東京よばなし 第1話

はじまり

 

7月の最終土曜日が都民にとって大切な日であることを、僕は東京に住むようになってから知った。そう、隅田川花火大会である。

 

―関西で言えば、さしずめPLの花火大会か。宇治川の花火大会は行ったことあるけど、PLは観に行ったことなかったなぁ。

 

夕立にきらきらと光る古書店街を歩きながら、僕はぼんやりとそんなことを思い出していた。

 

2017年7月29日、隅田川から中途半端に遠い神保町に、花火とは無縁の男たちが、集結しつつあった。

 

「東京よばなし」の記念すべき第1回目の幕が、驟雨をついて、上がろうとしていた。

 

 

 

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第1話

 

 

 

神保町の名物喫茶店の一つ『壹眞珈琲店』の角を曲がって少し行くと、そのお店はあった。

 

『ビストロ アリゴ』の一階部分は八百屋や酒屋のように道路に面して広く開かれていて、そこから厨房が丸ごと見えるつくりになっており、店員さんが元気よく「いらっしゃいませ!」と通行人に声をかけている。

 

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―これは、素敵なお店間違いなし。

 

僕は自分のお店探しの嗅覚にほくそ笑むと、その大きな入口に足を踏み入れた。

 

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二階に通されてしばらくすると、今日のメンバーが続々と階段を上がってきた。

 

しょうちゃんは、九州出身の金融関係の営業マンだ。大学は四国、就職してからは名古屋、そして東京と、だんだん東に進出しているのがおもしろい。

 

そーしくんは、北信越からわざわざ高速バスに乗ってやって来てくれた。普段は市役所で働く、柔らかい雰囲気の青年である。

 

ほなみんは、大学院の修士2年。出身は名古屋だが、大学は京都で数学を、大学院からは東京で経済学を学んでいる。来春からは、広告会社で働く予定だ。

 

おっと、自己紹介が遅れた。僕の名前は…はじめ、としておこう。とある広告会社で働いて4年目になる。この「東京よばなし」の発案者だ。

 

生ビールが運ばれ、ここの名物料理「アリゴ」が供されて、いよいよ『よばなし』が始まった。

 

 

 

 

 

誰かと誰かの狭間で

 

「しょうちゃん、コワモテやんなぁ」

 

口火を切ったのは、僕だった。今日は4人の中で唯一僕だけがみんなのことを直接知っている。先陣を切るのは自分の役目だ。

 

しょうちゃんは、土曜日にもかかわらず仕事帰りのようで、この夏のど真ん中にスーツをびしっと着込んでいる。ガタイもよく、髪はオールバックにしており、非常にイカツイ雰囲気を醸し出している。

 

「よく言われますけど、僕はカワイイキャラですよ」

 

「どこがですか!」

 

そーしくんからすかさずツッコミが入る。しょうちゃんがカワイイキャラ…出会って1分も経っていないが、それでも誰も賛同しないだろう。

 

「まあ、営業なんで、そう見せている部分もあるんですけどね。怖いとか、年上っぽく見せるとか」

 

「そうなん?年上に見られるとか、そういうのは嫌じゃない?」

 

「お客さんに夢を見させてあげるのが営業の仕事かなって思うんですよね。だから、嘘にならない範囲で、ストーリーをつくる。親くらいの年齢の方が相手だったら、例えば自分の親が『最近頭痛がする』と電話してきたことを元ネタにして、『そういえば私の母親も最近身体の調子が悪くて。息子としても親の心配をしてしまうから、何かしら資産形成みたいなものがあると安心なんですよ』みたいなことは、言ってあげたらいい」

 

「そこに罪悪感とかは感じない?」

 

「うーん、仕事ですから。割り切ってますよ」

 

僕は、自分が広告会社でテレビの仕事をしていた時のことを思い出していた。広告会社というのは、クライアントとメディアの板挟みになる仕事である。クライアントはテレビの広告枠を安く買いたいと言い、メディアは高く売りたいと言う。その狭間を、グレーな色を白と言ったり黒と言ったり、さまざまな方便を使って切り抜けていたなぁと。

 

僕は元々、嘘のつけない人間だ。嘘をつこうとしても、絶対に顔に出てしまう。だから、なるべく嘘をつく必要がないように、仕事をしようと思っていた。必ず誰かと誰かの狭間にいることになる広告会社は、自分には向いていないのかもしれない。そう思ったことも、二度や三度ではなかった。

 

 

 

自分のキャラクターってなんだ

 

「はじめさんは、自分が広告会社に合っていると思いますか?」

 

ほなみんにそう質問されて、僕は少し考え込んだ。

 

「コミュニケーションという意味で言えば、どんぴしゃではないと思うよ。広告代理店っていうのは『最大公約数にウケるもの』を開発することで大きくなってきた会社だと思うし。例えばこの前、会社の飲み会で『最近ハマってるものとかある?』って聞かれて『そうですね、源氏物語光源氏の感じ方にすごく共感してます』って言ったら、『光源氏ってアイドルじゃねーのかよ』って言われて、なんだろう、寂しい気持ちになったんだよね」

 

「コミュニケーションが大味になってしまうというか。みんなが同じ味付けを楽しめるようなコミュニケーションになりがちなんですね」

 

「そうだね。でも、広告会社に入ってよかったなと思うのは、そういう『みんなが楽しめるコミュニケーション』も、それはそれで楽しいって思えるようになったことだね」

 

特に、いつでも宴席を盛り上げることに血道をあげている、テレビ担当の仕事をやったことは、僕にとって大きな転機だった。飲み屋やカラオケで繰り広げられる、いつ果てるともしれない宴の時間を、彼らは死ぬ気で楽しんでいる。何もかもを忘れて空っぽになる時間も、悪くないものだ。

 

「それで言うと、そーしくんは元々そういうパーティーっぽい感じも好きだよね」

 

そーしくんは、頷きながら答えてくれた。ふわりとした前髪の奥で、優しそうな目がしばたいている。

 

「そうですね、僕は『本当の自分』について考えるというのをやめていて。どこかの本で『分人』というコンセプトを読んで、その通りだなと思って。ある場所での自分の楽しみ方と、別の場所での楽しみ方は違っていて、それでいいんじゃないかと思うんですよ。だから、アホになって楽しめる場もあれば、深い話ができる場もあっていい」

 

分人。作家の平野啓一郎氏が提唱している、「統一された、一貫した一つのアイデンティティ」という意味合いでの「個人」に対して、「その場その場で調整されたバラバラの顔を持つ存在」という意味の、新しい人間像である。

 

「実は、僕は高校くらいまでずっとふざけてる組でした。それで言うとはじめさんとは真逆ですね。転機は大学に入った頃だったと思います。寮に入って、他の大学生たちと暮らすようになって…。そうすると、真剣に話し合わないと解決しないことがたくさん出てくるんですよ。それから、1対1で人と話すようになったんですね」

 

そーしくんの訥々とした語りに、みんなが聴き入る。

 

「1対1で話すと、自分をすごく意識するじゃないですか。高校までは、そうやって自分を意識するのがすごく怖くて。自分が全然おもしろい人間じゃないって相手にバレちゃうんじゃないかって。そんなことせずに、周りから見られているキャラのまま過ごしていれば、平穏に暮らせる。でも、その大学の寮で、いろんな人と1対1で話さざるをえなくなって、そのおもしろさがわかってきた感じですね」

 

「その『見られてるキャラで振る舞う』っていうところ、すごくよくわかります。こういう飲み会の場とかでも、最初に顔を合わせた瞬間に、『あ、今日はこういうキャラでいこう』って思ったりするじゃないですか」

 

冒頭で「カワイイキャラ」を前面に押し出してきたしょうちゃんが言う。

 

「今日は思わなくていいけどね」

 

僕は思わず口を挟んでしまう。友達が言っていた。このイベントは、世の中から遠く離れた場所、「世離し」でもあるのだと。人に気を遣ったり、取り繕ったコミュニケーションをしたり、そういうことは考えなくていい場所なのだ。もちろん、しょうちゃんは最初みんなを和ませるために「カワイイキャラ」というツッコミどころを作ってくれたのだろうけど。

 

「当たり前ですけど、今日は違いますよ。だけど、普段はそういうことは往々にしてある。そういう時に、1対1だと、ちゃんと自分を見せられたりするんですよね。ほら、はじめさんがブログで書いてたじゃないですか。『好きな子と2人で飲みに行けば良さがわかってもらえる』って」

 

しょうちゃんの言葉に、他の2人も「あー書いてた書いてた」と反応する。そういえば、そんな記事を昔書いたような気がする。自分が忘れていた文章を、周りの人はみんな読んでいて、それを覚えている。それは、幼い頃の自分の写真を見せられた時のような、少し恥ずかしくて、だけどなんだか懐かしいような、嬉しいような、ふわふわした気持ちだった。

 

「みんなが求めているキャラクターどおりに振る舞うと、すごく楽なんだよね。会社でも、周りの人に対して『表面的じゃない、その人自身の部分』に興味を持っている人はごくわずかだなぁと思う。でも、自分のテーマとして、そういうのを全部解体したいっていうのがあるんだよね」

 

僕は、ごく個人的な趣味として、会社で所属している野球部の試合の様子や、会社の人と行った登山や旅行の様子を、文章にして参加者に共有するということをやっている。それは、もちろん自分が文章を書くのが好きだということや、一緒に何かを楽しんでくれた人への恩返しということもあるけれど、一番大きいのは、「この人は実は会社の外でこんなことをやっているんだ」「実はこんなことが好きで、こういう話をする人なんだ」ということを、少しでもいろんな人に知ってもらいたいからだ。

 

この『よばなし』の少し前、2017年7月期の『ウチの夫は仕事ができない』というドラマの第1回を観て、僕は号泣していた。会社という場所では、「仕事ができるかどうか」が、ともすればその人の人間性のすべてになってしまう。ものすごく甘い考えだろうけど、僕はそんなふうに人を見たくない。サラリーマンである前に、人間なのだ。いくつになっても、僕は人をまっすぐそのまま見ていたい。

 

自分の書く文章で、身近な人たちがちゃんと生きているんだっていうことを書き残して、その人たちどうしが少しでも「ああ、この人はこういう人なんだ」って思ってくれたら、僕は本望だ。

 

 

 

金融の会社に行かなかった理由

 

良い感じによばなしが繰り広げられる中、運ばれてきた美味しそうなステーキに喝采があがる。

 

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僕は肉を切り分けながら、ほなみんに話を振った。

 

「ほなみんは何を勉強してるの?」

 

彼は、ステーキを受け取りながら、いつものように目をキラキラさせて答えてくれた。

 

「経済学ですね。学部の時は数学を勉強してたんですけど、大学院では計量経済学を専攻してます。金融系でクォンツの内定ももらってたんですけど、辞退して広告会社に入ることにしました」

 

クォンツというのは、株式などを数学的な考え方に基づいて分析し、利益をあげていく専門家のことだ。ほなみんはなんでもないことのように語っているが、実際になれる人間の数は非常に限られている。おそらく、日本でクォンツとして1年間に採用される人の人数は、同じ1年間に東大の医学部に受かる人間の数よりも少ないのではないだろうか。

 

「その金融の会社を辞退する時に『お前、今から他の会社を受けるリスクとか考えてるのか?』と言われたんですけど、まったく考えてなかったなぁと。散々研究でリスク分散とかやってきたはずなのに、これまで何を学んできたんだって感じですよね」

 

ほなみんは、人懐っこそうに笑う。

 

「クォンツなんて、誰でもなれるわけじゃないのに、なぜ辞退したんですか?」

 

同じ金融系とあって、しょうちゃんは興味津々だ。

 

「内定者懇親会に出た時に、やっぱりお金に興味持ってる人が多くて。『俺は年収1億円を目指す』『俺は5000万くらいで良いかなぁ』みたいな話をしてて。そういう価値観の場所なんだと思って、自分はここじゃないのかなって思ったんですよね。そうやって一度ゼロベースで考えてみて、やっぱり自分はコミュニケーションが好きだし、何かをつくるのが好きだし、数字のことも一応わかるし、じゃあ、文系的なことも理系的なことも仕事でできる広告会社かなって思って」

 

大学3年生の頃、絶賛自分探し中かつ人生史上最高に意識高めだった僕は、外資系の金融やコンサルを片っ端から受けて当たり前のように撃沈し、自らの及ばない世界のことを痛感していた。その時の僕が見たら、ほなみんはとてつもなく羨ましい存在だっただろう。しかし、今思うのは、結局どれほどの選択肢が用意されていようと、水が低いところに流れるように、人は自分に合った場所に落ち着いてくるということだ。

 

 

 

数式は言葉と同じ

 

「ほなみんは、何を原動力に勉強してたの?」

 

「んー、シンプルに言えば恩師の言葉ですかね。小学校の時、ちょっと他よりはできる子だった。それで友達が塾に行きだして、連立方程式とか、四字熟語とか、自分の知らないことを言ってくるんですね。で、知らないのが悔しいから、勉強していた。そうしたら、ある日先生から『お前、東大か京大目指せ』って言われて。卒業式の時も『お前は東大か京大しか許さん』ってその先生から言われて。大学受験をする時、なんだかんだ言ってその言葉が頭にちらついて。結局京大の理学部に行くことになるわけですけど、自分が目指す場所を早いうちに示されたことは、今となってはよかったのかなと思います」

 

ほなみんと僕は、学年こそ違えど大学・学部がまったく同じだ。今思い返すと、京大の理学部には、相当濃厚な人間が集まっていたように思う。入学手続きの日、列になって順番を待っていると、僕の前に並んでいた寡黙そうな男が、10秒に1回くらいの頻度でルービックキューブを高速回転させては絵柄を揃えるという芸当を、誰に見せつけるわけでもなく繰り返していて、僕は「ああ、ヤバいところに来てしまったなぁ」とワクワクしたものだった。

 

「理学部、ロマンありますよね。僕はやっぱり数学が好きで。化学とか物理とか、だいたい数式で書けるんですよね。数式を見ると、そこに何かしらの意味が詰め込まれている。数式は全部の根本なんですよね。じゃあ、数学やるか、みたいな」

 

僕は、大学のクラシックギター部の先輩のことを思い出していた。工学部の大学院にいながら小説家を目指していたその先輩が口ぐせのように言っていたのは、「E=mc^2という式にも、アインシュタインの世界の見方が凝縮されている。客観的なものは何一つない」という言葉だった。

 

無味乾燥に見える数式にも、意味が込められている。人が理学を志す理由は、世界を理解したいという気持ちであり、そのためのツールが数字や数式なのだ。それはちょうど、作家が人を理解したいと願い、そのための手段として言葉を用いるのと、そっくり同じなのだ。

 

「でも、文系も楽しそうとか、文系コンプレックスみたいな気持もありますよ。それは、自分を規定したくないからかもしれないですけど。就職活動であるじゃないですか、『あなたを一言で表すと?』みたいな。僕、自己評価がものすごく高いんで、『いやいやいや、これだけじゃないから。氷山の一角だから』とか思っちゃうんですよ。『理系なんですね』みたいに言われるとすごく嫌で。だから、自己紹介するのも嫌いだし、理系・文系みたいなのも無いと思ってるし。留学に行ったのも、たぶんそれが理由なんですよね」

 

ほなみんは、イギリスに留学して、現地のパブでドラムを飛び入りで叩いたことがきっかけで声を掛けられ、ビートルズのお膝元で1年間バンドをやっていたというエピソードを持っている。器用な男だ。

 

「それって、さっきのキャラクターの話にも通じるよね。一つに決められたくない、でもそう振る舞っていると楽、みたいな」

 

「そう。もちろん、あるんですよ。理系っぽい、文系っぽい、そういう雰囲気って。でも、僕だけは違う!みたいなエゴがあるんですよね」

 

 

 

田舎にいたくなかった

 

「留学の話をちょっとしたんですけど、みなさんは海外旅行とかしますか?」

 

ほなみんの質問に、そーしくんが答える。

 

「休学して、モロッコとか、8カ国くらいを回ってました。イスラム圏だと、『旅人はもてなさなければならない』っていう教えがあって、すごく手厚く扱ってくれるんですよね。でも、旅を始めて3カ月くらい経った時に、なんか生きてる感じがしないなぁって思っちゃったんですよね。自由に使えるお金や時間があって、でも社会に属してないというか。それで、1年行くつもりだったんですけど、半年くらいで帰ってきちゃいました」

 

僕が大好きな沢木耕太郎氏の『深夜特急』という本の中に、「旅人というのは、結局はその現地の生活や社会に所属できず、流れてゆく存在でしかない」という旨の記述がある。そーしくんの話は、僕にそのことを思い出させた。

 

「僕は海外旅行とか行ったことないですね。ドメスティックな人間なので」

 

しょうちゃんが言う。

 

「正直に言うと、この中で一番普通の人に近いのは、私だと思いますよ。ちょっと変わった経験って言っても、休学してキャバクラで黒服として働いていたくらいで」

 

みんなから口々に「似合う!」「おもしろそう!」という声が飛ぶ。しょうちゃんもまんざらではない感じだ。

 

「おもしろかったけど、大変でしたね。北九州だったし、怖い人たちもよくお店に来てました。一緒に働いていた友達はベンツ買って乗り回したりしてて…。まあ、お金を稼ぐためにやったんですけど、いい経験でした」

 

時折入る仕事のメールに対応しながら、しょうちゃんは語った。

 

「自分の高校では、大学に行ったのは100人いたら8人くらいで。故郷にはいわゆるマイルドヤンキー的な人たちしかいなくて…。田舎のゆるい感じというか。ずっと同じメンツで遊んでいて、ずっと同じ話をしていて。自分の中には、ずっとそこに対する反発があった。だから、東京までやってきたんだと思います」

 

僕がしょうちゃんと知り合ったのは、自分が京都で大学生をやっている時だった。その時から、とても向上心が強く、「絶対に成功してやる」という気持ちを持った人だなぁ、と感じていた。その理由はこういうところにあったんだと、僕は今になって知った。

 

 

 

みんなが集まる場所をつくって

 

再び、そーしくんが話している。

 

「海外に行って思ったのは、外国には『みんなが集まる場所』がある、ってことなんですよね。広場なり、教会なり。昔だと、日本でも神社とかお寺とかがその役割を果たしていたのかなって思うんですけど、今はそういう場所がないなあって。で、それを作るとしたら、行政の役割なんじゃないかなと思って、それで市役所に入ったんですよね」

 

「井戸端会議の井戸端が、今は無いですもんね」

 

「ある種この『よばなし』もそういう場の一つかもしれないな」

 

ほなみんと僕は、それぞれ思ったことを言う。

 

「でも、普通の人の声を聞くのが、一番難しいんですよね」

 

そーしくんは、「みんなが集まる場所」をつくることで、地方創生に繋がるような施策を考えていると言う。

 

「地方創生は取り組んでくれる人とそうでない人の差がものすごく激しい。本当に普通の生活をしている人たちからしたら、地方創生なんてどうでもいいことなのかもしれない。でも、僕が聞きたいのは普通の人の声なんです」

 

僕はそれを聞いて、思わず「優しいなぁ」と言ってしまった。「自分の地域を盛り上げたい」なんて夢にも思っていない人たちがいて、それでもその人たちの話こそ聴くに値するものなのだと言うこの人は、とてつもなく優しいと。

 

「優しいですかね…」

 

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「そーしくんは、長野でもこの『よばなし』みたいなことをやってるんだよね」

 

「そうですね。普通に生きている、いろんな人たちのことをインタビューしたいと思ってます。でも結局、そういうことを言って集まってきてくれるのは、その町で有名だったりする人なんですよね」

 

正直に言えば、この『よばなし』だって、「普通の人」が集まっているとは言い難い。しょうちゃんがいみじくも看破したように、そーしくんもほなみんも、十二分に「すごい人」だ。それは、ここまで読んでくれた方なら、よくわかると思う。そしてその批判は、僕に対しても向けられるものだと自負している。そもそも、こんな企画をやろうなんて時点で、「普通じゃない」のだ。

 

だけど、「普通の人」とか「すごい人」とか、そういうのを全部排除して、ただその人だけを見て話をしたいという気持ちは、僕の中にずっとある。

 

僕が『よばなし』をやりたい理由は、それだけだ。

 

世の中の人たちが、歪みや先入観なしに、ひたすらしゃべったり笑ったりできるような場所があればいい。

 

「実は、一番最初に『よばなし』を構想した時は、『他の場所では話せない、ニッチな価値観や悩み』を話す場所やと俺は考えてたのね。でも、最近は、ここで何を話したっていいやって思う。それこそ、最初にあった『しょうちゃんがカワイイキャラかどうか議論』みたいなアホな話でもいいし。ただ、4人で話すということだけ、決めていればいいって」

 

「これは僕の私見なんですけど、みんな『他の人が飲み会で何話してるんだろう?』って思ってると思うんですよ。それこそ、そーしさんの言っている普通の話というか。だから、『よばなし』は需要があると思いますよ。東海テレビの深夜枠に『千原ジュニアのヘベレケ』っていう、ただひたすら千原ジュニアさんが飲んでる番組があって、それはもう死ぬほど見てますね。お店を3、4軒回るんですよ。僕も家でそれを観ながら、1軒目で缶ビールをプシュ、2軒目で缶ビールをプシュ、みたいな」

 

ほなみんの話に、みんなが笑った。それは、とてもあたたかくて、居心地の良い笑いだった。

 

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思えば僕は、人に自分のことをわかってもらえないということについて、ずっと悩んで生きてきた。それは、高校の時に「おもしろくない自分は受け入れてもらえない」という自意識に取りつかれ、ずっとその気持ちに引きずられてきたからだ。

 

だけど、最近思っている。わかられるとかわかられないとかより、人と楽しい時間を過ごせるかどうかの方がずっと大切だって。わかってもらえなかったとしても、思い切って自分のことを全部見せてしまえば、相手は絶対に楽しくなってくれるんだって。

 

『よばなし』が、みんなにとって「楽しい時間を過ごせる場所」になってくれたらいい。きっとなってくれる。

 

僕は、確信に満ちた足取りで、雨上がりの古い街並みを縫うように歩いていった。あちこちにできた水たまりが、夏の夜の神保町を映し出していた。

 

いたずらっ子のようにスニーカーで水面を乱しながら、僕は駅へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

今回使わせていただいたお店はこちらです。

 

ビストロ アリゴ

https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13116995/

 

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料理も美味しくて、とても素敵な雰囲気のお店でした!ありがとうございました!