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「メディア・プランニング」が意味をなさなくなる時代へ。

昨今、日本では新しい動画サービスが次々と誕生している。NETFLIX・Huluといった黒船勢にはじまり、民放各局の合同キャッチアップサービスTVerテレビ朝日サイバーエージェントが立ち上げたAbemaTVなどがそれに続く。

 

僕も時々NETFLIXTVerを観るのだが、TVerは民放のテレビコンテンツが百花繚乱のごとし、NETFLIXに至っては映画ありドラマあり、国内あり海外ありとあらゆるカテゴリーの映像コンテンツを網羅している。

 

もちろん、日本版ウィキペディアのページすら無いアメリカン・ニューシネマの隠れた名作を観たい時などは、NETFLIXへの入荷を期待するより渋谷のTSUTAYAに行って発掘した方が早いとは思うが、これもウェブに置き換わるのは時間の問題であるように思う。ウェブ進化論で提唱されていた「ロングテール」が、「ウェブのあちら側」で利用できるニッチなコンテンツには適用されるからだ。

 

また、海の向こうアメリカでは、動画プラットフォームの隆盛ぶりを追いかけるようにして、「パリティ」という考え方が登場してきている。

 

パリティ」とはParity、等価という意味合いである。あまり聞きなれない英単語だと思うが、物理学(特に素粒子物理学)をやっている人なら「パリティ対称性の破れ」で知っているだろう。

 

動画広告の世界において、「パリティ」は「TVにおける1回の広告露出とウェブにおけるそれは同じ価値を持つ」という考え方を指す。下記は、今年の5月11日に出た記事である。

 

Will There Be a Multiplatform Upfront? ~Digital Video, TV Industries Face Need for a Common Measurement~ - AdvertisinAge

 

タイトル訳:複数プラットフォームのアップフロント※市場は実現するのか?~デジタル動画とTV業界は共通の指標の必要性に迫られている~

 

※「アップフロント」とは、アメリカのTV広告市場における「先買い」のこと。日本で言う「タイム」に似て、年間を通じて枠を買い付ける市場のことを言う。

 

上記の AdvertisingAge の記事はかなり長いので乱暴に要約すると、「TVとデジタル広告においてはこれまで異なる指標が用いられてきており、同一の指標で計測すること(=「パリティ」)は難しいと思われていたが、デジタルGRPなどの新しい指標の開発により互換性が高まった結果、TVとデジタルが統一されたプラットフォームでの広告取引は決して遠い未来の話ではなくなってきた」といったところだろうか。

 

いずれにせよ、「パリティ」という考え方によって、TV番組もウェブの動画も、同じ価値を持つコンテンツとして認識されてゆくことは間違いない。

 

そうなると、映像コンテンツが巨大なプラットフォームに集約されてゆくという現在の流れは、ますます加速するだろう。TV番組は、民放各局のチャンネルで観るものではなく(そうした習慣も少しは残ると思うが)、NETFLIXかHuluかAmazonプライムビデオかはたまた他のサービスになるかは知らないが、TV・ウェブの両方に接続可能なプラットフォームで観るものとなるだろう。

 

今日の記事では、様々なコンテンツが少数のプラットフォームに集約されていく先にある、「プラン・バイ・コンテンツ」という考え方について書こうと思う。

 

 

 

コンテンツの置きどころが少数のプラットフォームに収斂していった場合、広告代理店のプランニングは形を変えていくだろう。各メディアごとのコミュニケーションの最適化を図る「メディア・プランニング」ではなく、各コンテンツごとのコミュニケーションの最適化を図る必要が出てくる。それを、この記事では「プラン・バイ・コンテンツ」とした(長いので以下PBCとする)。

 

いかにもダサい名前なので、よりよい名前を思いついた人はぜひ共有してほしい。

 

PBCとは何かと言うと、「コミュニケーションの最適化を、メディアごとではなくコンテンツ(の形式)ごとに考える」ということである。

 

具体的に書こう。コンテンツには、様々な形式のものがある。映像、活字、音楽、画像……。また、映像が好きな人、活字が好きな人……と、人によって好きなカテゴリーが異なるのも、周知の事実だろう。

 

例えば僕にとって、最も親和性の高いコンテンツ形式は活字である。子どもの頃から身の回りに本が山と積まれていた僕は 、小学生にして椎名誠の『あやしい探検隊』シリーズに憧れ、筒井康隆の『七瀬』三部作にエロチックな妄想を抱く、ませたガキになってしまった。

 

(僕が子どもの頃から好きだった本については、思春期にみていた世界が蘇る、「またここに戻ってきたい」と思う小説10選。 参照。)

 

あやしい探検隊 アフリカ乱入 (ヤマケイ文庫)
 

  

家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

 

 

時系列で辿れば、小説と同時期かやや遅れて目覚めたのが日本のポップスやロックであった。それも、「言葉がわかるから」といった理由だった。そこから高校~大学にかけて洋楽も聴くようになった。映像コンテンツは実はずっと苦手で、それこそ社会人になってから、きちんと観賞するようになったと言ってもよい。

 

そんな僕にとって、最も響きやすいコミュニケーションの形は「活字」である。椎名誠が『もだえ苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵』というフィクションだかノンフィクションだかわからないホラーな物語で描いたように、僕もまた「活字中毒者」であるから、そこに文字の羅列がある限り、それを読まずにはいられない。

 

四谷学院の「なんで私が○○大に!?」というおなじみの広告は、常にあの細かい文章の部分を読まないと気が済まないし、迷惑なダイレクトメールはとりあえず最初から最後まで読んでみて「なんて支離滅裂な文章なのだ……」と絶望しながらゴミ箱に放り込む。

 

もし、「活字コンテンツ」のプラットフォームが一元化されれば(その最初の波がKindleだと目されていたが)、こうした「活字中毒者」たちを一網打尽に捉えることが可能だ。これまでのプランニングでは、「雑誌なら、柔らかめで『Pen』や『BRUTUS』に、堅めで『文藝春秋』に出稿しよう」という「メディア選定」が必要だったのが、「活字好き」をターゲットにして一発でコミュニケーションを図ることができるのだ。

 

もちろんそれは活字コンテンツに留まらない。シネフィルやロック中毒の方々も、もれなく捕捉されるだろう。そもそも、映像プラットフォームが一元化され映画とドラマの間の垣根が取り払われれば、「シネフィル」という言葉すらなくなっているかもしれない。

 

PBCが実現された時、マーケティングにおいては「映像が好きな人ってどんな人だろう?」「音楽が好きな人ってどんな人だろう?」と、心理学により接近したアプローチが行われると推測される。もう少し言えば、メディア・プランニングの時代から「より人間の本質に迫ったマーケティング活動を行う必要が出てくる」ということだ。

 

僕は自分が映像や画像といったものに苦手意識を持っていたためにわかるのだが、視覚で情報を捉えるタイプの人は、「形」や「色」にこだわりのある人が多い。反対に、活字が好きな人は「言葉」にこだわりがあると言えるだろう。コンテンツによってターゲットを横断的に観察することが可能になることで、「人間」についての理解のされ方も更新されるだろうし、クリエイティブにおいて力を入れる部分も変わってくるだろう。

 

既に、ウェブに繋がれたメディアにおいては、運用型の広告枠によって一律な広告配信が可能になっている。しかし、現在はまだ、「ターゲットをコンテンツの形式ごとにカテゴライズする」という動きは生じていない。

 

それぞれのコンテンツのプラットフォームが統合された時、それは、広告代理店において人間の捉え方が変わってしまう瞬間になるだろう。