僕も時々NETFLIXTVerを観るのだが、TVerは民放のテレビコンテンツが百花繚乱のごとし、NETFLIXに至っては映画ありドラマあり、国内あり海外ありとあらゆるカテゴリーの映像コンテンツを網羅している。

 

もちろん、日本版ウィキペディアのページすら無いアメリカン・ニューシネマの隠れた名作を観たい時などは、NETFLIXへの入荷を期待するより渋谷のTSUTAYAに行って発掘した方が早いとは思うが、これもウェブに置き換わるのは時間の問題であるように思う。ウェブ進化論で提唱されていた「ロングテール」が、「ウェブのあちら側」で利用できるニッチなコンテンツには適用されるからだ。

 

また、海の向こうアメリカでは、動画プラットフォームの隆盛ぶりを追いかけるようにして、「パリティ」という考え方が登場してきている。

 

パリティ」とはParity、等価という意味合いである。あまり聞きなれない英単語だと思うが、物理学(特に素粒子物理学)をやっている人なら「パリティ対称性の破れ」で知っているだろう。

 

動画広告の世界において、「パリティ」は「TVにおける1回の広告露出とウェブにおけるそれは同じ価値を持つ」という考え方を指す。下記は、今年の5月11日に出た記事である。

 

Will There Be a Multiplatform Upfront? ~Digital Video, TV Industries Face Need for a Common Measurement~ - AdvertisinAge

 

タイトル訳:複数プラットフォームのアップフロント※市場は実現するのか?~デジタル動画とTV業界は共通の指標の必要性に迫られている~

 

※「アップフロント」とは、アメリカのTV広告市場における「先買い」のこと。日本で言う「タイム」に似て、年間を通じて枠を買い付ける市場のことを言う。

 

上記の AdvertisingAge の記事はかなり長いので乱暴に要約すると、「TVとデジタル広告においてはこれまで異なる指標が用いられてきており、同一の指標で計測すること(=「パリティ」)は難しいと思われていたが、デジタルGRPなどの新しい指標の開発により互換性が高まった結果、TVとデジタルが統一されたプラットフォームでの広告取引は決して遠い未来の話ではなくなってきた」といったところだろうか。

 

いずれにせよ、「パリティ」という考え方によって、TV番組もウェブの動画も、同じ価値を持つコンテンツとして認識されてゆくことは間違いない。

 

そうなると、映像コンテンツが巨大なプラットフォームに集約されてゆくという現在の流れは、ますます加速するだろう。TV番組は、民放各局のチャンネルで観るものではなく(そうした習慣も少しは残ると思うが)、NETFLIXかHuluかAmazonプライムビデオかはたまた他のサービスになるかは知らないが、TV・ウェブの両方に接続可能なプラットフォームで観るものとなるだろう。

 

今日の記事では、様々なコンテンツが少数のプラットフォームに集約されていく先にある、「プラン・バイ・コンテンツ」という考え方について書こうと思う。

 

 

 

コンテンツの置きどころが少数のプラットフォームに収斂していった場合、広告代理店のプランニングは形を変えていくだろう。各メディアごとのコミュニケーションの最適化を図る「メディア・プランニング」ではなく、各コンテンツごとのコミュニケーションの最適化を図る必要が出てくる。それを、この記事では「プラン・バイ・コンテンツ」とした(長いので以下PBCとする)。

 

いかにもダサい名前なので、よりよい名前を思いついた人はぜひ共有してほしい。

 

PBCとは何かと言うと、「コミュニケーションの最適化を、メディアごとではなくコンテンツ(の形式)ごとに考える」ということである。

 

具体的に書こう。コンテンツには、様々な形式のものがある。映像、活字、音楽、画像……。また、映像が好きな人、活字が好きな人……と、人によって好きなカテゴリーが異なるのも、周知の事実だろう。

 

例えば僕にとって、最も親和性の高いコンテンツ形式は活字である。子どもの頃から身の回りに本が山と積まれていた僕は 、小学生にして椎名誠の『あやしい探検隊』シリーズに憧れ、筒井康隆の『七瀬』三部作にエロチックな妄想を抱く、ませたガキになってしまった。

 

(僕が子どもの頃から好きだった本については、思春期にみていた世界が蘇る、「またここに戻ってきたい」と思う小説10選。 参照。)

 

あやしい探検隊 アフリカ乱入 (ヤマケイ文庫)
 

  

家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

 

 

時系列で辿れば、小説と同時期かやや遅れて目覚めたのが日本のポップスやロックであった。それも、「言葉がわかるから」といった理由だった。そこから高校~大学にかけて洋楽も聴くようになった。映像コンテンツは実はずっと苦手で、それこそ社会人になってから、きちんと観賞するようになったと言ってもよい。

 

そんな僕にとって、最も響きやすいコミュニケーションの形は「活字」である。椎名誠が『もだえ苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵』というフィクションだかノンフィクションだかわからないホラーな物語で描いたように、僕もまた「活字中毒者」であるから、そこに文字の羅列がある限り、それを読まずにはいられない。

 

四谷学院の「なんで私が○○大に!?」というおなじみの広告は、常にあの細かい文章の部分を読まないと気が済まないし、迷惑なダイレクトメールはとりあえず最初から最後まで読んでみて「なんて支離滅裂な文章なのだ……」と絶望しながらゴミ箱に放り込む。

 

もし、「活字コンテンツ」のプラットフォームが一元化されれば(その最初の波がKindleだと目されていたが)、こうした「活字中毒者」たちを一網打尽に捉えることが可能だ。これまでのプランニングでは、「雑誌なら、柔らかめで『Pen』や『BRUTUS』に、堅めで『文藝春秋』に出稿しよう」という「メディア選定」が必要だったのが、「活字好き」をターゲットにして一発でコミュニケーションを図ることができるのだ。

 

もちろんそれは活字コンテンツに留まらない。シネフィルやロック中毒の方々も、もれなく捕捉されるだろう。そもそも、映像プラットフォームが一元化され映画とドラマの間の垣根が取り払われれば、「シネフィル」という言葉すらなくなっているかもしれない。

 

PBCが実現された時、マーケティングにおいては「映像が好きな人ってどんな人だろう?」「音楽が好きな人ってどんな人だろう?」と、心理学により接近したアプローチが行われると推測される。もう少し言えば、メディア・プランニングの時代から「より人間の本質に迫ったマーケティング活動を行う必要が出てくる」ということだ。

 

僕は自分が映像や画像といったものに苦手意識を持っていたためにわかるのだが、視覚で情報を捉えるタイプの人は、「形」や「色」にこだわりのある人が多い。反対に、活字が好きな人は「言葉」にこだわりがあると言えるだろう。コンテンツによってターゲットを横断的に観察することが可能になることで、「人間」についての理解のされ方も更新されるだろうし、クリエイティブにおいて力を入れる部分も変わってくるだろう。

 

既に、ウェブに繋がれたメディアにおいては、運用型の広告枠によって一律な広告配信が可能になっている。しかし、現在はまだ、「ターゲットをコンテンツの形式ごとにカテゴライズする」という動きは生じていない。

 

それぞれのコンテンツのプラットフォームが統合された時、それは、広告代理店において人間の捉え方が変わってしまう瞬間になるだろう。

ロボットや人工知能によってアイデンティティが脅かされるのは、「人間より仕事ができるから」ではない。

「ロボットが人間の仕事を奪う未来」というテーマが、マクドナルドの前CEOの発言をきっかけに、話題になっていた。

 

ロボットが人間の仕事を奪う「最低賃金」は15ドル:マクドナルド前CEO発言

 

また、人工知能(Artificial Intelligence、AI)についての議論も、依然活発だ。少し前に行われた囲碁AIとプロの対決は、囲碁を少しでもかじったことのある人にとってはゾクゾクするものだったであろう。

 

圧勝「囲碁AI」が露呈した人工知能の弱点

 

「単純な作業、反復的な思考から解放され、人はより人間らしい、自分にしかできないクリエイティブな仕事に打ち込めるようになる」というのが、ロボットやAIの普及した世界の一つの理想像だ。

 

しかし、はたしてそのようなバラ色の未来予想図は実現するのだろうか?

 

労働の機会が失われることで、人は「自分にしかできない仕事に邁進することができる」どころか、「自分自身が何者なのか知る機会を与えられず、アイデンティティを喪失する」のではないだろうか。

 

それはもはや、個性を持たないロボットと同じ存在に、人間がなりはててしまうということではないだろうか。

 

今日の記事では、「人間に人間らしさを与えるために開発されたロボットやAIが、結果として人間の人間らしさを奪ってしまうこと」について書いてみようと思う。

 

 

 

人間は、労働によって自己自身を発見する。

 

これについては、難しく考えずとも、誰にでも思い当ることがあると思う。

 

大学時代、僕は自分の気になったことにとことん手を出してみようと思い、ベンチャー企業つげ義春の『無能の人』のごとく石を鉢植えにしたネギの家庭菜園セットを売ったり、学祭でドクターフィッシュを手製の足湯にぶち込んで商売しようとしたり、インドのムンバイまで行って高級アパートを日本人の駐在員に売る仕事に就いたりしたが、最も身になったと思っているのは、実はブラックと名指しされる某居酒屋チェーンでのアルバイトだった。

 

僕はそのアルバイトをするまで、ほとんど労働というものを体験したことがなかった。強いて言うなら、塾講師を少しやった程度。そんな僕が、「いらっしゃいませぇ!」と声を張り上げ、「お客さん、飲み放題コースいかがですか?」と営業する姿など、当初は想像することだにできなかった。

 

テーブル番号やメニューの名前、さらにはハンディ(オーダーを取る機械)の使い方を必死に覚えながら、ようやくお客さんの注文が取れるようになった時に僕が発見したのは、「自分は人が欲しいものと手持ちリソースをすり合わせていくことが好きなのだ」ということだった。

 

これに気付いたのは、いわゆる「飲み放題コース」を営業する中でであった。居酒屋には、「飲み放題コース」と呼ばれる、飲み放題付きのコース料理がある。一般的に、「飲み放題コース」は客単価が上がり、かつオペレーションが単純化されるため、お店側としては推奨して売ってゆきたいサービスである。一方で、飲み放題にしたいと思っているお客さんの側にも「この料理は別の料理に変えてほしい」「こんなに食べない」「そもそも飲み放題にするほど飲まない」など、様々な要望がある。

 

「飲み放題コース」はどうやったら売れるのか、というテクニックについては論旨から外れるためここでは書かないが、最終的に僕は、「飲み放題コース担当のホール責任者」として、忘年会シーズンはひたすら「飲み放題コース」を勧める社畜アルバイターと化し、その売上への貢献が認められて社長のW氏の署名の入った表彰状をもらったりもした。そういった結果につながったのは、僕に商才があったとかそういうことよりも、「人が好きなものは何かを探り、それにできる限り近いものを自分の手持ちのリソースの中から提案することが好きだったから」だと思う。

 

僕は今も、人と飲む時には「その人が好きそうなお店」をリサーチしたり、「その人が好きそうな小説や映画の話」を振ったりして、楽しいコミュニケーションの時間を創出するのが大好きだ。これだって、「相手の好きなものと自分のリソースをすり合わせる」ことに他ならない。

 

ヘーゲルは、「奴隷と主人」という関係の中でいかに奴隷が「自主性・自立」を獲得するかを述べた文章の中で、下記のように述べている。

 

物を形成するなかで自分が自主・自立の存在であることが自覚され、こうして、自主・自立の過不足のない姿が意識にあらわれる。

 

物の形は外界に打ち出されるが、といって、意識と別ものなのではなく、形こそが意識の自主・自立性の真の姿なのだ。

 

かくして、一見他律的にしか見えない労働のなかでこそ、意識は、自分の力で自分を再発見するという主体的な力を発揮するのだ。

 

(『精神現象学』p.137) 

 

精神現象学

精神現象学

 

 

労働する(=「物を形成する」) 中で打ち出されたアウトプットが自分自身のアイデンティティなのだ、ということが、この文章の中では書かれている。それは、何も有形のものに限らず、僕が上で例として挙げたような「無形のサービス」においても同じだ。

 

居酒屋のアルバイトというのは、学生が体験する労働の機会の中でも、最もありふれたものの一つだろう。物珍しい経験をしなくとも、「自分自身のアイデンティティ」というものは、いくらでも発掘可能なのだ。

 

 

 

しかし、ロボットやAIによって労働の機会が減ると、自己自身を発見する機会というのは少なくなる。

 

居酒屋の例で言えば、昨今増えている「タッチパネル式の注文」がすべてのお店で普及すれば、オーダーを取りに来る店員は不要となる。僕が自分自身の特性を発見した「飲み放題コースの営業」という仕事も、人間がやる必要はなくなるかもしれない。

 

ロボットやAIの普及が人間の価値を減じてしまうのではないか、という、ディストピアものの小説や映画でよくテーマとなる懸念は、たいていの場合ハード面での比較におけるものだ。つまり、「ロボットやAIの能力」と「人間の能力」を見比べて、「計算ならロボットの方が正確で速い」「過去の事例から現在の課題の最適解を見出す力ならAIの方が得意だ」という事実をもって、「だから人間は無価値なのだ」と結論するのである。

 

それは例えば、こういった広告事例を目にして「自分の投票したのが人工知能の作ったクリエイティブだったらなんとなくゾッとするなぁ」と感じる心にもつながっている。

 

AIがいよいよクリエイティブ領域に進出?!「クロレッツ ミントタブ」が人工知能クリエイティブディレクターにCM制作を依頼世界初!人間VS人工知能のCM制作対決! 

 

しかし、議論すべきより根源的な問題は、労働におけるソフト面、言い換えれば「なぜその仕事をしているのか」というその人のアイデンティティに関わる問題の方ではないだろうか。

 

人間どうしで職の奪い合いをしている今ですら、「自分の代わりとなる能力を持った人間」は、世の中にゴマンといる。ハード面で比較するなら、既にほぼすべての人が「誰かと代替可能な存在」なのである。

 

だが、それぞれの人は、それぞれの人に固有の「労働する理由」を持っている。それが「ソフト面」である。僕であれば、広告代理店で働く理由は「自分のメッセージを知らない人に届ける力を身につけたいから」というものだ。

 

同じ動機で広告業界で働いている人はたくさんいるが、「僕にとってのこの動機を満たすことのできる」人間は、僕しかいない。動機のオリジナリティという点で言えば、能力の比較と同じく代替可能だけれども、「その叶えたい欲望を満たして快感を覚える人間、幸せになれる人間」というのは、誰でもない、自分自身なのだ。

 

また、表面的には同じような動機であっても、掘り下げていくと誰にも真似しえない自身のアイデンティティの鉱脈に突き当たる。事実、僕が就職してから書いた 僕が「スクールカースト」から解放された日死ぬまで死ぬほど自分探し、それでいいんだ。といった記事の内容は、「働いてみて改めてわかった、自分自身の価値観」そのものである。

 

労働することで、人は自分自身を発見していく。労働というのは、金銭というものが関係している以上、「嫌だからやらない」「興味がないからやらない」と拒否しづらく、その結果「自分すら知らなかった自分自身」を発見するのである。

 

(学業でも同様の現象が見られることは、「教育に関心があります」と言う人はまず、「受験勉強の意味」を語れるようになってほしい。 でも書いた。)

 

ロボットやAIの存在は、そうした「労働」というプロセスを、アイデンティティを確立する極めて重要な機会を人間からはぎ取り、「自己とは何か?」と問う力を失わせてしまうのではないだろうか。

 

それは、「機械が人間より能力的に優秀だから、人間の仕事がなくなってしまう」などということよりも、遥かに深刻な問題ではないだろうか。

 

 

 

ロボットやAIが、人間の「労働」という機会を奪った時、そこで失われるのは「人間らしさ」そのものである。

 

人間に「人間らしさ」を発揮させるために開発された彼らがむしろ「人間らしさ」を失わせてしまうというのは、なんともぞっとする光景である。

 

願わくば、古代ギリシャ時代の哲学者たちのように、あり余る時間を持て余した人間たちが、新たな「人間らしさ」に辿り着けますように。

『よばなし』、しませんか。

自分はどうやら、「飲み会」なるものが好きではないようだ。

 

そう気付いたのは、大学生になって少し経ってからのことだったと思う。

 

その場にいる人たち全員が楽しめるような、バカ話や恋愛トーク。その瞬間を楽しむために準備され、即座に消費されてゆく、飲食物や出し物の数々。

 

そうやってその一瞬一瞬を楽しく過ごすのが大好きだという人も、世の中にはたくさんいるのだろう。

 

だが、僕にとっては、そういった時間は「消費」以外の何物でもなかった。

 

それでいて、人にノーと言うのが苦手な僕は、飲み会の誘いを断ることもせず、「こんなことをして何の意味があるのか」という問いを頭の片隅に感じつつ、囃されるままに生ビールを飲み下していた。

 

 

 

一方で、どうやら自分は「少人数で飲むこと」がめちゃくちゃ好きみたいだ、と気付いたのも、大学時代だった。

 

その最たるものが、「さし飲み」である。

 

初めは「他の人の価値観や考え方を学びたいから」という、ちょっとキモチワルイ高尚な理由で始めたさし飲みだったが、今では「その会話を通して、その人がどんな人間なのか、自分がどんな人間なのか、知っていくのが楽しいから」という至って快楽主義な動機に落ち着いてしまった。

 

学生時代に150人くらいとさしで飲み、今ではもう、数えることを止めてしまったが、300人くらいにはなっただろうか。今週だけでも、5人と飲んでしまったくらいだ。

 

「最大公約数の楽しさ」を見出さねばならない大人数の飲み会と違い、少人数の飲み会では「個人ならではの外れ値」にフォーカスできる。僕にとっては、それが何より楽しい。僕が「スクールカースト」から解放された日。 でも書いたように、それはきっと、昔人気者になれなかった悔しさの裏返しなのだろう。キャッチーな「最大公約数の楽しさ」を発揮できなくとも、人間の内面には奥深いおもしろさが潜んでいるのだよと、僕は世の中に訴えたいのだと思う。

 

 

 

飲み会は苦手だけど、少ない人数でのんびりコミュニケーションするのは大好きだ。合コンや異業種交流会でも知らない人とは出会えるけれど、もっとじっくり、「会話」が好きな人たちと、話をしてみたい。

 

「パーティーピープル」でもなく「人間ぎらい」でもない、そんな人たちが集まって、どこかの街の片隅にあるお店で、しっぽりと話し続けるだけの会。

 

ありそうできっと身近には見当たらない、そんなコミュニケーションの機会を、つくってみたいと思います。

 

企画の名前は、『東京よばなし』。

 

別にお酒がマストではありません。が、少しでも飲めるのであれば、ぜひ「お酒の味」そのものも、コミュニケーションの潤滑油に変えてもらえればと思います。テレビ局との会食で幾度となく撃沈してきた僕が、身銭を切って試した「弱い人でも飲める美味しいお酒」を教えます。

 

お酒のみならず、お店の雰囲気や、料理の美味しさなんかも、コミュニケーションのきっかけになるとよいですね。

 

決行人数は、僕を入れて4人とします。

 

企画名の通り、まずは東京のどこかで開催予定ですが、そのうち『京都よばなし』や『大阪よばなし』もあるかもしれません。

 

まだまだ企画自体がプロトタイプの段階なので、いろいろと不明な点もあるかもしれませんが、世の中にあまり見かけない「少人数コミュニケーションの場」を、一緒につくっていけたらなと思います。

 

あなたのご参加をお待ちしています。

 

 

 

※後日追記

 

『よばなし』はじまりました!

 

いいね!いただければ、よばなしのご案内を差し上げます。

 

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また、よばなしの様子はこちらで読めます!

 

4874.hatenablog.com

就職活動に「相性」は要らない。

僕が就職活動をしていた頃、「広告業界に行きたい!」という気持ちは誰にも負けないくらい持っていたつもりだったが、一方で、「僕が広告業界の選考にパスできるのか?パスできたとして、はたしてやっていけるのか?」という迷いも、少なからず抱いていた。

 

それは、「広告業界というのは、どんな人とも仲良くやれるコミュニケーション能力があり、流行やムーブメントに敏感で、楽しいことが大好きな『リア充』が行く業界ではないか」と思っていたからだ。

 

実際に入社してみて、その考えは間違っていなかったと思う反面、「あんなに『自分でも大丈夫なのかなぁ』なんて悩む必要はなかったな」とも思う。

 

就職活動では、「企業との相性が何よりも大切だ」という言葉をよく耳にする。「社風が決め手でここに決めました!」「人がどこよりも自分に合っているからここに決めました!」そう語る先輩たちを、僕は就活のイベントやOB訪問などでたくさん目にしてきた。

 

しかし、「とても広告代理店マンには見えない僕」が広告業界で働いてみた結果、「就活において、相性というのは正直どうでもいい要素なのではないか?」と思うようになった。

 

今日は、就活生の頃の僕のように、自分のイメージとはかけ離れた業界を志す人たちに、「迷わずにそのまま突っ走れ!」というエールをおくる記事を書こうと思う。

 

最初に、「自分の雰囲気にそぐわない業界や企業に入ることができるのか?」という疑問について書き、その後で「相性の合わない企業に入ってやっていけるのか?」という疑問について書いていこう。

 

 

 

 

 

まずは、「自分の雰囲気にそぐわない業界や企業に入ることができるのか?」という疑問について。

 

結論は、「自分の学びたい部分にフォーカスして志望理由を語ることができれば、十分にチャンスはある」というものだろう。

 

基本的に、その業界の雰囲気や社風というものはビジネスモデルと密接に結びついている。広告業界で言えば、「マスメディアからCMの手数料を得ること」がこれまでの繁栄を支えてきた。マスに届くメディアを使えば使うほど広告代理店は儲かる。したがって、広告業界では「たくさんの人を動かしたい人、人の気持ちの最大公約数を捉えられる人」が重んじられてきたし、「みんなで楽しいことをやろう!」という雰囲気が醸成されてきたのだ。

 

(参考:広告業界にはなぜ合コン好きな人が多いのか。

 

そういった「ビジネスモデル」と業界の雰囲気や社風を結びつけて考えられている人が、「相性が合わないかも…」と思いながらもなおその業界や企業に惹かれてしまうなら、面接では「どうしてこの業界を志望したのですか?」という問いに詰まってしまうかもしれない。

 

しかし、落ち着いて自分を見つめ直してみれば、その問いへの答えはすぐに思い当るだろう。

 

合わないかもと思いながら、それでもその業界、その企業を志望する理由。それは、「今の自分には持ちえない力を身につけたいから」以外にありえない。

 

僕は、学生時代からブログを書いてきた。「学歴や経験を生かし一流の企業に入って安定した家庭を築くこと」や、「世の中を変革するインパクトを持つような夢を抱き、その実現に向けて邁進すること」のような、世間的に「素晴らしい人生、幸せな人生」と称されるものに違和感を覚え、「自分は超人にも大衆にもなれないアウトサイダーだ」という一心で、文章を書き続けてきた。

 

その不格好なメッセージを、インターネットという大きな海は拾い上げ、届けるべき人たちのもとへ届けてくれた。インターネットを通して、僕はたくさんのかけがえのない友達を得ることができた。

 

一方で、インターネットだけを相手にしていては届かない人もいるということを、僕はいくつもの記事を発信し続ける中で気付いてしまった。だからこそ、すべてのメディアを相手にして、「広く知らしめる」コミュニケーションを築いてゆける広告代理店を志望したのである。

 

奇しくも、広告代理店が「デモグラフィックからサイコグラフィックへ」「セグメントからペルソナへ」「枠から人へ」などといった言葉で語られる転換期を迎えていたことも、僕にとっての追い風となった。

 

自分が「学びたい」と思っていることと、その業界の行く末をシンクロさせ、自分の人生とビジネスの未来を一つの絵の中に納めて描くことができれば、たとえ「その業界らしからぬ人間だ」と思われていたとしても、絶対に内定をもらうことができるはずだ。

 

 

 

余談ではあるが、僕は今いる企業ともう一つ、それこそ「一人ひとりにしっかりと届くコミュニケーションを考えよう」という企業理念のもと動いている、別の企業Rからもお誘いをいただいていた。R社で働いていた経験のある先輩からは、「社風だけで言えば、間違いなくR社の方が君には向いていたとは思うよ」と言われたことがある。

 

そんな相性抜群の世界にお断りを入れてでも、僕は「広く知らしめる力」を手に入れたかったのだ。

 

「自分ととても相性の良い企業」の選考にも本腰を入れて取り組み、その上で「やはり相性よりも手に入れたい力が自分にとっては重要なのです」と言い切れる人間は、どんな会社からも「そこまで言ってくれるのならぜひともチャンスを与えたい」と、諸手を挙げて迎え入れられるのではないだろうか。

 

 

 

 

次に、「相性の合わない企業に入ってやっていけるのか?」という疑問について。

 

これはもう言い切ってしまうが、入社してから自分との相性がどうのこうのというのは甘えでしかない。配属先も、最初に与えられる仕事も、何一つ自分では決められないからだ。

 

(参考:就職先を「人」で決めてはいけない理由。

 

社会人というのは、その仕事でおカネをもらうプロになるということ。プロとして重要なことは、相性や適性がどうこう言うことではなく、相性が悪く適性が無いならばそれなりに、どう結果を出していくかを考えることだ。

 

僕は局担という仕事が自分には半端なく向いていないと思っている。それは、テレビというメディアが「みんなを楽しませる」ことを正義としており、その力を持った人間にとって楽園にも等しい場所である一方、僕にとっては「みんなを楽しませる」ことはこの世で最も苦手なこと以外のなにものでもなく、そんなことより世界の片隅でこぢんまりとした楽しみを味わっていたいと思ってしまう人間だからだ。他店の局担が自慢の宴会芸で会食を盛り上げ、テレビ局のお偉いさんの目に留まる、そんな「人間力」など僕は持ち合わせていないし、やろうと思うだけで吐き気がする。

 

しかし、数字を見たり思考したりすることや、社内の人間とのコミュニケーションを通じて情報を取ることなら、僕にも十分戦える余地はある。テレビのプランニングを考える人間が使うようなツールを自分でも使って、高い視聴率が見込めそうなCM枠をはじき出す。ささいなことでも営業や業推に話を聴いてスポンサーの理解を深める。一つひとつは誰にでもできることかもしれないが、忙しい日々の中で「誰にでもできること」を積み上げていくのはそれほど簡単なことではない。そこには、受験生時代に培った「ペース配分を考える力」「文字や数字の処理能力」や、積み重ねたさし飲みの時間の中で身に付けた「ヒアリング能力」が活きていると思う。

 

自分の弱みを平均点まで持ってくるのは辛いし難しい。であるなら、同じ結果を出すために強みを活かすことを考えればいい。それをひたすら繰り返すのが、プロであるということだ。

 

 

 

「多くの人に広く知らしめる力を手に入れたい」と思ってこの業界に飛び込み、2年弱という時間をかけて、僕がおぼろげながら理解してきたことがある。

 

それは、「広く知らしめるためには、ツッコミを入れたくなるような要素を対象に持たせるのが重要だ」ということである。

 

僕自身の例で話そう。

 

僕という人間は、先輩の言葉を借りれば「およそ広告代理店にいそうもない人間」である。イケメンでもなくトーク下手、今風の洒落者というわけでもないこのネクラ人間を見れば、「なんでお前が広告代理店にいるんだ!」と叫びたくなるのも無理はない。

 

そのままであれば、僕はただの「よくわからない人間」で終わりである。しかし、 人を笑わせて場を盛り上げるのが苦手な人のための、コミュニケーションの戦略。 でも書いたように、「デートするとしたらどこ行くの?」「1950年代の映画をオールナイト3本立てで観て喫茶店でお茶します」「なんだそれ!」といった会話を通して、(あるいは、カラオケで自分の入れたポルノグラフィティの『アポロ』が流れる前に「演奏中止」のボタンを押され続けるいじられキャラとして、)「明るいネクラ」というイメージを持ってもらえれば、そのキャラクターはマスにさえ通用するものとなる。

 

糸井重里氏は、『ふたつめのボールのようなことば。』でこのようなことを書いている。

 

『取っ手』

 

「理解されっこない」ようなことに、

 

理解されるかもしれない「取っ手」を見つけて、

 

よその人に持たせてみる。

 

(『ふたつめのボールのようなことば。』p. 29)

 

 

この「取っ手」という概念こそが、マイノリティなメッセージを幅広い人たちにリーチさせる上で必要不可欠な要素なのではないかと、広告代理店に入って2年が経とうとしている今、思っている。

 

 

 

 

 

相性が合わなそう、なんとなく違和感がある…。それでもその業界に飛び込もうと言うのなら、それは相応の何かが胸の内にあってのことに違いない。僕がかつて「ブログでは届ききらない人たちに自分のメッセージを伝える術を学びたい」と思って広告業界に入ったように。

 

そういう人は、ぜひその違和感を抱えながら、行きたい業界・企業に飛び込んでいってほしい。そしていつか、もやもやが言語化された時に、自分だけの言葉でそれを語ってほしい。

 

凡人にとっては、違和感こそが、オリジナリティの種になる。

 

 

いつかどこかで、マイノリティ同志として、ビジネスの世界であなたと相まみえんことを。

4人以下の飲み会が居心地の良いものになる理由を、数学的に証明する。

※この記事の内容は、清書した上で 4人飲みはなぜ面白い?数学で考える飲み会の最適人数 に寄稿させていただきました。

 

 

 

新卒で広告代理店に入り、はや2年が過ぎようとしている。

 

テレビ広告業界の会食や合コンなど、京都の片田舎でPCRなぞを駆使して遺伝子について考えていた頃とは真逆のめくるめく世界に放り込まれることになった僕だが、人間の根本の部分はやはり変わらず、大勢の集まりやパーティーに出ると大量のエネルギーを消費してしまう。

 

「大勢」というと漠然としているが、参加者の数が5人を超えると一人ひとりにフォーカスできず、やや辛くなってくる気がする。

 

一方で、4人以下の場合はとても楽しい会になる。もちろん、最たるものは僕の大好きなさし飲み、2人のケースだ。

 

これはどうしてだろうか。

 

それは、4人以下の飲み会では、深い話のできる「2人でのコミュニケーション」が取りやすくなるためである。 

 

言い換えると、「2人でのコミュニケーション」の割合が、「3人以上でのコミュニケーション」の割合よりも高くなる場合、僕の好きなタイプの飲み会が出現するのである。

 

それでは、「全体のコミュニケーション」に占める「2人でのコミュニケーション」の割合が、4人以下の飲み会では半分以上となり、5人以上の飲み会では半分以下となることを、数学的に証明してみよう。

 

 

 

3人での飲み会の場合、2人でのコミュニケーションは、3人から2人を選ぶ組み合わせに等しいから、2C3=3(通り)。3人以上でのコミュニケーションは、3人から3人を選ぶ組み合わせに等しいから、3C3=1(通り)。3>1で、「2人でのコミュニケーション」が優勢だ。

 

(コンビネーションの考え方がわからない人は、Aさん、Bさん、Cさんという3人を思い浮かべて、AさんとBさんが話しているシーン、AさんとCさんが話しているシーン、BさんとCさんが話しているシーン、AさんとBさんとCさんが話しているシーンの4つを具体的に考えてみてください。4人以上の場合も同じように考えることができます。)

 

4人での飲み会の場合、2人でのコミュニケーションは、4人から2人を選ぶ組み合わせに等しいから、2C4=6(通り)。3人以上でのコミュニケーションは、4人から3人を選ぶ組み合わせと、4人から4人を選ぶ組み合わせの和に等しいから、3C4+4C4=4+1=5(通り)。6>5で、依然「2人でのコミュニケーション」が優勢である。

 

(2人でのコミュニケーションは、A・B、A・C、A・D、B・C、B・D、C・Dの6通り、3人以上でのコミュニケーションは、A・B・C、A・B・D、A・C・D、B・C・D、A・B・C・Dの5通り。)

 

5人での飲み会の場合、2人でのコミュニケーションは、5人から2人を選ぶ組み合わせに等しいから、2C5=10(通り)。3人以上でのコミュニケーションは、5人から3人を選ぶ組み合わせと、5人から4人を選ぶ組み合わせと、5人から5人を選ぶ組み合わせの和に等しいから、3C5+4C5+5C5=10+5+1=16(通り)。10<16で、「3人以上でのコミュニケーション」が逆転する。

 

(2人でのコミュニケーションは、A・B、A・C、A・D、A・E、B・C、B・D、B・E、C・D、C・E、D・Eの10通り、3人以上でのコミュニケーションは、A・B・C、A・B・D、A・B・E、A・C・D、A・C・E、A・D・E、B・C・D、B・C・E、B・D・E、C・D・E、A・B・C・D、A・B・C・E、A・B・D・E、A・C・D・E、B・C・D・E、A・B・C・D・Eの16通り。)

 

実は、5人以上のいかなる場合においても、(2人でのコミュニケーション)<(3人以上でのコミュニケーション)となる。一応下記に証明をつけてみた。興味のない人は飛ばしてください。 

 

【以下証明】

 

5人以上での飲み会において、常に「2人でのコミュニケーション」の割合が「3人以上でのコミュニケーション」の割合を下回ることは、下記の不等式①を証明することに等しい。

 

n≧5のとき、いかなるnについても、

 

nC2<nC3+nC4+…+nCn-2+nCn-1+nCn―①

 

2項係数の公式から、

 

nC2=nCn-2―②

 

①②より、

 

nC2<nC3+nC4+…+nCn-3+nC2+nCn-1+nCn

 

⇔ 0<nC3+nC4+…+nCn-3+nCn-1+nCn―③

 

n≧5のとき、右辺は正の数であるから、③は明らかである。

 

よって、n≧5のとき、いかなるnについても①が成立する。

 

【証明おわり】

 

 

  

本当は、「2人でのコミュニケーション」や「3人でのコミュニケーション」の会話にかかった時間やその内容を数値化して、それぞれの人数におけるコミュニケーションの重みづけを行う必要があるのだろうけれど、さしあたり組み合わせの数だけでも、それぞれのコミュニケーションの割合というのは推定できるだろう。

 

こうしてみると、直感というやつは侮れない。なんとなく「5人以上はしんどいかな」と思っていたら、きれいにそれを裏付ける数字が出てしまった。

 

理論は直感を裏付けるものだと常々思っているけれど、こうして自分で感じたことを数字や理屈で示してみることができると、元理系の端くれとしては嬉しく思う。

 

補足ですが、今日の記事の内容を理解したい人は、高校数学の1年生の教科書を読んでみるとよいと思います。分野的には「場合の数と確率」の「順列・組み合わせ」です。

 

新課程チャート式基礎からの数学1+A

新課程チャート式基礎からの数学1+A