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就職活動に「相性」は要らない。

就職活動 アウトサイダー

僕が就職活動をしていた頃、「広告業界に行きたい!」という気持ちは誰にも負けないくらい持っていたつもりだったが、一方で、「僕が広告業界の選考にパスできるのか?パスできたとして、はたしてやっていけるのか?」という迷いも、少なからず抱いていた。

 

それは、「広告業界というのは、どんな人とも仲良くやれるコミュニケーション能力があり、流行やムーブメントに敏感で、楽しいことが大好きな『リア充』が行く業界ではないか」と思っていたからだ。

 

実際に入社してみて、その考えは間違っていなかったと思う反面、「あんなに『自分でも大丈夫なのかなぁ』なんて悩む必要はなかったな」とも思う。

 

就職活動では、「企業との相性が何よりも大切だ」という言葉をよく耳にする。「社風が決め手でここに決めました!」「人がどこよりも自分に合っているからここに決めました!」そう語る先輩たちを、僕は就活のイベントやOB訪問などでたくさん目にしてきた。

 

しかし、「とても広告代理店マンには見えない僕」が広告業界で働いてみた結果、「就活において、相性というのは正直どうでもいい要素なのではないか?」と思うようになった。

 

今日は、就活生の頃の僕のように、自分のイメージとはかけ離れた業界を志す人たちに、「迷わずにそのまま突っ走れ!」というエールをおくる記事を書こうと思う。

 

最初に、「自分の雰囲気にそぐわない業界や企業に入ることができるのか?」という疑問について書き、その後で「相性の合わない企業に入ってやっていけるのか?」という疑問について書いていこう。

 

 

 

 

 

まずは、「自分の雰囲気にそぐわない業界や企業に入ることができるのか?」という疑問について。

 

結論は、「自分の学びたい部分にフォーカスして志望理由を語ることができれば、十分にチャンスはある」というものだろう。

 

基本的に、その業界の雰囲気や社風というものはビジネスモデルと密接に結びついている。広告業界で言えば、「マスメディアからCMの手数料を得ること」がこれまでの繁栄を支えてきた。マスに届くメディアを使えば使うほど広告代理店は儲かる。したがって、広告業界では「たくさんの人を動かしたい人、人の気持ちの最大公約数を捉えられる人」が重んじられてきたし、「みんなで楽しいことをやろう!」という雰囲気が醸成されてきたのだ。

 

(参考:広告業界にはなぜ合コン好きな人が多いのか。

 

そういった「ビジネスモデル」と業界の雰囲気や社風を結びつけて考えられている人が、「相性が合わないかも…」と思いながらもなおその業界や企業に惹かれてしまうなら、面接では「どうしてこの業界を志望したのですか?」という問いに詰まってしまうかもしれない。

 

しかし、落ち着いて自分を見つめ直してみれば、その問いへの答えはすぐに思い当るだろう。

 

合わないかもと思いながら、それでもその業界、その企業を志望する理由。それは、「今の自分には持ちえない力を身につけたいから」以外にありえない。

 

僕は、学生時代からブログを書いてきた。「学歴や経験を生かし一流の企業に入って安定した家庭を築くこと」や、「世の中を変革するインパクトを持つような夢を抱き、その実現に向けて邁進すること」のような、世間的に「素晴らしい人生、幸せな人生」と称されるものに違和感を覚え、「自分は超人にも大衆にもなれないアウトサイダーだ」という一心で、文章を書き続けてきた。

 

その不格好なメッセージを、インターネットという大きな海は拾い上げ、届けるべき人たちのもとへ届けてくれた。インターネットを通して、僕はたくさんのかけがえのない友達を得ることができた。

 

一方で、インターネットだけを相手にしていては届かない人もいるということを、僕はいくつもの記事を発信し続ける中で気付いてしまった。だからこそ、すべてのメディアを相手にして、「広く知らしめる」コミュニケーションを築いてゆける広告代理店を志望したのである。

 

奇しくも、広告代理店が「デモグラフィックからサイコグラフィックへ」「セグメントからペルソナへ」「枠から人へ」などといった言葉で語られる転換期を迎えていたことも、僕にとっての追い風となった。

 

自分が「学びたい」と思っていることと、その業界の行く末をシンクロさせ、自分の人生とビジネスの未来を一つの絵の中に納めて描くことができれば、たとえ「その業界らしからぬ人間だ」と思われていたとしても、絶対に内定をもらうことができるはずだ。

 

 

 

余談ではあるが、僕は今いる企業ともう一つ、それこそ「一人ひとりにしっかりと届くコミュニケーションを考えよう」という企業理念のもと動いている、別の企業Rからもお誘いをいただいていた。R社で働いていた経験のある先輩からは、「社風だけで言えば、間違いなくR社の方が君には向いていたとは思うよ」と言われたことがある。

 

そんな相性抜群の世界にお断りを入れてでも、僕は「広く知らしめる力」を手に入れたかったのだ。

 

「自分ととても相性の良い企業」の選考にも本腰を入れて取り組み、その上で「やはり相性よりも手に入れたい力が自分にとっては重要なのです」と言い切れる人間は、どんな会社からも「そこまで言ってくれるのならぜひともチャンスを与えたい」と、諸手を挙げて迎え入れられるのではないだろうか。

 

 

 

 

次に、「相性の合わない企業に入ってやっていけるのか?」という疑問について。

 

これはもう言い切ってしまうが、入社してから自分との相性がどうのこうのというのは甘えでしかない。配属先も、最初に与えられる仕事も、何一つ自分では決められないからだ。

 

(参考:就職先を「人」で決めてはいけない理由。

 

社会人というのは、その仕事でおカネをもらうプロになるということ。プロとして重要なことは、相性や適性がどうこう言うことではなく、相性が悪く適性が無いならばそれなりに、どう結果を出していくかを考えることだ。

 

僕は局担という仕事が自分には半端なく向いていないと思っている。それは、テレビというメディアが「みんなを楽しませる」ことを正義としており、その力を持った人間にとって楽園にも等しい場所である一方、僕にとっては「みんなを楽しませる」ことはこの世で最も苦手なこと以外のなにものでもなく、そんなことより世界の片隅でこぢんまりとした楽しみを味わっていたいと思ってしまう人間だからだ。他店の局担が自慢の宴会芸で会食を盛り上げ、テレビ局のお偉いさんの目に留まる、そんな「人間力」など僕は持ち合わせていないし、やろうと思うだけで吐き気がする。

 

しかし、数字を見たり思考したりすることや、社内の人間とのコミュニケーションを通じて情報を取ることなら、僕にも十分戦える余地はある。テレビのプランニングを考える人間が使うようなツールを自分でも使って、高い視聴率が見込めそうなCM枠をはじき出す。ささいなことでも営業や業推に話を聴いてスポンサーの理解を深める。一つひとつは誰にでもできることかもしれないが、忙しい日々の中で「誰にでもできること」を積み上げていくのはそれほど簡単なことではない。そこには、受験生時代に培った「ペース配分を考える力」「文字や数字の処理能力」や、積み重ねたさし飲みの時間の中で身に付けた「ヒアリング能力」が活きていると思う。

 

自分の弱みを平均点まで持ってくるのは辛いし難しい。であるなら、同じ結果を出すために強みを活かすことを考えればいい。それをひたすら繰り返すのが、プロであるということだ。

 

 

 

「多くの人に広く知らしめる力を手に入れたい」と思ってこの業界に飛び込み、2年弱という時間をかけて、僕がおぼろげながら理解してきたことがある。

 

それは、「広く知らしめるためには、ツッコミを入れたくなるような要素を対象に持たせるのが重要だ」ということである。

 

僕自身の例で話そう。

 

僕という人間は、先輩の言葉を借りれば「およそ広告代理店にいそうもない人間」である。イケメンでもなくトーク下手、今風の洒落者というわけでもないこのネクラ人間を見れば、「なんでお前が広告代理店にいるんだ!」と叫びたくなるのも無理はない。

 

そのままであれば、僕はただの「よくわからない人間」で終わりである。しかし、 人を笑わせて場を盛り上げるのが苦手な人のための、コミュニケーションの戦略。 でも書いたように、「デートするとしたらどこ行くの?」「1950年代の映画をオールナイト3本立てで観て喫茶店でお茶します」「なんだそれ!」といった会話を通して、(あるいは、カラオケで自分の入れたポルノグラフィティの『アポロ』が流れる前に「演奏中止」のボタンを押され続けるいじられキャラとして、)「明るいネクラ」というイメージを持ってもらえれば、そのキャラクターはマスにさえ通用するものとなる。

 

糸井重里氏は、『ふたつめのボールのようなことば。』でこのようなことを書いている。

 

『取っ手』

 

「理解されっこない」ようなことに、

 

理解されるかもしれない「取っ手」を見つけて、

 

よその人に持たせてみる。

 

(『ふたつめのボールのようなことば。』p. 29)

 

 

この「取っ手」という概念こそが、マイノリティなメッセージを幅広い人たちにリーチさせる上で必要不可欠な要素なのではないかと、広告代理店に入って2年が経とうとしている今、思っている。

 

 

 

 

 

相性が合わなそう、なんとなく違和感がある…。それでもその業界に飛び込もうと言うのなら、それは相応の何かが胸の内にあってのことに違いない。僕がかつて「ブログでは届ききらない人たちに自分のメッセージを伝える術を学びたい」と思って広告業界に入ったように。

 

そういう人は、ぜひその違和感を抱えながら、行きたい業界・企業に飛び込んでいってほしい。そしていつか、もやもやが言語化された時に、自分だけの言葉でそれを語ってほしい。

 

凡人にとっては、違和感こそが、オリジナリティの種になる。

 

 

いつかどこかで、マイノリティ同志として、ビジネスの世界であなたと相まみえんことを。