浜金谷の風と音の中で。(とぴちゃん)

2017年8月13日。

 

千葉県南房総を吹いてゆく熱風には、少しだけ、夏の終わりの匂いが混じり始めていた。

 

浜金谷という、聞き慣れない駅で降りた僕は、駅前の小さな交差点を抜けて、とぴちゃんが待つ「とびきり美味い回転寿司屋」を目指した。

 

 

 

とぴちゃんと出会ったのは、今から5年ほど前。僕が書いていたちっぽけなブログがきっかけだった。

 

当時の僕は、学者になりたいと思って大学に入ったものの、「自分のやりたいことがわからない」という絶望に打ちひしがれ、西へ東へ奔走していた。ベンチャー企業インターンで売れそうもない石の鉢を売るために新大阪のオフィス街で飛び込み営業をしたり、大学の学祭でドクターフィッシュ足湯を企画して大赤字を出したり、インドのムンバイで1年間高級アパートを売りさばく営業マンとして奮闘したりしていた。

 

僕は、そうした果てしない自分探しの旅を文章にしたため、小さな子どもが瓶に手紙を入れて海に浮かべるように、せっせとインターネットという大海原に流していた。

 

とぴちゃんは、そんな僕の宛名の無い手紙を読んでくれた一人だった。

 

就職活動をしていたとぴちゃんは、僕と同じように、「自分が何者なのか、やりたいことが何なのか、わからない」という悩みを抱えていた。歌手の世界でメジャーデビューも経験した彼女は、就活の選考で「音楽こそがあなたのアイデンティティなのだ」と押しつけられることに戸惑い、途方に暮れていた。

 

インターネットで人と出会い、自らの弱さやどうしようもない部分を語り合うことなど、普通の人からしたら「気持ちが悪い」と思うかもしれない。だけど、僕たちのような「少し外れてしまった人たち」にとっては、インターネットは救いの装置だった。

 

季節は巡り、僕はサラリーマン街道を突っ走っていた。一度は歌うことをやめた彼女は、再び歌い始めた。そうして、南房総で野外ライブをするという彼女に誘われ、僕はへなちょこギターをみんなの前で晒すハメになるのを覚悟して、この浜金谷の地にやってきたのだ。

 

 

 

午後5時。既に日は傾きつつある。

 

こぢんまりとしたお弁当屋さんの横のスペースが、ライブ会場だった。

 

僕はギターの調弦をしながら、少しずつ人が増えていくのを、興味深く眺めていた。とぴちゃんはいつものハイテンションで、「あっ○○さん!今日はありがとうございます!」などと声を掛けている。

 

音楽で、人を呼べる。それは、ものすごいことだと思う。音楽が文章に比べて圧倒的に素晴らしいのは、目の前でお客さんのリアクションを見ることができるところだ。ミュージシャンではない僕は、その意味で、とぴちゃんのことをとても羨ましく思う。

 

だけど、共通点もある。それは、「人を信じること、人から好かれること」が、「作品だけで突き抜けられないアーティスト」にとって、最強の武器になるという点だ。

 

ものをつくる人間にとって、作品だけで評価されることは、おそらく至上の喜びだろう。僕の好きなTravisというイギリスのロックバンドは、”The Invisible Band”というアルバムで「作品さえ素晴らしければ、アーティストは不要だ」というメッセージを世に遺した。

 

だが、そうした形で作品を評価してもらえる人たちはごくわずかだ。

 

「あいつ、なんか憎めないんだよな」「本当に良い奴なんだよ」そうした言葉とともに、自分の作品を見てもらったっていいじゃないか―。最近、会社の人に文章を読んでもらえる機会の増えた僕は、そんなことを思っている。

 

かっこいいだけが、クリエイティビティじゃない。大真面目に泥臭くて、でもどこかに温かさがあって、そんな自分の人間性をそのままぶつけてやれば、受け手は必ず何かを返してくれる。

 

これだけ人から受け入れられて、愛されているのは、きっととぴちゃんが自分のことを音楽に精一杯ぶつけているからなんだろう。遊びでいくつか彼女と曲を合わせながら、僕はそんなことを考えていた。

 

 

 

ライブは、『空も飛べるはず』から始まった。

 

スピッツは、草野マサムネの異様な声質と高音さえなければ、コード自体はとても弾きやすい音楽である。もちろん、キーを変えてとぴちゃんが歌えば万事解決である。

 

そして『桜坂』。これも弾きやすく、また歌いやすい曲だ。

 

ピアノ曲である『楓』を歌ったところで、僕はギターをとおるさんに渡し、観客席に降りた。とぴちゃんがお客さんを煽る。

 

「あれ、誰か歌いたい人いませんか?えっと、滝田さん!」

 

そう呼ばれた男性は、立ち上がりながら「え?俺?」と周りを見渡すも、とぴちゃんが無理やりマイクを持たせてしまった。ジャジャッ、ジャジャッ、ジャジャッジャーンと、懐かしいイントロが流れると、滝田さんはしかたないなぁと笑みを浮かべた。

 

「『セプテンバーさん』!」

 


RADWIMPS セプテンバーさん(歌詞付き)

 

とぴちゃんのピアノととおるさんのギターをバックに、滝田さんは優しく歌った。ボーカルが野田洋二郎だったか滝田洋二郎だったか、いや滝田洋二郎は『おくりびと』を撮った映画監督だったか…、などと、2杯目のビールを飲み干した僕には少しわからなくなってしまっていた。

 

浜金谷の夕方が少しずつ夜に変わっていく。今を限りと盛る夏も、もうじき9月、セプテンバーだ。

 

 

 

次の曲は、ミスチル好きな僕にとっては「ここでこの曲が聴けるなんて!」とつい興奮してしまった曲だった。思わず、同じくミスチル好きらしい滝田さんと顔を見合わせる。

 

『1999年、夏、沖縄』。まるじさんが、抜群のリズム感覚でしっかりと保ったテンポに、太く腹の底まで響くアルペジオを一つずつ乗せてゆく。

 

 時の流れは速く もう三十なのだけれど

 

 あぁ僕に何が残せると言うのだろう

 

 変わっていったモノと 今だ変わらぬモノが

 

 あぁ良くも悪くもいっぱいあるけれど

 

 そして今想うことは たった一つ想うことは

 

 あぁいつかまたこの街で歌いたい

 

僕は今、28歳だ。Mr.Childrenが瀕死の状態から立ち上がり、『終わりなき旅』という渾身のメッセージソングを世に放ったのは、桜井和寿をはじめとしたメンバーたちが28歳になったかならないかの頃だった。

 

20代後半というのは、子どもと青年の境目だと思う。それまでの人生で構築してきた自分自身を見つめ、さて自分はどう生きようかと自問する。もう変えられない自分の性格や傾向を冷静に捉えて、どんな状態にあれば自分は幸せなのか、それを考えるのが、20代後半という時代なのだ。

 

夜風の吹き始めた海岸沿いの小さなライブステージで、バラードは鳴り続けた。これまでいろんな街で歌ってきたであろう、とぴちゃんにぴったりの曲だった。

 


Mr.children 1999年 夏 沖縄

 

 

 

秦基博の『Rain』や一青窈の『ハナミズキ』、レミオロメンの『粉雪』、いきものがかりの『帰りたくなったよ』など、しんみりしたバラードが続いて、ライブは少しずつ終わりに近づいていた。

 

今日が日曜日でなければ泊まりたいところではあったけど、あいにくとこちらはサラリーマンの身分である。

 

僕は、もう一度とぴちゃんからギターを貸してもらい、同じくギターを手にしていたしょうたさんと並んで座った。

 

猫の恩返しの曲をやろうと思います!『風になる』!」

 

ギターからピアノにシフトしていたとおるさんの弾く、軽やかなイントロが響く。「素敵ですね」と言うと「ギターよりもピアノの方が得意なんだ」と、照れ臭そうに笑ってくれた。

 

僕はしょうたさんと一緒にギターを弾いた。とぴちゃんも歌う。シンプルなコードに乗る、簡単なメロディだけど、とっても切なくて良い歌だ。

 

 陽のあたる坂道を 自転車で駆けのぼる

 

 君と誓った約束乗せて行くよ

 

 ララララ口ずさむ くちびるを染めて行く

 

 君と出会えたしあわせ祈るように

 


風になる - つじあやの(フル)

 

 

 

すっかり暗くなってしまった浜金谷の町を、僕は駅に向かって歩いていた。

 

―楽しかったなぁ。

 

知らない人たちの前で、ショボいギターを披露するなんて、最初は顰蹙を買わないか心配だったのだけど、とぴちゃんのライブに集まった人たちはみんな優しくて、僕の不安などすぐに吹き飛んでしまった。

 

ギターがちょっとばかし弾けてよかったな、と思う。

 

最近は、ギターに限らず、自分が中途半端に手を出してきたこと、そのすべてに感謝することが多くなった。

 

昔は、何ひとつモノにできず、すぐに冷めてしまう自分が嫌だった。「自分にはこれがある!」と言い切れる何かを手にしたくて、僕は自分探しに邁進していたように思う。

 

だけど今は思う。人と仲良くなって、一緒の時間を楽しもうと思った時、いろんなものに頭を突っ込んだ経験が丸ごと活きてくるんだって。

 

究極の自分探し人間、中途半端ものだった自分が、いろんな人との繋がりをつくって、少しずつ自分のやりたいことに近づいていく。

 

「僕にはこれしかない」なんて、今でも到底言い切れないけど、人を信じて、好いて好かれて、いつでも一所懸命に目の前のことを楽しんでやれ。

 

それが僕たちの、生き方だ。

 

 

 

ドアが閉まり、駅から電車が少しずつ離れてゆく。

 

僕は、浜金谷から乗り合わせた迷子の蛾が、がら空きの座席にとまって休むのを見ながら、この半日ばかりの小旅行のことを思い出していた。

 

―また、来ることになりそうだな。

 

電車は、いつもと変わらぬ月曜日に向かって、東京へとひた走った。

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

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